桓武天皇ゆかり「交野天神社」継体天皇即位!樟葉宮【京都八幡シリーズ/継体天皇シリーズ】
天皇の後継ぎ問題は昔もあった!それを救ったのは福井からやってきた継体天皇なのだが、なかなか都(奈良)には入らなかった。いや、入れなかった。そんな継体天皇が即位した樟葉宮(くずはみや)であり、都を京都に移した桓武天皇所縁の神社でもある。
参拝するとわかる下鴨神社(私のNOTE)や廣瀬神社(私のNOTE)相当の杜が素晴らしく、気持ちが良い神社である。
ちなみに「かたのてんじんじゃ」と思っていたが「かたのあまつかみのやしろ」が正しいとか?「てん」と言えば菅原道真で、「あまつ」と言えばアマテラス系の「天神(天津神)」の認識です。
大阪だけど京都扱いのタグを入れています。
ほぼ次の動画で説明されつくしている感があります。
継体天皇については「継体天皇シリーズ」をどうぞ!
変更履歴
2025/05/19:初版
▼HP▼アクセス
大阪府枚方市楠葉丘2-19-1
※表参道前に車二台ほどのスペース(駐車場)がある。
▼祭神・本尊と脇時
光仁天皇
天兒屋根命
菅原道眞
▼見どころ
→由緒・歴史
交野天神社は「かたの てん じんじゃ」と一般的に読まれるが、正式は「かたの あまつ かみのやしろ」と読む
大阪府枚方市だが、京都府八幡市の石清水八幡宮(私のNOTE)周辺の神社仏閣とセットで行ける場所である
787年、桓武天皇の父・光仁天皇を祀るために設けた郊祀壇の地
1402年、本殿は一間社流造で檜皮葺きで、国の重要文化財
本殿横には、末社・八幡神社本殿で、これも重要文化財
本殿は1238年と1401年に修復されている
1442年、屋根の葺き替えで朝廷より特使の参向があった
また、継体天皇の樟葉宮跡と伝えられる場所があり、貴船神社が鎮座する
境内は下鴨神社、廣瀬神社など鬱蒼とした杜に囲まれている
1872年、菅原道真を本殿に合祀
→天神(あまつかみ)と天神(てんじん)・菅原道真が並び「てん」と呼ぶ人が多いようだが、正しくは「あまつ」と読むのが正しい
次に継体天皇について
越前の三国(福井県)にいた応神天皇の末裔・男大迹王(おおどのおおきみ)が継体天皇
507年に樟葉で即位し、5年にわたり宮を営んだ
樟葉宮跡の杜が交野天神社の境内にある
交野天神社本殿に右奥には貴船神社が鎮座する小丘が、継体天皇が即位した樟葉宮跡の伝承地として大阪府の史跡に指定されている
小丘の麓には顕彰碑が立っている
鎌倉時代の関白左大臣・一条実経は、「くもらじな ますみの鏡 かげそふる くずはの宮の 春の夜の月」(続古今和歌集)と詠んでいる
大阪府枚方市、第 26 代継体天皇樟葉宮、交野天神社の由来と鳥居(http://www.cave-ens.com/pdf/cens7_006.pdf)
→稲荷社

→参道・樟葉宮跡の杜
第一の鳥居の手前にある石碑は左側「桓武天皇先帝御追尊之地」と右側「樟葉宮旧蹟」がある。鳥居を潜ると広大な境内は常緑樹林の樹木が鬱蒼と茂っている。




「国栄石」というもの。後ろに石標に不動明王・七福神・金毘羅大権現とある。神宮寺があったようだ。



2018年の台風の影響で多数の倒木があったよう。昔はもっと参道の雰囲気は威厳があったのでしょうね。

参道は左に曲がると本殿になる古社で多いアプローチですね。



→拝殿、本殿@重文、八幡社@重文
本殿は、鎌倉時代の様式を残し、蟇股などの彫刻・色彩が美しい。参拝すると神様に一番近い場所にお酒が捧げられていた。参拝時も徒歩で5名ほどお参りしていたので、昔から地域の人に大事にされている神社なのだろう。




主祭神は、桓武天皇の父・光仁天皇
後に、天児屋根命、菅原道真が合祀
桓武天皇は、長岡京の南郊の地を選び、郊祀壇(こうしだん)を設けて、父の光仁天皇を天神(あまつかみ)として祀った
これは中国の皇帝が毎年冬至に都の南に天壇を設けて、天帝を祀る例にならったものなんだそうな
桓武天皇がこの地に、父光仁天皇を祀ったのは、この地が継体天皇即位地の樟葉宮伝承地であったことが最も大きな理由とも
右には八幡神社で継体天皇の祖になる応神天皇が祭神



石清水八幡宮の旧社殿じゃないかと思わずにはいられない素晴らしい社殿!屋根の流れ方と檜皮葺、蟇股や彫刻などが素晴らしい!!








八幡神社の祭神は応神天皇こと「誉田和気命(ホムタワケノミコト)」を祀る
造営年代は交野天神社よりやや下がり、小規模で簡素な造り
構造や形状は交野天神社に等しく、向拝の蟇股や彫刻が素晴らしい


→大神社
祭神は、天照大御神、神武天皇ですね。

→樟葉宮跡の杜
鎮守の杜では鳥の合唱が始まる。




→樟葉宮/貴船神社
関白左大臣 一条実経(1223~84)
『続古今和歌集』より
くもらしな 真澄の鏡 かけそふる 樟葉の宮の 春の夜の月

日本書紀
武烈天皇の死後、大連伴金村らによって越前の三国(今の福井県)から迎えられた男大迹王(継体天皇)は、507年樟葉で即位したとされる。このとき王の知己であった河内馬飼首荒籠が密使として活躍しており、即位には北河内を拠点とする馬飼部の大きな貢献があったと考えられている。
継体天皇は5年後、山背国筒城(京都府京田辺市近辺)、12年後に弟国(京都府長岡京市近辺)に移るが、大和国に入ったのは20年後である。大和に入った時は、武烈天皇の姉・手白香皇女を皇后とした。
古事記
樟葉宮以降については何も記載なし。樟葉宮跡と伝えられるのは、貴船神社のある小丘あたり。なお、関白左大臣一条実経は次のような歌を詠んでいる。
「くもらじな ますみの鏡 かけぞふる くずはの宮の 春の夜の月(続古今和歌集)」
続日本紀
交野に天の神を祀ったと書いています。





継体天皇が即位した樟葉宮の宮跡を祈念するために、当地の氏神であるタカオカミをこの地に遷して祀ったのがはじまり。社殿は、建立年代は不明だが、一間社流造、檜皮葺で、建築様式から桃山時代に遡る遺構だとか。

祭神はタカオカミ、継体天皇となっている。
案内板にはこの貴船神社はかつて「穂掛神社」と称し、村の産土神でもあり、本社社殿の辺りにあったものを樟葉宮跡であるこの地に遷したと伝えられていると記されていた。察するに、元々は貴船神社(穂掛神社)が本社で後に天神社が成立したとなるだろうか。
要は、元々は継体天皇の地で、長岡京・平安京遷都で、ここに父を祀ったと思われる。
ということだが、継体天皇が即位し、樟葉宮の場所と記載しているが、『五畿内志』、『河内名所図会』、『淀川両岸一覧』などには交野天神社を樟葉宮の跡地であるとする伝承・文書は記録されていないよう。一説には「片埜神社が交野天神社から由緒を奪って堺県へ報告し、それに負けない由緒が交野天神社に必要になったため、継体天皇との関係を主張し出した伝承である」という説がある。
▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記
京都八幡市の通常非公開寺院で秘仏公開!石清水八幡宮の仏像たち/継体天皇即位の場所◆京都八幡②大阪枚方①◆|やんまあ@旅行記
▼セットで行くところ
石清水八幡宮周辺ブラリ!真如寺&等持院◆◆京都八幡②大阪キタ⑤京都上京⑧右京⑮|やんまあ@宿・食 (note.com)
大阪に鎮座しているが京都で良いでしょう。
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