大須観音の本体はここ「北野神社」セットで行かないと片参り【愛知シリーズ/三河シリーズ/名古屋シリーズ】
日本屈指の活気あふれる門前町・大須。そのシンボルである「大須観音」のすぐ裏手に、静かに佇む北野神社をご存知でしょうか。実はこの神社、大須観音の山号「北野山」の由来となった、いわば大須の「はじまりの場所」でもあります。
かつては岐阜・羽島に鎮座し、菅原道真公直筆の画像を奉還したことから始まった歴史は、徳川家康公による名古屋城下への移転を経て、一大歓楽街の形成へと繋がっていきます。神仏分離や戦火を乗り越え、今なおこの地に息づく天神さまの足跡。今回は、知られざる「大須の原点」を紐解く歴史散歩へご案内します。
本宮は次のNOTEですね。
変更履歴
2026/03/13:初版
▼HP▼アクセス▼祭神・本尊と脇時
URL:
X:
アクセス:愛知県名古屋市中区大須2丁目12−21
祭神:菅原道真
▼見どころ
→由緒・歴史
次のNOTE「大須観音」の裏手に鎮座
もともとは大須観音の本体であるそうだ
大須観音の正式名は、北野山真福寺宝生院(きたのさん-しんぷくじ-ほうしょういん)で、この北野山は北野神社から来ている
昔は北野社または北野天満宮と称して、現・岐阜県羽島に鎮座
1324年:京都・北野天満宮(私のNOTE)より菅公直筆の画像を奉還し鎮座
道真直筆の画像は今も大須観音が持っているとする
1333年:大須観音の元になる、別当寺・真福寺を建てた
1344年:焼失
1610年:木曽川の洪水で流された
1612年:徳川家康が名古屋城下に移すよう命じた
真福寺と北野天満が同じ境内にある(『尾張名所図会』より)
真福寺の立派な本堂と五重塔があり、天神とある
隣には太子堂
名古屋城下時代は尾張藩の庇護もあって、真福寺は立派な寺になった
境内に芝居小屋が建てられ、門前町は一大歓楽街となり、後に旭遊郭へとつながっていく
再建されるも、第二次大戦の空襲でまたもすべて焼失
明治の神仏分離令で真福寺と分けられ、北野神社と改称した
→境内





→拝殿・本殿





→稲荷社:ウカノミタマ





▼メディア情報
これ以降は本NOTEの下にあるコメント欄で追記します。
▼旅行記▼セットで行くところ
◆愛知⑧◆いざ大須観音周辺へ!瀧山寺50年に一度の御開帳/瀧山東照宮復活!!|やんまあ@旅行記
未来の旅行記は次に記載されていきます。
愛知の神社仏閣は次のマガジンに追加していきます。
▼仏像展
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