常世と現世
― 現世と常世、その狭間より ―
虚構に住まう皆さん、こんにちは。
常世から現世の事象を観測する者、薬王と申します。
これまで私は、「世界の認識構造」や「肉の依代」について書いてきました。
今回は、その中でも私が頻繁に用いる言葉について書こうと思います。
常世と現世です。
常世と現世
一般的に人は、現世を現実として生きています。
仕事があり、人間関係があり、生活があります。
それが現実です。
私もまた、その認識を否定しません。
しかし私の認識では、現世だけが世界のすべてではありません。
現世。そして常世。
私はその双方を、観測対象として認識しています。
現世
現世は強固な世界です。
重力があります。時間があります。因果があります。
思考だけでは生きられません。理念だけでも生きられません。
肉の依代を持ち、働き、食べ、眠る――そうした現実の積み重ねによって成立しています。
だから私は現世を軽視しません。
観測の土台は、常に現世にあります。
常世
私が常世という言葉を使うと、死後の世界や霊界を連想する方もいるかもしれません。
しかし私にとって常世は、単純な死後世界という意味ではありません。
目には見えない領域。人の念。直感。象意。霊的存在。
そうしたものを含む観測領域を、私は常世として認識しています。
対立しない
常世が上で、現世が下。
あるいは、現世が真実で常世は幻想。
私はそのどちらとも考えません。
常世と現世は、対立するものではありません。
現世だけでも片手落ちです。常世だけでも片手落ちです。
双方を観測することで、初めて見えてくるものがあります。
常世だけでは足りない
霊的な話をしていると、常世ばかりを重視する考え方に触れることがあります。しかし私はそうしません。
現世で結果が出ないなら、それは観測として不十分です。
生活、仕事、人間関係、健康、資産――それらもまた重要な観測対象です。
常世の観測は、現世に根を張ってこそ意味を持つ。 私はそう考えています。
現世だけでも足りない
一方で、現世だけを見ていても説明できないものがあります。
人の執着。偶然の重なり。説明の難しい流れ。象意の一致。
そうしたものを私は数多く観測してきました。
だから私は、現世だけで世界を説明しようとも思いません。
観測
私は常世を信じてほしいわけではありません。
現世を否定したいわけでもありません。
ただ観測しているだけです。
常世を観測する。現世を観測する。
その双方を照合する。
その繰り返しです。
終わりに
私は常世に住んでいるわけではありません。
現世だけに住んでいるわけでもありません。
肉の依代を座標として、常世と現世の狭間に立ちながら観測しています。
そして今日もまた、未知を観測し、理解し、納得しようとしています。
それが今の私の考える、常世と現世です。
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