観測者はどのように形成されたか
― 現世と常世、その狭間より ―
虚構に住まう皆さん、こんにちは。
常世から現世の事象を観測する者、薬王と申します。
なぜ私が、現世と常世を観測するようになったのか。
それは――常世と現世は、本来切り離せないものだからです。
人は現世だけを生きているようでいて、実際には、念・欲望・執着・因果・流れといった、目に見えない構造の影響を受け続けています。
そして私は幼い頃から、その「見えない側」の存在を、強く意識していました。
土地と信仰の中で育つ
私の家紋や姓を辿ると、阿波忌部、三木の流れが見えてくる。
氏一党では伏見稲荷を祀り、祖父は戦前・戦後を通して、手すき和紙を生業としていた。
そうした土地と信仰の空気の中で育ち、私は幼い頃から「目に見えない側」への感覚を、自然と持つようになった。
やがてインターネットを通じ、実戦派の霊能力者二名と出会う。
気を操作する訓練、霊視の鍛錬――そうした実践を重ねる中で、私は神仏やその眷属の存在を視覚し、祓いの技術へと触れていくことになる。
民間陰陽道――いざなぎ流との接点も、この頃だった。
修験の道へ
その後、私は奈良へ拠点を移した。
そこで師僧と出会い、修験の道へ入り、金峯山寺にて得度する。
しかし今振り返ると、当時の私は「宗教」を求めていたというよりも、現世と常世の両方を理解するための「観測」を続けていたのかもしれない。
奈良へ移った頃、私はすでに、人間社会へ強い違和感を抱いていた。
同級生、世間体、比較、競争――人は常に、誰かと比較されながら生きている。
私はそうした構造を、どこか斜めから見ていた。
本来、修験とは遊行だ。
一つの場所、一つの価値観へ執着せず、流れ続けるものだと、私は考えていた。
だから当時の私は、人と深く関わらずに生きる方法を模索していた。
現世に飲み込まれる
しかしその後、関東で個人事業主をやらないかという誘いを受け、拠点を移すことになる。
個人事業主になったことで、人間社会との接触は避けられなくなった。
仕事、金、規模、拡大―― 若かった私は、少しずつ現世側へ引き寄せられていく。
そして気付けば、「遊行」という感覚は薄れ、人間の欲望構造へ深く飲み込まれていた。
今振り返ると、あの頃の私は完全に餓鬼化していたのだと思う。
祭壇の前で視たもの
私は祭壇の前で、神降ろしを行っていた。
ただ救われたかった。
欲望、執着、焦燥――現世側へ深く飲まれ、自分自身を見失っていた。
救われたい一心で祈念していた時、私は「それ」を視る。
私と同じ服装をした、何か。
当初、それが自身の生霊であるとは分からなかった。
ただ、自分自身に酷く似た"異物"として、そこに存在していた。
私は迷った。
それは祓うべきものなのか。
あるいは、祓ってはならないものなのか。
だから私は、ただ祈念した。
「もし祓うべきものならば、祓って頂きたい」と。
すると、それは私の霊障と共に、静かに消えていった。
観測者として
あの体験は、単なる霊障祓いではなかったのかもしれない。
私はその後、長い時間をかけて、自らの内面を観測し続けた。
欲望、承認、執着、恐怖―― 人間を餓鬼化させる構造を、自分自身の中に見続けた。
そして少しずつ、自らの内的構造を修正していく。
易を引き、時代を観測し、市場を観測し、人間を観測する。
さらにAIという知性拡張装置を用い、観測した構造を言語化していく。
そうして現在の「薬王」という観測体系へ至った。
私にとって、霊能とは特別な力ではない。
現世と常世、その両方を観測し続けるための、一つの感覚器官に過ぎないのかもしれない。
人は皆、それぞれの現世を生きている。
欲望に呑まれる者。 承認を求め続ける者。
静かに日々を生きる者。 現実だけを見て生きる者。
見えない側を感じながら生きる者。
それぞれが、それぞれの六道を歩いている。
私は、それを否定するつもりはない。
現世とは、本来そういう場所なのだと思う。
だから私は、救済者になろうとも、教祖になろうとも思っていない。
ただ、現世と常世、その狭間から、人間という存在を観測し続けている。
易を引き、時代を観測し、市場を観測し、人の欲望を観測する。
そして時に、自らの内側すら観測する。
信じる必要はない。 否定する必要もない。
見たい者だけが見ればいい。
私は今日もまた、虚構の中で燃え続ける"光"を観測している。
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