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すべては演劇という名の泡沫に消えた

青く寒い色がオレンジに染まる頃、私は近所の公園にいた。
隣の神社が公園と繋がっていて、私はその境目の階段に座っていた。
眺めているのはスマホの中の写真。
妻や息子が、こちらを向いて笑っている。
公園では、近所の子ども達が遊具で遊ぶ声で賑わう。

私は写真を撫でるようにタップして『選択』する。
途中で手が止まる。
しかし『選択』の手はまた動く。
いくつか選択しては消去。
それを延々数時間やっていた。

私の中の10数年。
その行動記録の一切を、私の中から全て消す。

楽しいかった?
悲しかった?
辛かった?
面白かった?

終わってみるとどれも違う。一言では結べない。
そのどれも含んだ、どれも含まない感情が私の中に溢れ出す。
写真のデータを火に焚べる度、私の目や鼻、脳が熱くなる。
唇が震える。
この感情はどう消去すればいいのだろう——?
寒風が吹き、目や鼻を冷ます。

写真にはブレた息子の顔やアイスクリームで顔を汚す息子の顔——。
開いてみると息子の顔ばかり取っていた。
そして私はあらゆる劇の中で、脇役を演じていた。
私の姿は写真には一切ない。
エンドロールのように画面をスクロールし、写真の消去を繰り返す。

処分が終わる頃にはGoogleアカウントのストレージが70%も空いていた。
つまり私の7割——結婚してから11年間をこれらに身を投じたということだ。
この数字は、身軽なのか、空虚なのか……。
窮屈を感じていた空間は、ぽっかり穴が空いていた。
ストレージの拡張を促す通知も今はない。
文字通り「必要なくなった」のだ。

すべての写真を消すころには、道の信号は点滅信号に変わっていた。
眠そうに黄色い灯りが瞬いている。
空は濃紺に変わり、藤色の雲が空にこびりついていた。
当然、子ども達の姿はどこにもない。
夜も更けて車もまばら。
大きな道路を信号無視して家路についた。

鉄製の扉を閉めると『あの家』ではなかった。
そこにあるのは、新しい自分の部屋だった。
全て自分で決めた、自分のための空間。
あるようでない、空っぽの空間。
私のスマホのようだ。

私はこれからここに思い出を埋めていく。
恐らく積もってゆくデータは、モノクロームのテキストデータ。
色彩豊かな写真が収まることはもうない。
そしてもう、あんなにデータを圧迫する日は来ないだろう。

私は賞味期限切れの固い食パンとウイスキーを腹に流し込む。
空虚な腹に入る安堵感。
同時に熱い緊張感が流れ込む。
私はこれから一人で生きる。

もうあの公演は二度と行われない。
一度きりのプレミアチケットだった。
全ては演劇という名の泡沫うたかたに消えた。
再演は二度とない。
劇団は解散したのだから……。

私は二杯目のウイスキーを片手に机に向かい、次なる演劇の台本のため、キーボードを叩いた。

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