【映画】エディントンへようこそ
「アリ・アスター映画」には好きなポイントが2つある。1つは”欧米”を形容するであろうものに唾を吐きまくっている点、もう1つはエンドロールが縦3列の静止画であっという間に終わってしまうところだ。
今作でアリ・アスター監督が中指を立てたのは、コロナ禍が始まり、混乱の真っ只中にあった2020年のアメリカだった。その中指の立てっぷりったら、地球から太陽まで届いてしまいそうなほどだ。
もう嫌な咳と鼻水しかしていない、暴言を吐き垂らす謎の老人。頑なに「エディントンにはコロナは持ち込まれていない」と主張する保安官、陰謀論にハマりまくってる義理の母、街にテック産業を誘致しようとしている市長・・・
おそらく、これらのキャラクター造形は「アメリカ」に暮らしている人ならすぐにピンとくるのだろう。日本に住んでいる僕が迂闊に触れると、誤った解釈で映画を捉えかねない要素が山のように出てくる。公式のネタバレコラムはパスワードで保護されており、現在も閲覧することができない。なので、noteで解説・考察をされている方の記事があったので引用しておく。(ネタバレ注意!)
知識や社会風刺の意味は引用した記事にお任せして、ここからは僕が感じたことを書くと、始まった瞬間からな〜んか嫌、っていう感覚がず〜っと続くといった感じだ。これがこの監督が生み出す作品の醍醐味でもあるのだが。この映画で現実のアメリカを判断するのは危険な気がするが、すごいなアメリカ。権利主張への熱というか、どっからくるのその原罪意識?というか。そんなに英雄でいたい人で溢れているのだろうか?確かに”主張する”ことが美徳とされる国だと聞いてはいたが、ここまで誇張されて描かれると困惑してしまった。
この映画は最後まで「主張!」「主張!」「主張!」「主張!」「なんだオメェ!」「うっせぇ黙れ」「んだゴラァ」「ぶっ殺したらぁ」の繰り返しである。そして、そんな主張の熱狂を生み出すSNS文化にも盛大なファッキン中指をお見舞いしているのである。スマホ片手に人命救助。まるで悪夢のようなシーンだ。「俺が」「私が」・・・。画面が切り取る現実は、自己主張のための手段へと早変わりする。UIがまるっきりiPhoneなのも個人的に面白かったところ。こういう作品にはiPhone使っていいのね。
この映画のジャンルは「スリラー」に当たるらしい。でも、僕はこの映画を「超⭐︎ブラックコメディ」として扱いたい。人が死んだり飛び散ったりするが、「ほらね!こうなったでしょ!」という監督の声が聞こえてくるような気がするのだ。
そして、後味の悪い「チャンチャン♪」で物語は幕を閉じる。
年始はアリ・アスターで決まりだね!
いいなと思ったら応援しよう!
ここまで読んでいただきありがとうございました.
よろしければフォロー/投げ銭お願いいたします.
