言わなければよかった、とは今も思えない
言わなければよかった、とは今も思えない
大学生の頃の話だ。
派遣の仕事をしている友人A子(20歳)が、ある日うれしそうに恋の報告をしてきた。
「彼氏できたんだよね」
その時点では、よくある話だった。
けれど、話を聞いているうちに空気が変わった。
相手は同じ職場の40代。しかも既婚者で、子どもが2人いるという。
さらにA子は続けた。
「奥さんより可愛いって言われたんだよね」
「今度、泊まりで旅行行くんだ」
誇らしげだった。
私は、その場でどう返すべきか、瞬時に選択を迫られた。
選択肢はいくつかあった。
やんわり止めようとすれば、嫉妬と受け取られる。
適当に相槌を打てば、何も変わらない。
距離を置けば、それはただの逃げだ。
「既婚者よりも、A子ちゃんを大切にしてくれる人のほうがいいと思う。そんなやつにA子ちゃんはもったいないよ」
そう言ってしまった。
自分では、かなり配慮したつもりだった。
否定ではなく、A子の価値を持ち上げる形にした。 遠回しに伝えたつもりだった。
でも、結果は違った。
思ったような反応がもらえなくて、不快だったのだろう。
A子は激怒し、テーブルのアイスコーヒーを私の頭にぶちまけた。
「二度と話しかけないで」
そう言ってそのままお茶会の途中で帰ってしまった。
頭からコーヒーの生ぬるい雫が垂れる。
白いカットソーが茶色いシミだらけになっていた。
状況だけ見れば、少し笑えるくらいにはドラマチックだった。
でも、そのときの私は、ただ呆然としていた。
衝撃でしばらく動けなかった。
私はただ、心配だった。
A子が傷つく未来が、あまりにも見えていたから。
既婚者との関係が、きれいに終わる可能性は低い。
都合のいい存在になるか、関係が露見して誰かが傷つくか。
どちらにしても、穏やかな結末は想像しにくかった。
だから止めたかった。
でも結局、私は何も止められなかった。
今でも思う。
こういう話を持ちかけられたとき、どうするのが正解だったのか。
おそらく、「正解」はない。
そもそも、聞く耳を持つ人は、不倫を“自慢”という形で持ち込まない。
つまりその時点で、説得の余地はほとんどないのだ。
正論は、正しい。
でも、正しいからといって、人が動くわけではない。
むしろ、自分の選択を肯定してほしいときほど、 人は正論を拒絶する。
あのときの私は、
「正しいことを、傷つけない形で伝えれば届く」
と、どこかで思っていた。
でも実際には、
“どれだけ言い方を工夫しても、届かないときは届かない”
それが現実だった。
あれから私は、
人の選択を止めようとすることを、少しだけ諦めた。
代わりに、
「この人が戻ってきたとき、受け止められる距離にいるか」
を考えるようになった。
何も言わない優しさと、 言ってしまう不器用さのあいだで、
今もまだ、答えは出ていない。
正論は人を救わない。
でも、だからといって、何も思わない人間にもなれない。
お茶会のあとに残ったあの生ぬるい正論のシミは、
たぶんこれからも、完全には抜けないのだと思う。

