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親に進路を握られた高校生が、原稿用紙数百枚を書いて挑んだ話


敗者の処女作


高校二年の頃のことだ。
私は文学部へ進学したかった。本が好きだった。図書館も好きだった。大学では哲学を学び、司書資格を取って静かな書架の間にいる未来を、ぼんやりと描いていた。

しかし親は大反対した。
「そんな学部に行ってどうするの」
「仕事はあるの」
「将来困るでしょう」

それまで何となくかわしてきた親子関係が、このとき初めて真正面からぶつかった。話し合いは平行線になり、親の指示に従えないなら学費を出さないと言われた。

私は追い詰められた。

文学部へ進むには、親を納得させる理由が必要だった。

好きだから。
学びたいから。

そんなものは理由として認められなかった。

親には親の「理想」があり、私はそれを構成するパーツだったからだ。感情よりも機能が優先されていた。洗濯機が洗濯したくないなどと言えないのと、同じ理屈である。

だから私は別の理由を作ろうとした。高校生だった私は、ひどく単純な結論にたどり着く。

作家として才能を証明すればいい。

今思えば無茶苦茶である。
それまで小説など一度も書いたことがなかった。それなのに夏休みの一か月間を使い、原稿用紙数百枚の長編ミステリーを書き上げた。朝から晩まで机に向かった。設定をノートにびっしり書き込み、鉛筆が擦れて小指はいつも真っ黒だった。昼夜の感覚が溶け、指先が痛むのも忘れて没頭した。

締切日ギリギリまで粘って直し続け、夜の11時半にこっそり家を抜け出し、自転車で街で一番大きな郵便局へ持っていった。その日の消印が押されたのを確認した瞬間、膝から力が抜けた。

佳作でもいい。

とにかく何か賞に引っかかれば文学部へ進める。私にとっては進路を賭けた戦いだった。

どうしても自分の人生を自分で選びたかったのだ。

結果発表の日。

私は驚くことになる。

一次を通過した。名前を見つけたとき、本屋の中でガッツポーズをした。

二次も通過した。完全な素人の処女作だったのに。私は完全に浮かれていた。

もしかしたら。

本当に文学部にいけるかもしれない。そんな期待を抱いた。

しかし三次選考で私の名前は消えた。出版社から連絡が来ることもなかった。

戦いは終わった。
私は負けた。

親は学費を握っていた。
進学先を選ぶ力も握っていた。

負けを悟ったとき、スッと心が冷えていくような諦めを知った。

本屋からの帰り道、憎らしいほど空が青かったのを覚えている。

私の力ではどうにもならないこともある。親に従うしかない自分が、どうしようもなく無力だった。

結局私は親の言う通りの学部へ進学した。

資格も取った。
親は安心したようだった。将来困らないこと。安定した仕事に就けること。それが親にとって重要だった。
一方で、私がその仕事をしたいと思っているかどうかは、最後まで話題にならなかった。

親には親なりの正しさがあったのだと思う。

ただ、その正しさの中に私自身の希望が入り込む余地は、あまりなかった。

私は卒業後、その資格を使わなかった。それが反抗だったのか、自衛だったのかは分からない。

ただ、自分の人生だけは自分で決めたいと思った。

その頃にはもう、人に進路を委ねる怖さを十分知っていた。

結局私は司書にはなれなかった。
図書館で働く未来も失った。高校二年の夏に書いた処女作も、賞には届かなかった。その後すっかり執筆もやめてしまった。文学部へ行くという目的を失った途端、書く理由も消えたからだ。

それなのに今、私はまた文章を書いている。あの夏がなければ、私は今も書いていなかっただろう。

あの敗北は、本当に敗北だったのだろうか。

答えは分からない。
あの夏、必死に書いた少女は。 

きっと今の私を見たら、少しだけ笑うと思う。





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