【書評】汚泥に華咲く境界人の舞台 ─平坂純一著『最後の異端者 評伝 美輪明宏』
美輪明宏といへば、近年テレビのバラエティ番組でも登場する機会がしばしばあり、スピリチュアルな発言や視聴者の悩み相談まで答へる「金髪ロングヘア」の姿を想ひうかべる人も少なくないだらう。
或いは数年前の紅白歌合戦で、「ヨイトマケの唄」を熱唱する姿を鮮烈に目に焼きつけてゐる人もゐるかもしれない。
そんな中で、ここ四半世紀の美輪の演目に欠かさず足を運び続けたといふ著者は、一過性の〝ファン〟を超える傾倒ぶりを隠してゐない。
〝戦後八十年〟にあたる本年、近年稀に見る昭和ブームに溢れてゐるが、著者は現在の「たけし・とんねるず・ダウンタウン」に象徴される「バブル期の残滓」に対して、誰よりも違和感を示してゐる。
昭和十年生まれの美輪明宏は、今年で丁度生誕九十年を迎へる。
まさに〝昭和百年〟を語るにあたり、最も適した人物といへるが、そんなレジェンド的存在が、今なほ現役であることに改めて驚かざるをえない。
その才覚は早くから森繁久弥に見出され、アングラ演劇の旗手でもあつた寺山修司や三島由紀夫にも戯曲を捧げられた。
さらに野田秀樹や宮崎駿といった後続する創作家の作品にも霊感を与へてゐる。
美輪明宏が生まれたのは、「五島列島が花綵の装飾のように異国の文化に彩られた街を囲み小宇宙を形作った」長崎の歓楽街である。
そんな「異国情緒に囲まれたブルジョアの生活」が、彼の「文化主義的なリベルタン」を形成することになる。
ところが昭和十年代、次第に悪化する戦局とともに、これまでの生活は一変する。
美輪は雲仙市の千々石への疎開を余儀なくされ、音楽から映画、舞台にいたるまで、藝文の世界は軍国主義一辺倒。
「戦前のモダンな抒情性」は、一掃されることになる。
さらに昭和二十年八月九日。
長崎への原爆投下は、彼の故郷を爆風とともに焼き払つた。
この世の地獄ともいへる光景を目の当たりにした美輪自身、後年原爆の後遺症にも悩まされた。
プロテスト・ソングともいふべき「ふるさとの空の下へ」は、さうした美輪の被爆体験が元になつてゐる。
当初はオペラ歌手を夢見た美輪が上京したのは、昭和二十六年のことである。
やがてシャンソンに目をつけた彼は、「ブランスウィック」といふ銀座のゲイ喫茶でボーイのアルバイトを始める。
その時常客として指名してきた三島由紀夫に対しても、美輪は「ふん、何が天才だよ!」と吐き捨てたといふ。
そんな彼に、早くも翌年大きな転機が訪れる。
シャンソン喫茶「銀巴里」で、歌手としてデビューすることになつたのである。
日本が主権を回復したこの年、文化の復興とともに、世界的なシャンソンブームが到来した。
銀巴里の常連客には、三島のほか、吉行淳之介や江戸川乱歩の姿もあつた。野坂昭如もこの店でバーテンダーを務めた一人である。
最初のブームを巻き起こした「メケメケ」は、シャルル・アズナブールが作詞した船乗りと島の娘の恋唄を、美輪自らが訳したものである。
この言文一致で誰もが楽しめるシャンソンについて、著者は文学における二葉亭四迷以来の創造を見出してゐる。
本書では、美輪が唄つたシャンソンの名曲の数々が、著者自身の手によつて訳出され、仏文学者としての著者の本領が遺憾なく発揮されてゐる。
読者はここに上田敏『海潮音』以来の訳詩文化が、今なほ息づいてゐることを確認することができるだらう。
人気に火が付き、映画界にも進出した美輪だが、やがて同性愛のカミングアウトを機に、エンタメ界の表舞台から身を引くことを余儀なくされる。
その頃の美輪が、夭折した日活スタア・赤木圭一郎からプロポーズされたことを知つたのも、本書を通してである。
赤木の死に落胆して「トニーの唄」で鎮魂した彼を、挑発的に励ましたのが三島由紀夫だつたことにも、昭和ならではのドラマを感じさせる。
そんな美輪に再び脚光が当たる日が来る。
「ヨイトマケの唄」の大ヒットである。「母子の無性〔償〕の愛を表現した」この唄に、著者は「美輪の日本回帰」を見出してゐるが、同時に「フランスのシャンソンに影響を受けた美輪が日本の民謡に接合させ、昇華させた歌」であることも見落としてゐない。
そのほか本書には、戦後の新左翼運動をはじめ、シャンソンやアングラ演劇、日本映画などについても独自の考察が試みられてゐる。
AIによる解析やネット上のまとめ記事はもちろん、凡百の事典類にはないこれらの解説は、すべて著者自身が木戸銭払つて通ひ続けた劇場や現場での取材、圧倒的な読書量によつて得られたもので、本書が類書にない〝昭和文化宝典〟となつてゐることも付け加へておく。
終盤では、〝LGBT〟といふ、令和の現代ならではのトピックにも筆を延ばしてゐる。
評者はこの問題について何の識見も持ち合はせてゐないが、果たしてこれを法的に〝制度化〟することが、当事者にとつて根本的な解決につながつていくのか。
「美輪は紅白の『白組』だからこそ輝く」といふ著者の視点は、公共の電波やネット論壇では、決して伺ふことのない至言を投げかけてゐる。
中曽根康弘に「そんなに海軍魂とやらが大層なものだったら、なんで負けたんですか」と言ひ放つ美輪明宏は、政治的には〝社民的な護憲派〟といふことにならうか。
そんな彼が、『文化防衛論』を著し、蹶起行動に走つた三島由紀夫と、何故深く〝共振〟することができたのか。
この辺りについての独自の分析も、本書の読ませどころの一つとなつてゐる。
美輪を「日本浪曼派・最後の泰斗」と位置づける著者だが、本書で繰り返し、戦前の洋楽文化を広めた「音楽エリート」はもちろん、物質的な豊かさを追ひ求めた団塊世代以降の戦後文化、そして何よりも「自民とアメリカの手打ちでできた」〝五十五年体制派〟に対して、容赦なく斬り捨ててゐ
る。
その意味では、明らかに旧時代的な日本の〝保守〟とは一線を画してゐる。この辺については、冷戦下の戦後の保守論壇に真つ向から叛旗を翻し、〝新保守〟を名乗つた西部邁とも、相通じるものがあるのかもしれない。
美輪が日蓮宗の熱心な信徒であることを、教へてくれたのも本書である。
著者がいふやうに、美輪がこの一代で、とても常人技とは思へないほどの大仕事を成し遂げることができた根柢に、一般には理解しがたい信仰や霊感の力があつたことは間違ひないだらう。
もしかすると〝現実と虚構を彷徨うマージナルマン(境界人)〟としての美輪にとつて、舞台とは、汚泥にまみれたこの現世に、蓮の華を咲かせる浄土そのものなのではなかつたか─そんな妄想を膨らませながら、この稿の筆を擱くことにする。
(扶桑社、令和七年十月一日刊、定価一七六〇円)
初出:『国体文化』令和七年十二月号
