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都市再生における「バザール」の可能性:設計主義からの脱却と「薄いルール」の実装


「伽藍とバザール」「バザールとクラブ」


 都市部のコミュニティをどう再生していくか――それは、かつて地縁や血縁によって自然に支えられていた強固な共同体が解体されたあと、新たなかたちの「公」をどのように編み直すのか、という問いでもあります。簡単な答えがある問題ではありませんが、この難題を考えるうえで、少し意外に思える二つの思想が、よい手がかりを与えてくれます。ひとつはエリック・レイモンドの提示したソフトウェア開発モデルとしての「バザール」、もうひとつはリチャード・ローティーが語った「バザールとクラブ」という政治哲学的な整理です。
 

バザールとしての都市再生

 レイモンドが「バザール」と対比させた「伽藍」という概念は、都市計画の世界に置き換えると、マスタープランを起点とするトップダウン型の都市づくりに重ねて考えることができます。用途地域制や詳細な法規制によって、あらかじめ完成図を描き、その通りに空間を配置していく。そこでは行政が一種の「特権的な建築家」となり、住民は完成した都市を利用する側に回ります。このやり方は、一定の秩序や予測可能性をもたらしてきましたが、変化のスピードが速い現代の都市では、現実とのズレや、住民の関心の薄れといった「不具合」を抱えやすくなっているのも事実です。
 
 これに対してレイモンドのいう「バザール」は、都市をもっと未完成で、更新され続けるものとして捉え直す視点を与えてくれます。都市を、住民一人ひとりが小さなパッチを当て続けるオープンソースのプロジェクトだと考えてみる。行政が一律に線を引くのではなく、住民が空き地を活用したり、小さな活動を立ち上げたりする。そうした分散的な試みが重なり合うことで、結果として都市全体が調整され、育っていく。ここで行政に求められる役割も、「すべてを設計する主体」から、試行錯誤が行われるための土台を整える「プラットフォーム提供者」へと、少しずつ変わっていきます。

「薄いルール」としてのバザール

 もっとも、自由な交流や自発性が広がる場には、価値観の衝突というリスクも避けられません。この点で示唆的なのが、ローティーの議論です。ローティーは、多様な人々が共に生きるためには、公的な場――彼の言葉でいえば「バザール」では、各人が抱く宗教的信念や哲学的真理の主張を、いったん脇に置くことが大切だと述べました。それらは否定されるのではなく、「クラブ」と呼ばれる私的で親密な領域で、存分に深められるべきものだ、というわけです。都市コミュニティにおけるバザールの強みは、こうした「深入りしすぎない」関係性を、薄いルールによって支え、排他性に陥らない共存の場を確保できる点にあります。
 
 このローティーのいう「薄いルール」を、現代の管理規約や条例に翻訳するとき、重要になるのは、目的を細かく書き込むことよりも、手続きが開かれていることです。従来の規約が「何をすべきか」という正解を示す「厚いルール」だったとすれば、バザール的な規約は、「お互いの活動が衝突しないための調整の仕方」を共有することに重心を置きます。用途を厳格に限定する代わりに、騒音や排気など、他者に深刻な影響を与えない限り活動内容は問わない、といったネガティブ・リスト型の考え方です。また条例においても、一律の禁止を並べるのではなく、住民同士の対話や合意形成のプロセスを制度として位置づけ、合意が得られれば一時的に規制を緩められる余白を残す。あわせて、問題が生じた場合に「止める」判断を素早く行える仕組みを明確にしておくことも欠かせません。

試行錯誤のための都市コミュニティー

 こうして見ると、都市再生におけるバザール的アプローチとは、硬直した「伽藍=マスタープラン」による統治を少し緩めつつ、個々人の私的な情熱や関心(クラブ)を尊重し、それらを実利的で暫定的な協力関係(バザール)へとつないでいく試みだと言えるでしょう。法制度が完成形を押し付けるのではなく、住民による試行錯誤や修正を受け止める「手続きとしての薄さ」を備えたとき、都市は再び、呼吸するような生命力を取り戻していくのではないでしょうか。