ポケットパークについて改めて考えてみる
狭小公園とタクティカル・アーバニズム
江戸川区もそうなのだが、東京の住宅密集地を歩くと、住宅の合間に突如として現れるそれほど大きくない「公園」に遭遇する。あまり遊具もなく、公園というよりも空き地という雰囲気となっている。
「ポケットパーク」と呼ばれるそういった公園は、都市計画上は延焼防止の使命を担うが、日常的には「誰のものでもない場所」となっており、昼間は子どもが遊んでいる訳でもないし、夜には不審者への不安や管理不全を招き、住民の悩みの種となっている。
こういった狭小公園は、土地の売り物があると行政が買い取って設置するというもののため、明瞭な計画的に基づいて設置されるというものでもないらしく、周辺住民の総意を完全に反映するという訳にもいかないのだろう。それでは、周辺住民の無関心を生み出しても致しかたない面がある
この「命を守るための空間」を日常生活のための地域リソースに変える鍵が、市民主体で小さな試みを積み重ね、空間を暫定的に使いこなす手法「タクティカル・アーバニズム」なのではなかろうか。
親水公園・緑道のサテライトとして
江戸川区のまちづくりの特長は、かつての生活用水路を再生させた「親水公園・親水緑道」のネットワークにある。この豊かな水辺の動線を活かし、孤立したポケットパークを緑道の「サテライト(分室)」と位置づけることで、路地裏への誘導と新たな賑わいをデザインできるはずだ。
例えば、緑道の要所に案内サインを設置し、路面ペイントで歩行者を誘う。さらに訪れる「インセンティブ」として、緑道にはない独自の機能を付与する。緑道が「歩く道」なら、ここは「留まるため」の小規模図書室(本箱)や屋外ワークスペースとするのだ。特定のパークを巡るスタンプラリーや、住民が鉢植えを並べるコミュニティ・ガーデンとして開放すれば、散策者には訪れる理由が生まれ、住民には「街路の目」による防犯性と誇りが宿る。
水害対策拠点として
このネットワーク化が真価を発揮するのは、水害という有事の際である。
広域避難が推奨されるゼロメートル地帯の江戸川区において、孤立していたこれらの空間を「災害対策拠点網の末端」や「垂直避難の予備拠点」として再定義しみると有効なのではないだろうか。
例えば、日常は掲示板として使われる構造物を、浸水時には「救助ボートの係留ポイント」や垂直避難時に使われる「避難用タラップ(設置場所)」へと変貌させる。また、水位計を兼ねるアートオブジェを設置すれば、日常は環境教育の場となり、増水時には一目で危険を知らせるシグナルとなる。
自分たちの庭とするために
こうした活用を定着させるには、住民による「日常的な占有」が不可欠である。週末の移動式カフェや、高床式のプランターによる菜園づくり。こうした活動を通じて、住民がそこを「自分たちの庭」と認識すれば、有事の際も「どこに誰がいるか」という互助の精神が自然と働く。
設備面でも、普段の「かまどベンチ」は火災時の炊き出し拠点となり、ソーラー街灯は停電時のスマホ充電やWi-Fi拠点として、孤立した住民を情報で繋ぐ命綱となる。
ポケットパークを単なる「空地」にしておくのはあまりに勿体ない。親水緑道という動脈から人を呼び込み、水害から命を繋ぐ「路地の浮島」として使い倒すこと。タクティカルな視点で路地裏を耕し、日常の賑わいと非常時の安全を両立させることで、孤立していた空間は、江戸川区らしい豊かさと強さを備えた「地域の希望」へと進化を遂げるはずである。
