太陽の塔に見守られて
出身は三重県だが、学生時から大阪に住んでいたので
屋外の彫刻といえば、やはり太陽の塔を思い浮かべる。
彫刻というより、建築という方が正しいかもしれない。
そこには、おどろくべき壮大な空間が内包されている。


太陽の塔は1970年に万国博覧会のパビリオンとして
完成した。内部も展示空間であったが、あくまでも
仮設建築物であり、期間限定の公開が前提であった。
万博が終わった後、愛されたこの塔は取り壊される
ことなく残された。他のあらゆる施設が取り壊され、
今、万博に残るのは太陽の塔を含めた数点である。
2018年に改修工事が始まる。そもそも仮設建築物
として作られた建物が手を加えられることなく、
40年以上建っていたことが奇跡かのように思う。
いや、当時の技術者の先見性なのだろう。高さ70m、
伸ばした両腕は25mもある。阪神大震災にも耐え、
1970年からずっと大阪を見守り続けてくれている。
改修工事は耐震補強もさることながら、仮設建築物
であるために一般の人が入れない状態から、展示場
としての建築物に用途を変えることも主題であった。
本当にそんなことができるのかと思うが、この時代
の技術と、当時の技術者の工夫の賜物だったと思う。
無事改修工事が完了し、一般公開された太陽の塔は、
予約をすれば内部見学が可能である。内部に広がる
空間に、ただ唖然とするばかりだ。25mの腕を支える
鉄骨のトラスは、それだけで芸術作品のようでもある。
岡本太郎の自由奔放なデザインを実現させた技術力。
これこそ、万博がテーマとした進歩と調和を物語って
いるかと思う。対立からは生まれない作品である。

参照:読売KODOMO新聞

モノレールから眺める景色。いつもの太陽の塔だ。
大阪に帰れば、いつもの物言いたげな顔に会える。
太陽の塔は50年以上、ずっと怒っているのである。
進歩と調和がテーマの万国博覧会というお祭りに。
お祭りでなく人類と未来について深く考える時だと。

参照:「太陽の塔」オフィシャルサイト(大阪府日本万国博覧会記念公園事務所)
岡本太郎は抗った。明るい未来のお祭り騒ぎに。
進歩と調和だけでなく、人間本来の姿を見据え、
丹下健三によって、設計されていた大屋根を
ぶち抜く、べらぼうなものをつくることで。
そんなに大きな屋根をつくるのであるならば、
それをでっかい塔でぶちぬいてやろうなんて、
スケールが大きすぎる。世界中から数え切れない
程の人が集まるイベントで、自分の純粋な発想
を実現させてしまう無尽蔵のエネルギーである。
結果的に万博は大成功に終わる。岡本太郎の思いは、
誰に届いたのだろうか。きっと誰かに届いている。
太陽の塔は残っているのだから。岡本太郎の思いとは
異なる形かもしれない。でも、太陽の塔はそこにある。
今までも、これからも。その不機嫌な顔で、大阪を、
私たちを、そして未来をずっと見守ってくれている。
