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西南戦争で行われた高瀬の戦い

熊本藩の米の集積場と大阪への移出のための港である
高瀬船着場跡の風景に出会った。案内看板には集積場
としての米蔵は、西南の役で焼失と記載されていた。

明治10年(1877年)におこった西南の役ともよばれた
日本最後の内戦、西南戦争。高瀬の町は西郷隆盛が盟主
となって戦った激戦地であるようだ。激戦の名の通り
鹿児島から北を目指した西郷軍は、高瀬の敗戦を境に
敗走が続いて、最後は鹿児島の地で滅びることとなる。

そんな歴史の転換点にもなった場所で、知らずと空を
見上げていたようだ。繁根木八幡宮付近も大きな戦い
があった場所で、石垣に銃弾の跡も残っているという。
その地の歴史を知れば、また違った風景も見えてくる。


神社の前に設置された西南戦争での高瀬の戦いの図
繁根木八幡宮鳥居は慶安5年(1652年)に建造されたもの
阿形(あぎょう)の狛犬の対面には
吽形(うんぎょう)の狛犬。迫力のある佇まい
明神鳥居という島木の両側が上がり反る形のもの
神社を取り囲む樹木に神聖な空気を感じる
参道を進むと先には繁根木八幡宮の随神門。高さ12mもある
立派な二層造の楼門は江戸時代初期に建造されたものという
桃山様式の華麗な欄干彫刻が見どころと紹介されている
建物のまわりをぐるりと設置された彫刻。様々な意匠の木鼻も
確かに今までみた中でも、かなり精巧な造りだ
欄干には龍の姿の彫刻も。来年の干支もこつこつ集めよう
楼門を抜け、拝殿へと進む。いつものように参拝を
繁根木八幡宮は、応和元年(961年)に大野別府の総鎮守
として京都の岩清水八幡宮から勧請したと伝えられている
本殿のまわりにはまだ赤い紅葉が残っている
横には別のお堂も。境内の木々に囲まれた落ち着く空間
紅葉は赤い屋根のように木陰をつくる
神社の風景や建築を楽しみながら
境内をぐるりと散策する
また楼門をくぐって、もと来た参道を引き返そう
鳥居の内側には流れるおだやか空気が流れている


玉名駅から始まった旅。道の途中で目にした鳥居と
奥の立派な楼門が気になって戻ってきた。結果的には
高瀬船着場跡で知った西南戦争を知ることになった。

繁根木八幡宮には、西南戦争時に官軍の本営が置かれ、
多くの兵士があふれたという。そして、高瀬の戦いで、
西郷隆盛からかわいがられていた末弟の西郷小兵衛
は31歳で命を落とした。西郷軍は敗戦し高瀬より北に
進むことはなかった。この穏やかな町に壮絶な歴史が
刻まれている。そんな歴史にふれる旅の楽しみもある。

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