西南戦争で行われた高瀬の戦い
熊本藩の米の集積場と大阪への移出のための港である
高瀬船着場跡の風景に出会った。案内看板には集積場
としての米蔵は、西南の役で焼失と記載されていた。
明治10年(1877年)におこった西南の役ともよばれた
日本最後の内戦、西南戦争。高瀬の町は西郷隆盛が盟主
となって戦った激戦地であるようだ。激戦の名の通り
鹿児島から北を目指した西郷軍は、高瀬の敗戦を境に
敗走が続いて、最後は鹿児島の地で滅びることとなる。
そんな歴史の転換点にもなった場所で、知らずと空を
見上げていたようだ。繁根木八幡宮付近も大きな戦い
があった場所で、石垣に銃弾の跡も残っているという。
その地の歴史を知れば、また違った風景も見えてくる。














として京都の岩清水八幡宮から勧請したと伝えられている







玉名駅から始まった旅。道の途中で目にした鳥居と
奥の立派な楼門が気になって戻ってきた。結果的には
高瀬船着場跡で知った西南戦争を知ることになった。
繁根木八幡宮には、西南戦争時に官軍の本営が置かれ、
多くの兵士があふれたという。そして、高瀬の戦いで、
西郷隆盛からかわいがられていた末弟の西郷小兵衛
は31歳で命を落とした。西郷軍は敗戦し高瀬より北に
進むことはなかった。この穏やかな町に壮絶な歴史が
刻まれている。そんな歴史にふれる旅の楽しみもある。
