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旅は日常に溶け込むように

子供たちの楽しげな声に目を覚ました。
博多から大阪へと向かう新幹線の車窓からは、
遠くの山並みが、雲の連なりが、ゆっくり流れていく。

二年半過ごした九州の風景をぼんやり思い浮かべる。
九州の最後の夜には、白糸、百年蔵、萬代と、九州の
地で出会った日本酒をこころおきなく味わった。

また、いいちこ、二階堂の焼酎は小石原、唐津
の陶器とともに日常に溶け込んでいた。
壱岐の二条大麦の風景、糸島の山田錦の稲穂、
透き通るお酒の向こうに九州の風景が重なる。
その道を曲がった先にぽつりと咲く花。
坂を登り切った先に広がる海。

旅の風景を重ねながら、旅がいかに生活の
全体を、包み込んでいたかと感じている。

私にとっての沼は、旅と日常の連鎖。

旅を始めたきっかけは、九州への単身赴任だった。
週末にはさまざまな場所へ、日帰りの旅を繰り返した。

思い起こせば、危険な予兆はあった。
壱岐島の断崖絶壁で写真に夢中になっていたら、
振り返ればすぐ下に崖があった。
八女の茶畑に向かう途中、なんとかもう少し先へ
進み、結局は行き止まりになって途方にもくれた。

そして、文字通り沼にはまったことを思い出す。

暗闇の中、進んだ先に足がつかず、気づけば背中に
冷たいものを感じた。水路に落ちたようだ。まずい
状況だと頭では理解できるが、体がついていかない。
特急の時間が刻一刻と迫り、間に合わなければ、
とつい焦ってしまった。きっと旅に盲目になって
いたに違いない。その旅自体が、もしかしたら沼の
ようだったのかもしれない。

そして二ヶ月後、また元気に旅を始めた。
ヒビの入った右腕を三角巾で支えながら、九州の地
を二十キロ歩いた。旅はすでに日常の中にあって、
腕の痛みを感じるよりも先に足が動く。

まだ自転車には乗れず、島原へも歩いて旅した。
ようやく痛い腕をかばいながら九十九島へも。
その頃には小さな自転車で、安全には気をつけて。
我ながら旅にはまっていたのだと思う。
九州で過ごした2年半は本当に幸せな日々だった。

文字通りに旅先で、沼のような水路にはまったことは、
かけがえのない日々への、旅への思いを強くした。

私にとっての旅は日々の中に、日々の中に旅はある。
朝起きれば、窓から差し込む光に、どこかの光を思い、
通勤途中の花に、大きなひとつの旅のようでもあった
福岡での生活を思い出す。日々の夕日の鮮やかさに、
九州で見た赤々とした夕日を重ねる。
そしてその瞬間、また心はうずうずと、どこかに
飛び出して行きたくなるような気持ちとなる。


私が旅と日常という沼にはまったのは、この
日々の記録の存在が大きいのかもしれない。
見た風景を言語化し、文字を重ねることにより
私の中での記憶は定着し、それが言葉となって、
次の旅へとつながっていく。
そして旅は次々と、言葉は絡み合いながら、複雑
に私の記憶の中で、沼のように広がっていく。

私はその沼に足を踏み入れて、抜け出せないでいる。
自分が文章を綴るほどに、旅と日常という沼の深み
にはまっていく。その沼は底なしのように。
私が旅を続ける限り、この沼の中で、もがき、
楽しみながら、言葉を探し、重ねていくのだろう。

いつしか旅をするということが、旅を
記録するということにつながっていた。
記録することは、言葉を連ねるということ。
そして言葉は、日々の中に浮遊しているもの。
目に見えない、ただよう何かを捕まえたい。
旅先で、それらをとらえ、何かを言語化
したいという欲望にかきたてられている。

振り返れば、
日々の通勤の中の木漏れ日、雨上がりの水たまり、
川面にきらめく太陽に、言葉は浮遊していた。
私にとっての旅は、自分の視点を書き換えて、
風景を再構築することであり、それが日常の風景
へと広がっていくのを感じている。

旅は、ひとつひとつ積み上げていくものではなく、
重なりあい、じわりと入り混じって溶け合いながら、
私の中におぼろげに広がっていく感覚。

自分の旅の記憶とともに訪れた場所で出会った
建物、自然、光、そのすべてを私の目を通して捉え、
そのつながりを感じながら綴っている。
せわしなく駆け抜ける旅もあれば、ゆったりと
流れる時間に身を任せる旅もある。
そのスピードによって、目に映る景色も変わる。

私は旅という思考に浸かり、行く先々の風景と、そこに
つながる日常の風景を、自分の視点を通して編み込ん
でいく。旅をすればするほど、世界の広がりを感じる。
そして、何の変哲もない建物の壁の表情にさえ、
誇らしさを見出すことがある。その時、風景はその壁を
中心に広がりを持ち、空間に奥行きを与えていく。

何かがふと旅の記憶につながり、風景が記憶の中で、
沼のように広がり、日々に浸透していくのを感じる。

橋の欄干が落とす影
足元に咲く千日紅
すべり台の楽しげな色合い
赤や黄色や青の看板

感じたことを、見た風景を、言葉にすることで、
私の想像の中に新たな風景が生まれる。
そして、その風景を追いかけるように、また旅
に出たくなる。そして、日々を過ごしたくなる。

この果てしない世界、次はどこへ旅に出ようか。
いや、すでに旅は始まっており、私はその最中にいる。
かつては意識しなかった旅が、自らの言葉とともに、
日常の中で立ち上がっていく。

目に留まる風景は、決して偶然ではない。
それは私の中にある過去の記憶と結びつき、
時間を超えて私を誘う。
旅は単独で完結するものではない。
むしろ旅の記憶が、新たな旅の風景に影響を
与え、つながり、折り重なりながら続いていく。
その空気感、光が生み出す影、壁の質感、
道端に咲く小さな花、その色の連なり。
そうした断片が旅の風景を形作り、また私
を新たな旅へと向かわせる。

こうして私は、旅の記録を綴り続けてきた。
あれから三年半の時が流れたが、旅の
記憶の鮮やかさは決して色褪せない。
むしろ、時を経るほどに、古びたもの
さえも新たな輝きを帯びていく。

そして、また旅と日常の中へと溶け込んでいく。


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