そごう大宮美術画廊のある日常 (第一日目)
個展の直前まで、僕は床に座って額装をしていた。
会場に向かう直前まで、だ。
いや会場についても額装してた。
おまえはアーティストか? いや額装作業員です
じっさい私の左腕には準備作業員みたいな腕章がひかっていた。
床には絵が並び、
額縁はなぜか一つだけ足りず、
ネジはいつも一個余った。
コーヒーは三杯目で、
味はもう分からなかった。
「これは展示というより、
軽い引っ越しだな」
と僕は思った。
それでも不思議なもので、
絵を一枚ずつ額に収めていくと、
ただの紙だったものが
急に“作品”の顔をし始める。
人は枠に入ると
急に真面目になる。
絵も同じだ。
その途中で、
僕は指を挟んだ。
痛みよりも先に、
「まだ五本あるか?」
という確認が頭をよぎった。
額縁というのは、
見た目以上に意志が強い。
人の指を挟むときの
あの迷いのなさは、
ほとんど捕食だ。
そこに現れたのが、
kirariというアーティストさんだった。
才能があり、
姿かたちも美しく、
しかも感じがいい。
この三点が
同時に成立するのは、
だいたい物語の中だけだ。
彼女はまるで
最初からこの空間に
組み込まれていた部品のように、
自然にお客さんと話していた。
説明も、
力みも、
余計な動きもない。
ただ、
そこにいる。
僕は横で、
自分の絵の話をしながら、
時々、
彼女の存在を
確認していた。
お客さんの表情は
少しずつ柔らかくなり、
空気は静かに
書き換えられていく。
「この空間、
完成度高くないか?」
と僕は思った。
絵だけじゃない。
人も含めて。
kirariさんがいることで、
この展示は
ただの“陳列”ではなく、
少しだけ
別のものになっていた。
名前のつかない、
でも確かに存在する、
何か。
個展というのは、
作品を見せる場所であると同時に、
人の“在り方”が
そのまま露出する場所でもある。
疲れていても、
余裕がなくても、
それでも誰かと話す。
その中で、
思いがけず
才能に出会い、
思いがけず
少し救われる。
僕は今日も、
少しズレたネジと
無事な指と一緒に、
この場所に立っている。
そして、
kirariさんという才能が、
この空間を
静かに満たしている。
この展示会は1/19(月)まで
そごう大宮で
ヤス岩井とシュレディンガー岩井は常に在廊しております
