#0 (はじめに) 人間とサイコロ、文明と社会に漂う確率への入り口
人間社会が、偶然以上の“偏り”を持って未来へ進むから、僕は文明や社会には未知の確率が存在すると信じたい。
「金融市場はサイコロでは決まらない」
そう信じたい人がいる。
一方で、
「金融市場なんてランダムだ」
そう言い切って心を落ち着かせたい人もいる。
けれど――もしこの世界の金融市場が、
単純で公正なコイン投げでも、
神の無慈悲な乱数でもなく、
人類が自ら作り出した “確率の構造” だとしたら?
このnoteで僕は、ProShares UltraPro QQQ(TQQQ *)というひとつの金融商品を通じて、
その問いに挑む “観察と物語” を綴りたい。
*僕は記事で該当金融商品をTQQQの略称を使うことが多いが、便宜的に”レバナス3倍”などの表記揺れすると思う。
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◆ 人は「正しいサイコロ」を振らない
アルベルト・アインシュタインは言った。
神はサイコロを振らない。
では、誰が振るのか?
答えは、いつも――人間だ。
しかも人は、ただサイコロを振るのではない。
人は、細工したサイコロを振る。
細工された確率は文明の根であり、
技術であり、信念であり、未来への意志だ。
文明とは、
未来に賭けてきた人類史そのもの。
その賭けの道具が、偏りを持つサイコロだ。
金融市場を眺ながら受ける印象は、
純粋に公正なランダムと感じにくい。
そこには常に、
文明が持つ **偏り(バイアス)**の香りが漂うように僕は感じる。
僕の金融モデルの出発点、それは人間が集団で文明や社会を構築する原動力、”偏り(バイアス)”がある確率だ。
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◆ 文明と社会が持つ確率の「クセ」
文明は偶然の産物ではない。
人類は何度倒れても、
また立ち上がり、未来へ歩く道を選ぶ。
戦争、災害、疫病、恐慌。
混迷の中でも、文明は前へ進む。
その軌跡には、ゆらぎと傾きがある。
僕はこの、
人類が前へ進む方向に偏る確率を
“文明確率”と呼んでいる。
(僕の造語)
そして資本主義はその傾きを増幅させる。
富が生まれ、失われ、また蘇り繁栄するリズム。
この、社会全体の自己増殖的な偏りを”社会確率”と僕は名付けてた。
偶然と必然の狭間で、
文明と社会がゆっくりと確率を曲げていく。
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◆ 文明/社会確率の観察:TQQQの「山」を見る
株価チャートを見るのではない。
文明が登る山脈を見る。
NASDAQ100という文明の山々。
その斜度を3倍にして登る、TQQQという登山者。
もし市場が完全にランダムなら、
山は霧散し、不定形に広がるはずだ。
しかし実際には――
山には 稜線 があり、
その軌道は歴史と重なる。
偶然だけでは説明しきれない。
必然と呼ぶには、まだ旅の途中。
ただひとつ言えるのは、
金融市場に漂う確率は、文明の歩みによってそっと傾いている。
僕はその微かな傾きを信じて、
物語を進めたい。
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◆ この物語のゴール
これは数学論文でも、投資指南でもない。
これは、
文明/社会確率という “新しい見方” の小さな実験だ。
• ランダムウォークの向こう側
• ベイズと熱力学が交差する地点
• 人類の意志が歪めたサイコロの軌跡
ようこそ。
人がサイコロを振り、
文明が確率をゆがめる世界へ。
