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福島ホープツーリズムに参加!原発建屋を目の前で視察した!

福島ホープツーリズムは、東日本大震災における地震・津波・原子力災害という複合災害を、現地で見て学び、考えることを目的とした学習型のツアーです。被災の事実だけでなく、原発事故の背景、地域社会の変化、復興の現状、そして今も続く課題までを現地で確認しながら理解する構成になっています。

このツアーに参加した理由は、やはり日本人として、この地域の過去と現在そして未来を知っておくべきだと思ったこと。またこの地域には多くの友人が住んでいて、その関係で震災後も何度も訪れて楢葉町や双葉町で、研修や授業をしたことで、この地域のことをもっと知るべきだと感じたからです。また、通訳案内士としても、この地域を正確に、外国からの訪問者に説明できるようにすべきだと思ったことも理由のひとつです。

また、インバウンドの観光客もこの地を訪れているんです。特にアメリカやヨーロッパからの観光客が多いそうです。今後案内することもあると思うので、しっかり学びたいと思ったんです。

ちなみに、私の家は千葉県なのですが、震災時はひどい液状化現象で、家も少し傾いてしまいました。私自身は和歌山にいて、ほんの少しだけ揺れを感じただけでした。テレビで津波の映像を見て家族の安否を心配したのを覚えています。その後、特急わかしおが運休し、在来線を使って東京まで帰るのに苦労しました。しかし首都圏はすぐに元通りになり、15年間もの間じっくりと震災のことに向き合うことができていませんでした。このツアーは改めて震災や複合災害のことを知る良い機会になりました。

今回のツアーは主に福島県浜通り地域を巡る行程で実施されました。福島県は西から会津地方、中通り、浜通りという三つの地域に分かれており、浜通りは太平洋沿岸に位置します。東日本大震災と福島第一原発事故の影響を最も強く受けた地域でもあります。

いわき駅からはバス移動、最初の訪問先は浪江町にある請戸小学校でした。この学校は震災遺構として保存されており、津波被害の状況を今も残しています。学校は海から約300メートルの場所にあり、津波により1階天井付近まで浸水し校舎内部は大きく破壊されました。現在は整備され、震災遺構として一般公開されています。

震災当日、この学校には2年生から6年生まで約80名の児童と教職員がいました。地域住民から津波が来るという知らせを受け、地震発生から約8分後に避難を開始しました。児童と教職員は学校から約1.5キロ離れた高台へ向かい、その後さらに高い場所へ避難しました。津波が学校へ到達したのは午後3時38分頃とされており、校舎に残る時計がその時間で止まっています。避難開始から津波到達までの時間は非常に限られており、結果として全員が無事に避難することができました。

保存されている教室

避難が成功した背景として、震災の2日前にも地震があり教職員の間で避難について話題になっていたこと、地域住民の呼びかけによって迅速に行動したこと、保護者が迎えに来ても子どもを引き渡さず高台へ避難する判断をしたことなどが挙げられています。また、本来予定されていた避難ルートではなく、児童の提案で近道の斜面を登るルートを選択したことも結果として避難時間の短縮につながりました。

津波については、浸水深1メートルでも人が巻き込まれると極めて危険であると説明されました。津波は単なる大きな波ではなく、海水全体が壁のように押し寄せる現象であり、ガラス片や金属、木材、住宅など多くの破片を伴いながら流れてきます。陸上でも時速40キロ程度の速度になる場合があり、人が走って逃げ切ることは困難とされています。

その後、東日本大震災・原子力災害伝承館を見学しました。この施設では原子力発電所誘致以前の地域の歴史から、震災と原発事故、避難生活、復興の過程までを展示しています。館内では複数のスクリーンを使った映像上映が行われ、床面にも映像が投影される演出になっています。映像のナレーションは福島県出身の俳優、西田敏行氏が担当しています。映像資料の撮影は禁止されていますが、展示物の撮影は可能となっています。

展示では、2011年3月11日の東日本大震災でマグニチュード9.0の巨大地震が発生し、その後の津波により福島第一原子力発電所が浸水し全交流電源を喪失したことが説明されました。原子炉の冷却ができなくなり、水素爆発が発生し、大気中へ放射性物質が放出されました。事故の影響により多くの住民が避難生活を余儀なくされました。

震災直後には福島県内で約16万5千人が避難生活を送りました。現在も避難を続けている人がいます。避難指示区域では長期間にわたり住民が戻ることができない状態が続きました。

津波の時刻に止まった時計

また、バスで双葉町と浪江町を巡るフィールドワークが行われました。浪江町は震災前の人口が約2万1千人でしたが、震災後は一時人口がゼロになりました。現在戻って生活している人は約2400人で、震災前の1割程度となっています。

双葉町でも同様に大きな人口減少がありました。震災前の人口は約7000人でしたが、現在実際に住んでいる人は約200人程度です。その半数以上は移住者で、元の住民の帰還は非常に少ない状況です。

避難指示区域では、建物がそのまま残っている場所、解体されて更地になった場所、新しい建物が建設されている場所が混在しています。住民の帰還の意思も多様であり、帰還を希望する人、判断を保留している人、戻らないと決めた人などさまざまです。

双葉町では、原発事故後に町役場が福島県外へ移転しました。最初は埼玉県のさいたまスーパーアリーナなどを経て、埼玉県加須市に役場機能が置かれました。その後、長く福島県いわき市に仮設庁舎が置かれ、2022年に双葉町へ新庁舎が完成し業務が再開されました。

町の景観には震災の影響が現在も残っています。旧商店街には地震で大きく損傷した建物がそのまま残る場所もあります。また、JR常磐線は震災と原発事故により長期間運休しましたが、2020年3月に全線で運転が再開されました。現在は特急ひたちが停車し、東京方面へ直通で移動することができます。

地域では復興に向けた取り組みも進められています。双葉駅周辺では「フタバアートディストリクト」と呼ばれるプロジェクトが行われ、建物の壁面に巨大なアート作品が描かれています。アートをきっかけに人を呼び込むことを目的とした取り組みです。

また、浪江町では2020年に道の駅なみえが開業しました。施設内では浪江焼きそばや地元の魚介類を使った料理が提供されています。受け戸漁港では津波による被害を受けたものの、復旧後に水揚げや競りが再開されています。福島県沖で獲れる魚介類は「常磐物」と呼ばれ、ヒラメやカレイ、メヒカリ、アンコウなどが代表的な水産物です。

一方で、原発事故の影響として除染作業が続けられてきました。除染では放射性物質が付着した表土を削り取る作業が行われました。その結果として大量の土壌が発生し、一時的に保管する仮置き場が福島県内に1000か所以上設置されました。現在は多くが撤去され、福島第一原発周辺に整備された中間貯蔵施設へ集約されています。

中間貯蔵施設では除染土壌が保管されています。法律では、中間貯蔵開始から30年以内、つまり2045年までに福島県外で最終処分することが定められています。しかし、具体的な最終処分地はまだ決まっていません。

浜通り地域では現在も復興が進められています。震災犠牲者を追悼し災害の記憶を後世へ伝える目的で、福島県復興記念公園の整備も進められています。海岸部では津波の高さを示す丘などの整備も計画されています。

次に訪れたのは、とみおかアーカイブ・ミュージアムです。この施設は、東日本大震災と原発事故の記録を保存し、後世に伝えるために作られた歴史資料館です。震災後、多くの建物が解体される中で歴史資料が失われることを防ぐため、富岡町では条例を制定して震災関連資料を収集・保存してきました。その結果、資料を保管するための収蔵庫としてこの施設が整備されました。

展示は前半が富岡町の歴史、後半が震災と原発事故の記録となっています。震災展示では、津波の際に避難を呼びかけていた警察官のパトカーや、住民の避難の様子を示すプロジェクションマッピングなどを見ることができます。また、当時の子どもの記録なども紹介されています。

館内では震災の記録映像も上映されており、訪問者は展示やメッセージスペースを通して震災の記憶や教訓を学ぶことができます。さらに、資料の整理や保存作業の様子を見学できるエリアも設けられています。

展示されているパトカー

ツアーの最後には東京電力廃炉資料館、東京電力福島第一原子力発電所を訪れました。そしてそこから発電所の敷地内へと向かい、1号機から4号機の建屋の目前から廃炉作業を見学することができました。

視察の一環として、施設内のミニシアターホールで福島第一原子力発電所事故に関する映像を2本視聴しました。1本目の映像では、2011年3月11日に発生した東日本大震災と、それに伴う福島第一原子力発電所事故の経緯が説明されました。巨大地震によって原子炉は自動停止しましたが、その後に到達した約15メートルの津波により非常用電源などが機能を失い、原子炉の冷却ができなくなったことが事故の直接的な原因とされています。その結果、燃料の損傷や水素爆発が発生し、大量の放射性物質が環境中に放出されました。政府は発電所周辺の住民に避難指示を出し、約16万人が避難する事態となりました。

2本目の映像では、事故後の廃炉作業の進捗について説明がありました。現在は各号機の状態を安定的に維持しながら、燃料の取り出しや燃料デブリの回収に向けた準備が進められています。汚染水対策として地下水流入の抑制や凍土壁の設置などが行われ、事故当初より汚染水の発生量は大きく減少しています。また、防潮堤の整備など津波対策も進められており、敷地内では多くの作業員が廃炉作業に従事しているとの説明がありました。

視察者は防護服は身につける必要はありませんでした。

映像視聴後、福島第一原子力発電所へ向かうための注意事項について説明を受けました。発電所は高度な安全管理が求められる施設であるため、行動範囲や持ち込み物に厳しい制限があります。スマートフォンやカメラなどの電子機器は持ち込みが禁止されており、すべてロッカーに預けてから入構する必要があります。その後、バスで構内へ移動し、実際に発電所の敷地内を視察しました。原子炉建屋を間近で見ることができ、廃炉作業が進められている現場の様子や施設内の設備について説明を受けながら見学しました。なお、構内ではカメラやスマートフォンを持ち込むことができないため、写真を撮影することはできませんでした。そのため視察の様子を写真で紹介することはできません。バスで構内を移動している際には、車内の線量計の表示も確認しました。最初バスの中ではおよそ0.1マイクロシーベルト程度でしたが、原子炉建屋の前まで近づくと約20マイクロシーベルト程度の値が表示されていました。視察中はポケットに個人用の線量計を携帯しており、視察終了後に確認したところ、線量計は0.008ミリシーベルトを示していました。

ロボットが活用されています。

少し緊張感のある視察でしたが、案内の方は丁寧に質問に答えてくださり、様々な疑問も解決しました。質問したのは、処理水を海洋放出と同じ割合で、淡水で希釈したものを飲んでも大丈夫かということでした。トリチウムの含有量は極めて低いので、飲んでも大丈夫だそうです。また事故の反省点として、想定外の大きな津波が発生したということが挙げられていました。事故発生時は6メートルの高台に発電所が位置していたために大丈夫だと考えられていたそうです。そこで現在は震災時の津波と同じ高さの15メートルの防潮堤が築かれているそうです。これに対しては、さらに想定外の15メートル以上の津波が来る事は想定していないのですかという質問をしてみました。その可能性は極めて低いが、自然現象には何があるかわからないというのが答えでした。

福島ホープツーリズムでは、このような震災の被害、原発事故の影響、地域社会の変化、復興の取り組みなどを現地で確認しながら学ぶことができます。現地の景観や施設、ガイドによる説明を通して、震災と原発事故の影響が現在も続いていることを実感できるツアーでした。

福島産の最高の食材を楽しみました♪

ツアー中は現地産の食材を使ったお料理をたくさん楽しむことができました。野菜は新鮮。そして福島牛は絶品でした。今後も福島県をたくさん訪れようと思います。次は相馬の野馬追を見にきます。

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