蟹の「前にならえ」(578文字)
海辺の砂浜を一匹のカニが歩いていた。いや、正確には横歩きしていた。彼はずっと疑問に思っていた。
「なぜ自分たちは横歩きしかできないのだろう?」
正面を向いて堂々と歩く生き物を見るたびに、なんだか情けない気持ちになる。横歩きする自分の姿が、どこか滑稽に思えて仕方がなかった。
ある日、彼は決意を表しハサミを鳴らした。
「正面に進む方法を見つけてみせる!」
波打ち際の砂地に立ち、慎重に足を前へ運ぼうとする。最初は前傾し、バランスを崩して何度も転んだが、繰り返すうちに少しずつコツを掴み始めた。やがて彼は、完璧に正面を向いて歩けるようになった。
「ついにやったぞ!」
喜びに目を濡らしながら、まっすぐ砂浜を歩く彼。これで他の生き物たちと同じように堂々と前進できるのだと胸を張った。
しかし、突然背後に冷たい影が落ちた。空から一羽のカモメが降りてきたのだ。カニは慌てて逃げようとしたが、前しか見ていなかったため、カモメがどちらから迫っているのか分からない。
次の瞬間、鋭いくちばしが彼を掴んだ。
岩陰からその様子を見ていた他のカニたちは、滑稽に思い、呆れながら、泡吹いた。
「だから横歩きなんだよな。あれなら全方向に目が届くのに」
風に運ばれていくその言葉が、カニの耳に届くことはもうなかった。
次回、カニに耳はあるのか。
つづきません。
