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磯城県主嫡流十市県主今西家のあゆみ



磯城県主(磯城彦)と磯城津彦

弟磯城、名は黒速を、磯城縣主とす。(『日本書紀』巻第三〔神武天皇〕)とあるが、新撰姓氏録には記載がなく、第一帙(皇別氏族)において、安寧天皇(諡:磯城津彦玉手看天皇しきつひこたまてみのすめらみこと )第三皇子磯城津彦命が氏祖(安寧天皇皇子磯城津彦命後也)と記されている(新撰姓氏録左京皇別上86新田部宿祢にいたべのすくね、右京皇別上151猪使宿祢いつかいのすくね)。
十市首十市宿禰と改め、(天禄ニ)971年に十市有象・以忠が中原宿禰姓に改め、(天延ニ)974年に中原朝臣姓を賜り、明法道(みょうほうどう)、明経道(みょうぎょうどう)を司り、大外記(だいげき)・少外記(しょうげき)を世襲職とした。
その後、押小路家を名乗り、地下家筆頭として世襲され、明治時代に男爵となったとある。
新撰生姓氏録に神武天皇皇子、神八井耳命の後として、志紀県主(河内国皇別、和泉国皇別)と饒速日命七世孫、大売布の後として、志貴県主(和泉国神別)に記されている。
よって、神武天皇の皇子の神八井耳命の後を多朝臣として、外戚である媛蹈鞴五十鈴媛の実家である磯城氏を安寧天皇の皇子の磯城津彦命の後として新田部宿祢及び猪使宿祢としてバランスをとったのであろうと思われる。

訳注: 磯城県主には別に河内のそれがあるが、大和のは天武十二年に連となり、姓氏録に大和神別の志貴連は神饒速日命の孫日子湯支命の後とする。また、鴨氏は主殿の名負の氏であった。鴨県主は姓氏録に賀茂県主と同祖で、鴨建津見命(武津之身命、天八咫烏之号)の子孫と見え、葛野県主と同じと考えられる。葛野主殿県主とは主殿の職を世襲した葛野県主という意味である。

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