「やりたい」と「やらねば」のあいだで
「やりたい」と「やらねばならない」の線引きは、とても微妙なものだと思う。
怒りから始まった「やらねば」
数日前の夜、大学卒の初任給が大幅に上がっているというニュースを見た。
ニュースを見たときは、「ふ~ん」とのんきな気分だったが、次第に怒りが込み上げてきた。
来期は、売上が半分になることがわかっていた。
私の仕事は趣味みたいなものだから、などと嘯いていないで、自分のビジネスでちゃんとお金をいただけるように、もっと行動量を増やさなければならないのだった。
のんきに「明日は記事書けるかなあ」とか考えている場合じゃなかった。
なのに、体調を崩してしばらく仕事もあまりできなかったし、明日は春休み中の子どもたちを遊びに連れて行かなければならない。
やばいんじゃないか。
猛然と、自分に対して怒りがわいてきた。
現実を見ないで呑気にしていた自分に腹を立てている。
背中にぐっと力がはいって、力が湧いてくる感じがする。
もっと自分のエネルギーを燃やし切りたい。
自分の能力を使って、役に立ちたい。
身体と頭の喧嘩
その翌々日は、予定が何もなくて「今日は丸一日、仕事ができるぞ」と思っていた。
ところが、いざ仕事をしようとすると、やる気が出ない。
「明日は何もないから一日中できるぞ」と意気込んだのが逆効果になってるのか。
ゴロゴロ寝転がってみるが、そわそわする。
やっぱり気持ちは仕事に向かっている気がする。
場所を変えてみるか、と思って近所のスーパー銭湯に出かけた。
温泉に入ったら、手足がじんわりとほどける感じがした。
身体が冷えていたらしい。
これが必要だったんだな、と頭を空っぽにしてお風呂に入った。
ただ、お風呂からあがっても、お休み処でごろんと横になっても、お食事処で昼ご飯を食べても、やる気は湧かない。
パソコンを開こうという気にもならない。
開き直って、もうひと眠りするか!とお休み処で横になったら、「自分はこのままなのかもしれない」という不安が首をもたげた。
ただ、同時に、怒りも湧き上がってきた。
なんでここで横になってとどまっているんだ。
お風呂に入って、一休みして、身体は回復しているじゃないか。
身体の私は動きたいと言っている。
なのに、頭の私は、やる気が出ない、動けない、このままダメになるんじゃないか、と不安になっている。
自分の中で身体の声と頭の中の意識が喧嘩をしている。
よし、ここを出よう。
私は身体の声に従うことにした。
スーパー銭湯を出たら、じんわりと涙が浮かぶ感じがした。
今は私は、自分の身体の声に裏切らずに、誠実に行動しているな、という気がしたからだ。
「やりたい」と「やらねば」の違い
私の頭の中の意識は、簡単に身体の声を裏切る。
身体は「休みたい」と言っているのに、「不安だから、やらねばならない」という頭の中で考えている意識が私の身体の声を聞こえなくさせる。
しかし、身体の声がなくなったわけではない。
意識にのぼってこなくても、身体の声は私の中に歴然と存在している。
そして、その無意識の身体の主張と、意識が葛藤するとき、不思議と身体がストライキを起こす。
それが、朝の「やる気が起こらない」という現象だ。
やりたくないわけじゃない。
仕事自体は、やりたい。
でも、身体の声を無視して、意識の「やらねば」に頭が支配されたとたんに、身体が抵抗する。
やりたいのに、やりたくないが起きるわけだ。
一度、「やらねば」を手放す。
そうすると、身体の声が聞こえるようになる。
身体は、時に「休みたい」というときもあるし、「ぜんぜんやろうよ」というときもある。
頭だけでなく、身体の声を大事にしながら、自分の丸ごとでやりたいことに取り組む。
そうすることが、今の自分らしい取り組み方であるように思う。
今の自分の挑戦
私がやりたいことは「自分の思いを言葉にする」ための技術を、文章やセミナーという、人の役に立てるものとして形にしていくことだ。
しかし、ただやればいいというわけではない。
自分が持っている、「やりたい」はそのままに。
頭が作り出す「やらねばならない」にすべてを塗りつぶさないように、こころや身体の声をちゃんと聞く。
自分が、自分のこころと身体の声を聞きながら、「自分の思いを言葉にする」を体現しながらそれをやらなければ、意味がない。
自分の中の声に裏切らずに、でもやりたいことを一歩ずつ進めていく。
これが今の私の挑戦だ。
