言語化だけでは、わからなかった
ずっと通い続けているコーチングスクールで、「自分の自己感覚に名前をつける」という課題がある。
繰り返しクラスを受講するたびに、その課題をやってきた。
名前は、その時々で、違う。
前回課題をやった時は、「マロン」だったし、今回の課題では「ウォータークラウン」になった。
ウォータークラウンとは、水滴が水面に落ちた瞬間に、王冠のように水しぶきが立ち上がる、あの形のことだ。
でも、何度もやっている割には、なぜこんなことをするのか、ずっとわからなかった。
先日の出来事だ。
ちょっと疲れていた。
休みたいと思うのに、こころが休まらなくて、気づくと仕事のことを考えてしまう。
時間ができると、パソコンに向かって作業をしてしまう。
おかげで余計に休まらない。
休まらない自分に気づいている。
それでも、なぜ休めないのかわからなかった。
仕事から離れたくて、散歩に出かけた。
いつもだったら、散歩に出ると気分も意識も切り替わって、すっきりするのに、その日は頭の中がせわしないままだった。
わからない、という状態は、私をさらに混乱させる。
私は、言語化の鬼だ。
自分に何がおきているのか、自分がどんな状態にあって、どんな気持ちでいるのか。
それを、言葉にできないと、もやもやして苦しい。
休めない自分、自分の中で何が起きているのかがわからない自分が、もどかしい。
もどかしい気持ちのまま、スターバックスでコーヒーを飲んでいた。
その時に、「ウォータークラウン」という自分のコーチングネームが思い浮かんだ。
今の状況は、ウォータークラウンがどうなっている状態だろう?
そう考えたら、水面に水が1滴落ちて、パッとウォータークラウンが立ち上がったのに、その水しぶきが、浮かび上がるんじゃなく、重量を無視してびゅんびゅんと飛び回っているようだな、と、ふと思った。
そのイメージが立ち上がって、そうか、私はパニックになっているんだ、とわかった。
パニックになっているとわかってからは、早かった。
何が自分をそうさせているのか。
どうパニックになっているのか。
本当はどうありたかったのか。
そういうことを、ウォータークラウンや水のイメージと、言葉を、行ったり来たりしながら、少しずつ紐解いていった。
帰り道、「イメージ」の持つ偉大さに、私は驚いていた。
言語化の鬼なのに、言葉では、私は私の感じていることを受け取り切れなかった。
何が起きているのかわからないままだった。
でも、自分の感覚に、名前をつけて、イメージにする。
そして、そのイメージと、自分の中で湧きあがる、感情や体感を結びつける。
そうすると、ああ、そういうことなのか、と言葉に降りてくる。
言葉では、わからなかった。
イメージが、言葉と感情や体感を、つなぐのだ。
長年意味不明だった、コーチングネームの意味が、やっとわかった。
そして、それは、自分の可能性の扉を開けた瞬間でもあった。
言語化の鬼として、自分の中にあるものを、言葉にしていく。
その技術を、人に伝えられるようにしていく。
それが私のやりたいことの中心であることは変わらない。
でも、「イメージ」が持つ可能性を知った。
もっと、できることがあるかもしれない。
ワクワクしながら、ゆっくりと家路をたどった。
