超考察型連載小説「ミラーボールサーカス」第五十二話 Episode 0 来なかったプロパガンダ〜黄色い魔法とピンクの血〜
電車の車窓から黄色とピンクの星雲が見える時、ミラーボール団長の頭の中には忘れ難い記憶が呼びおこされる。果てしない銀河を、燃えるような、しかし憐れみの籠もったような瞳で見つめるとバネ状になったヒールを鳴らし、自分の部屋へと向かう。
ミラーボール団長は本棚から一冊のノートブックを取り出すと、椅子に腰をかけてページを開いた。
「また何度でも思い出してしまうんだ。あの時あの瞬間を。」
♪♪♪
--弥栄ヨリ--
どこから始めたら良いだろうか。
私が東京に来た時のことから始めようか。
あの頃私は3年間のオーストラリア留学から帰国したばかりだった。小さな離島の高校を卒業してから私は、3年間オーストラリアで暮らした。
丁度その時期は世界的な感染症が流行った時期でもあり、私が帰国した時にも日本では大規模な感染症対策が行われていた。しかし私は海外では既に規制が緩やかになっていたのに、日本は大袈裟すぎるなあという感想を持っていた。
帰国してから一時的に働いてみた田舎のリゾートバイトなんてその最たるもの。世界水準でみたら、全く正しい情報が入って来ない閉鎖された土地なんだなと感じた。
だからインターネットで同じように考えている求人があれば、片っ端から連絡した。何件目かでやっと、東京都内にある飲食店の求人を見つけた。元々住むとしたら東京以外考えていなかったので電話をすると、無愛想な男性の声で応対された。あまり愛想は良くなさそうな印象を受けたが、その時の私にはそこしかないと思っていたから、東京に出てくるタイミングで面接を受けることになった。
昔ながらの古書店街の中にその店はあった。「brari bar」という名前だった。
入ってみると、そこにいた面接担当は二人だった。
店長の名は高橋ヨシロウ。どてらを着て、若々しい感じの角刈りの男性。それからシェフの坂本穣(じょう)。眼鏡をかけ、髭を生やしているが店長と同じくらいの年齢に見えた。シェフというよりかはとても気難しいタイプの音楽家に見えた。一人ピアノに没頭しているかのような。
その店のグループLINEに追加してもらい、シフトが決まり次第入れてもらえることになった。店を出て、驚いた。その店の真横には私が好きなテクノ歌謡音楽を中心にしたレコードショップがあった。これにはとてつもない運命を感じ、私は小説を書くことに決めた。
☆☆☆来なかったプロパガンダ☆☆☆
時として言葉でものを伝達するには現実があまりに複雑になってしまうことがある。
伝説が、それを新しい形に創り直し、世界に送り届ける。
昭和駅と書かれた駅を潜り、少年はポスターの入ったバケツを片手に革靴を鳴らして歩いている。赤い腕章の付いた制服を着て、頭に制帽を被った少年だ。彼は長く続く巨大な壁の前でしゃがみ込むとバケツに入っていたポスターを広げ、裏面に満遍なく糊を塗った。ガタタン、と頭上を電車が通過する音が聞こえる。少年は不規則にポスターを壁に貼って行った。
赤字に白丸のポスターの真ん中には3人の人間のシルエットと共に文字が書かれている。「黄色魔術楽団」。
少年が最後の1枚になったポスターをどこに貼ろうかと探していると、壁の隅に少年が丁度しゃがめば入り込めるぐらいの隙間があることがわかった。彼がそこを潜り抜けると、荒い波の海が広がる砂浜の中に巨大な館があった。
館にはポスターと同じ赤と白の旗が貼られている。少年は感情を持たないような顔で館の中に入って行った。入り口の階段にはハイヒールが1足置かれている。
***
館の広間ではワタシを楽しませるためのサーカスの演目が繰り広げられている。天井では回転木馬が円を描くように回っている。コンピューターで打ち込まれた音楽に合わせ、綱渡りをするピエロ。だけどそれさえも地面に落ちてしまう。エレクトロサウンドの葬送行進曲が辺りに流れる。
この光景ももう何千回と見たかしれない。毎日同じサーカスを観て、ワタシは少し退屈していた。
腰まで伸びるワタシの白い髪は電線のコードのように、この都市、東京テクノポリスのどこまでも網目のように広がり情報を受け取る。つまりこの街の全てを監視し、都市機能を維持する最新型テクノロジーがワタシという訳だ。
テクノガール。人々はワタシをそう呼んだ。
ワタシがどのようにして人々を監視しているかというと、水や鏡といった姿を写すものを介してだ。ミラーシステムと呼ばれるそれはワタシを開発した人達が同じように太古の鏡の伝説を利用して作ったものだ。ワタシの枕元にあるハイヒールはワタシの見たものや感じたことを全てメモリー化して記録している装置だった。
ワタシの肩に、これもワタシが自己を認識した時から側にいるかささぎ、トンプーが止まった。
だからワタシはもう一度サーカスを観る。ピエロ達の演舞が終わって、ワタシを作った人達の、演奏が始まる。
ワタシを作った人達。それは黄色魔術楽団という名前の3人組の楽団だ。楽団なのに何故?ワタシを作ったのかと聞かれれば、数年前から音楽の世界にもコンピューターが取り入れられるようになった。彼らもその技術に興味を惹かれ、テクノロジーに人間らしさを取り入れるような音楽を実験的に作ろうと試みた。そしてその感情が近くにあった鏡と共鳴し生まれた思考型ロボットがワタシということだ。
それはまさに人類の歴史にとっても革命的なことだった。人々はその力に驚愕し、テクノガールが感情を学習するために自分達を監視することを受け入れた。そして開発者である楽団のことも祭り上げた。
だからこの館はワタシと生みの親である黄色魔術楽団がひっそりと、だが確かに東京テクノポリスを監視しながら暮らしている場所なのだ。
だけど、本当に、黄色魔術楽団の音楽は、良い。聴いているだけで頭がくらくらし、みぞおちがバクバクし、胸がキュンとなるような暖かく人間らしい音楽だ。
こんな素晴らしい音楽に魅了されないわけがない。改めて都市の住民にワタシは共感を覚えた。すると、ワタシの意識の中にふと唯一テクノガールの監視の目が届かない地区があることが過った。P地区。あそこに住む人達は一体どういう音楽を聴いているの?
演奏が終わり、楽団の3人、ユキヒロ、リュウイチ、ハルオミがワタシの座っていたソファ兼ベッドに戻って来た。
「ねえ、P地区ってどんなところだっちゃ?」
ユキヒロが上着を脱ぎ、リュウイチはネクタイを緩め、ハルオミが煙草に火を点けた。
ワタシがまっすぐに見つめるのでリュウイチが口を開いた。「ああ、あんなところは教養も品格もない奴らの住むところさ。君は気にしなくともいい。」
リュウイチがいつもの癖で髪を掻き上げる。ワタシはふとある想像をした。こっそりとP地区に行ってみたら、この退屈な日常が少しは紛れるのでは?もちろんこのことは誰にも言わないけれど。
♪♪♪
「burari bar」で働き始めた2日後。その頃には私にも日本の現状が見えて来た。まだ日本ではとにかく感染症を予防するにはマスクが有効だと考えているようで、どの人も顔を見ることが無かった。そんなに怖いウイルスでもないのに。そう伝えるような強さも私は持ち合わせていなかったから、変に思われないようにイベント会場や午前中の作業系バイトではみんなと同じようにしていた。今の自分にはそういった我慢をせずに生きられる場所は「burari bar」しかないと思っていた。
バーに着くと、バイトの先輩であるわだきちさんがオープン作業のことを教えた。見たままで覚えられると思ったからメモを取らなかった。この日は高橋ヨシロウさんも坂本穣さんも来ていなかった。高橋ヨシロウさんは面接の時にまっすぐこちらの目を見て話を聞いていたので、とても時代を動かす意欲に溢れた経営者に見えた。飲食店の他にもアイドルのプロデュースもしていると言うから、エンタメ志望の私にとっても盗めるものがあると考えた。
坂本穣さんは口数こそ多くなかったが、働いた初日の日に窓ガラスを拭いている時に「危ないから気をつけてね。」と言ったので気配りのできる優しい人という印象を受けた。
わだきちさんと一緒に店の前に看板を立てていると自転車に乗って、小柄だが不良そうな感じの男性がやって来た。服装を見るからにこの店の関係者なのだろうと感じた私は自己紹介をした。
三角形みたいな形の太い眉毛、ベースのような低音の声でその人は名前を名乗った。細野悠。これがこの店の3人目の社員である。第一印象として、私は、似てる、と思った。
私が記憶の彼方で忘れた方が良いと閉じ込めていた二人の人間。中学の先輩と、高校の時の担任、五十川公彦先生に。
東京に来てから私が知り合ったのは、「burari bar」だけではない。母親とSNSで繋がっていた「MARS」という店がある。その店は無意味な感染症対策をしないということを目的として出来たため、母もクラウドファウンディングをしていた。だから東京に来たばかりの時、行ってみてと言われて足を運んだ。
店主はジュエリーデザイナーの大方益夫さんという人で、身長2m程もある大柄な人だった。
話していくうちにどこで働くのかという質問になり、私が「古書店街のburari barです。」と答えると、
「マジで!?あの店主の高橋と俺マブダチなんだよ!坂本と細野も優しい奴らだから、たくさん仕事覚えるといいよ!」と言った。私が本当は歌って踊れる振付師になりたいという話をすると、「早く有名になってうちの店にもサイン書きに来てね。それまで親代わりになってあげるよ。」と話した。
だけどあの頃私は、あまりにも自己評価が低すぎた。それは私が小学生の時に受けた学校教育が原因だと思っていて、さらにそれに付随する中学の先輩や五十川公彦先生の対応がそれを助長しているからだと考えていた。そのように考えた方がやりたくないことに直面したり、誰かとぶつかりそうになった時に自分のプライドを折り曲げない鎧になると思っていたから、留学時代もそれを直さずにいた。その方が楽だから。そして何かあればまず自分に何が出来そうかを振り返る前に「死にたい死にたい」と言っていればきっとそれを覆してくれる出会いが奇跡や魔法のように、ファンタジー映画のように現れてくれるものだと信じていた。
あの日も何が理由でそう思ったのか、ただ無性に死にたくてたまらない日があった。死にたい私を職場の人が見つけてくれればいいなという期待を持ちながらバイトへ向かった。
本当はメモを取っていないから手順がわからないことを、できない要領の悪い発達的特性のある愚かな自分という役割を課すことでできないことを諦めるかのようにへらへら笑っていた。
ワインボトルの蓋が開けられなくて四苦八苦している私に細野さんが「貸して。ヨリちゃんこうなってるから、こうだよ。」と言った時に私は日本に帰ってから初めて他人に名前を呼ばれたことに驚いた。
「名前知ってたんですね…。」「うん知ってる。明日も来るよね?明日また一緒に練習してみよう。」
それだけだった。それだけだったのに、弥栄ヨリがここにいることと、私に明日があることに死にたいという気持ちが一気に吹き飛んで行った。
更に帰り際、細野さんがまた声をかけて来た。
「大方さんのお店、よく行ってるの?」
ああ、MARSのことか。「よくっていうか、一回だけです。」
「ああ、そうなんだ。大方さんがすごく親しげに話すから常連さんなんだと思ったよ。お母さんとも繋がってるんだよね?おじさんだと思って頼りにするといいよ。」
知らなかった。まだ一度しか会ったことのない大方さんが私のことを覚えていて、細野さんに話したということが少し嬉しく感じた。その日は満月の夜だった。月を見上げて、私は蛹から羽化する蝶々のように体内の芯から変わっていけるような心地がした。血液が全て沸騰するように全身が熱くなり、もしもあの人達のために何かできるならどんな力でも欲しいと思った。
けれど、それだけじゃやっぱり考えが偏って視野が狭くなるかなと思った私は若者のコミュニティにも参加するようにした。SNSからの繋がりでそういう機会は幾つもあった。
だけどみんな若者共通の話題で盛り上がっていて、私が好きな昔の音楽や留学中感じたことなど共有できそうな人は一人もいなかった。代表の男は川中りゅうじという一つ上の人で最初にLINEで会話した時、ちょっとムキになる傾向がある人だなと思った。
ある日音楽イベントが行われるという誘いがあり、代々木公園のフェスに足を運んだ。参加者の中にジュンヤというこれも私の一つ上の人がいた。会ったことはないが、ちょっと前からよく話題に上がることがあった。なんでも男性なのに女児向けアニメが好きで写真を撮る時もそのキャラクターのお面をつけているような人だということだった。
だから私はこの人に対して偏見と侮蔑の感情を抱いていた。音楽のことなんて全くわかってないのに、自分の寂しさを埋めるために音楽フェスに来るような可哀想な人というイメージを持っていた。
待ち合わせ場所にジュンヤはやはり魔法少女ミラクルハッピーのお面を付けて立っていた。探さなくともすぐわかった。ああやっぱりヤバい人かあ…と思っていると、ジュンヤはお面を取った。思ったよりもそんなにヤバい人という感じじゃなかった。どちらかというと、私が好きなステルスミュージシャンの若い頃に似ていたので、お面は被らないで良いんじゃないかと思った。
話の通じない変な人かと想像していたが、私自身そのアニメは少し知っていたのでそれなりに会話が弾んだ。
LINEを交換してその日は終わった。
☆☆☆
ワタシの身の周りのものはどれも赤いものが多い。真紅のカーテン、真紅のベッドカバー、赤いドレスを着ている。ハイヒールを脱いでベッドに横になっていたが、やはり退屈なので起き上がってみる。
すだれをくぐって書斎へ向かう。壁には黄色魔術楽団の顔写真が貼られている。机の上の黒電話は鳴る気配もない。
ワタシはふとある作戦を考えた。ワタシの電波が届かない街、P地区にこっそり行ったら何か新しい刺激が得られるかもしれない。早速ワタシはカキモトを呼んだ。
かわいいかわいいカキモトは私が創り出した使いの少年だ。何も反発することなくワタシの言うことをなんでも聞いてくれる。とても良い子。ワタシはカキモトに黄色魔術楽団のチラシの束を引き出しから出すと用事を頼んだ。
「いいこと?これを全部なくなるまで配って欲しいっちゃ。団地のポストの中にも隈なく入れて、街頭ではメガホンで楽団について呼びかけてもいいっちゃ。日が暮れてもチラシがなくなるまでは帰ってきてはいけないっちゃ。」
楽団のチラシとカキモトの声は、都市民の意識に入り込んで来るから、その間にワタシがいなくなっても気付かれないだろう。カキモトを見送り、ワタシは姿見の前に立った。
やはりこの白い髪では目立ってしまうだろう。ワタシは髪を黒くして、更に三つ編みに変えた。黄色いリボンをつけて、服もドレスから赤い人民服に変えた。更にP地区に行くのだから、P地区の住民が付けているのと同じ「P」と書かれたタグを胸元に付けた。丸い眼鏡をかければ、そこにいるのは偉大なるテクノガールではなく、どこにでもいる地味なテクノ被れの女学生に見えた。
挙動不審な目つきで遠くを見るような表情をすれば、さながらドイツの女優兼歌手のようだ。
ワタシは昭和駅から特急列車に乗り込んだ。窓から見える工場の煙やポスターが黄色からピンクに変わるたびに、ああ、P地区に向かっているのだなと感じた。
P地区の駅に降りると辺りを鉄条網に囲まれた下町が現れた。一見普通の民家が立ち並んでいて野良犬猫が歩いていたり、駄菓子屋を出ていく子供達がいてのどかな光景だった。
少し歩くと大きな美術館が現れた。「P美術館」というその建物は上から見るとアルファベットのPの形をした構造になっている。美術館ね。楽団の3人も芸術が大好きだわ。
ワタシは吸い込まれるようにして、美術館へ入って行った。中にあったものは、楽団の彼らが教えてくれる芸術と似たようなものもあったけれど、どちらかというともっと刺激的だった。そこから伝わって来るのは抑圧からの解放心、既存の枠組みに囚われない自由で、見ているだけで人類の尊厳を取り戻しつやろうという情熱が伝わって来た。
ワタシの干渉を受けないP地区は劣った可哀想な者達ではないと叫んでいるようだった。
奥の壁にかけられた絵画にワタシは近づいて見た。頭に角が生えたトカゲのようなケダモノが涙を流している。
その瞬間ワタシからも涙が溢れた。何故?何故この絵を見るとこんなに懐かしい気持ちになるの?前にもワタシはこの生き物に会ったことがあるように思った。そんな記憶はないのに。
すると、同じようにその絵を見ている若者に気付いた。ワタシよりも背が低く、ゴマアザラシの子供みたいな顔をした青年だ。ピンクと白の縞模様のシャツを着ている。
彼は泣いているワタシと目が合うと「どうも。」とだけ言った。ワタシは強がるつもりで眼鏡をずらし涙を拭いた。
「絵を見ていたのよ。この子は一人で泣いてるのだと思うわ。とても悲しいことがあったのね。」
ゴマアザラシみたいな顔をした青年はふむ、ともう一度絵を見ると「なるほど。僕には自分自身で泣くことを選択したように見えました。」と言った。
「では、また今度。」彼はワタシに一礼して別の部屋へ行ってしまった。ワタシは呆然として若者を見続けた。この世界の人間は全てテクノガールと同じ思考を持つ。そのはずなのに彼はワタシとは全く違う意見を言った。なのにどうしてか、不愉快な気持ちにはならなかった。
♪♪♪
「ワイン酒屋・burari barでーす!ただいまクーポンお配りしてまーす!!」
店の前でクーポン付きのチラシを配っているが、受け取ってくれる人は1分に1人いれば良い方だ。それでも私はお店の役に立ちたかったから、全部配り終えた。何よりマユカに負けたくなかった。
マユカとは、1年前からburari barに在籍しているアルバイトの女で、個性的なキャラクターを武器にSNS発信をしたり、シフトにもほぼ毎日入っていて、特にチラシ配りにおいては必ず全て配り終えて帰ってくる子だ。系列店のコンカフェでもよくアイドルの格好をしてチラシ配りをしていた。
私がマユカに負けたくなかった理由は、よくお客さんに間違われるくらいお客さんから見て私とマユカが似ているということ、そして高橋ヨシロウさんも、坂本穣さんも、彼女のことをとても可愛がっていて、特に細野悠さんとのコンビネーションが抜群だったことだ。
自分もそのぐらい認められるようになって、この店の一員として活躍できるようになりたかったから与えられた仕事は懸命に取り組んだ。そのうち、苦手だと思っていたことでもやってみればできるじゃんという瞬間が増え、もっとやる気が出ていた。けれど毎日シフト希望を出しても週に1、2回のことが多かった。
だからもっとこの店のメンバーとして認識してもらうためにSNS発信も力を入れようとした。マユカみたいな「〜なのだ☆」というキャラ付けをすれば覚えてもらえると思ったから、私は自分の好きでもなかった地元の方言を使ってみたりした。「うちも早くみんなに認められるようになりたいっちゃ☆」でも、マユカの投稿は店にリツイートされても私の投稿はフォローバックさえされなかった。
同じように繋がっているMARSの大方さんも「あまりSNSで発信しない方がいいよ。」と会うたびに言っていた。
高橋ヨシロウ店長からはたまにLINEで「あの投稿は消して」とか「ネットリテラシーをもっとわきまえてほしい」と言われたが、私は何か卑猥な投稿をしたわけではなく、自分にとって愛のこもった投稿をするようにしていただけだ。
「見てるんだからね。いつだって、ヨリの投稿は。」
真面目になのか、からかっているのか、よくわからないけれどいつも冷や汗を掻きながら高橋ヨシロウ店長は顔を合わせると私にそう言った。
「それでですね!あの店の油そばが本当に美味しいんですよ!今度一緒に食べに行きましょう!」
深夜4時を回るのに最低5回は同じことを言っているジュンヤのLINE通話に私はすごくみじめな気持ちになった。初めて合った時以来ジュンヤは頻繁にLINEを送って来たり、会ったりして来た。それは東京に来たばかりで親しい友人のいない私の虚無感を少しは埋めてくれたが、まるで付き合っている男女のように他人からは見られているように感じていた。だから落胆した。
私は結婚したり誰かと付き合うつもりはない。だけどこのままずっとジュンヤと会っていたら、最終的にくっつかざるを得ないんじゃないかと不安になった。なぜならジュンヤは私が理想とする細野悠さんや坂本穣さんのような大人なカッコ良さがないからだ。どちらかというと鉄道や女児アニメが好きなオタクのタイプだし、見なりに気を使わなかったり、たまに空気が読めないような発言をしたりするから。
ああ、やっぱり私のようなブスで変人にはこういった男が寄りつくのか…。ジュンヤが楽しそうに話している傍らで私は笑顔の裏でこんな風に考えていた。
結婚したり誰かとくっつくつもりがないから尚更、burari barの人を好きになることも自分の中では予定していたことと違う状況だった。だからこそ真正面から素直に仕事を覚えるのではなく、遠回しにディスることしかできない程に混乱していた。そんな想いがSNSの文章にも現れていたかもしれない。
☆☆☆
床一面に水が敷かれた部屋でワタシは馬の背に乗って項垂れていた。ここは館の中の一室。ペットの馬がいるので退屈はしないかも。この馬も本物の馬ではない。ワタシが創った機械の馬だ。だけど本物そっくり。
カキモトが帰ってきて、ワタシにハイヒールを渡してきた。P地区に行ってる間、カキモトの行動がワタシの行動であるように偽装して持たせていたのだ。ワタシはドレッサーの縁にハイヒールを置いて鏡の前にカキモトを座らせた。
大人しく座っているカキモトにメイクを施してやる。髪もいい感じにすれば、本当にかわいい。まるで退屈しないわ。
ミラーシステムで都市の人のバレエの稽古などを二人して見ている。馬もいるから本当は3人かしら。
何やら視線を感じて振り返ると、ユキヒロがいた。ユキヒロはじっとワタシの顔を見つめていた。
「昨日はどこに行っていたの?ずいぶんと出掛けていたみたいだけど。」ユキヒロはとても優しい。おしゃれで音楽を楽しむ方法をよくわかっている。
「別に対したことないっちゃ。カキモトのチラシ配りを見に行っていたっちゃ。」ワタシはまた退屈そうな振りをして馬にもたれかかった。ほんの少しの嘘を吐くのってとても楽しい。
「それならいいけど。」ユキヒロはワタシの顔をまだ見ている。ワタシもまっすぐに彼の顔を見る。どちらが先に逸らすか勝負を仕掛けてみる。
そんな様子を見て、カキモトが不貞腐れて部屋を出て行くのがわかった。
***
カキモト少年は館の手洗い場の水道で顔を洗った。テクノガールからされたメイクを綺麗に落として鏡を見る。きっとこの光景も全てテクノガールに見られていることはわかっている。館の水道の水はどこも出しっぱなしだった。
何故なら鏡だけでなく、水も姿を映すものとして、ミラーシステムに組み込まれていたからだ。そうしておかなければテクノガールの愛に溢れた監視の目が行き届かない。
テクノガールに作られた少年はカキモトだけではない。善良な少年少女の姿をしたボット達は何人もいて、皆それぞれ番号で呼ばれていた。カキモトはその中の22番でしかなかった。子供達は規則が書かれた赤い本を持ってそれぞれの役割を果たしている。
頭のてっぺんで結われていたゴムも取って、元の髪型に戻しているとテクノガールがこっそりとタイル張りの灰色の壁の間から手洗い場を覗き込んでいるのがわかった。
テクノガールはハイヒールを持ってカキモトを探しているようだ。また自分が出かけるための偽造か。その手には乗らないぞ。カキモトは出しっぱなしの蛇口をわざと閉めて居場所がわからないようにした。
自分でもわからないが、カキモトには他の子供達とは違う意思のようなものがあった。いつ頃からか定かではないが、大人しくテクノガールの言いなりになっているのは彼にとって窮屈だった。この世界にはもっと自由でいられる可能性があるはずなのに、ボクがこの館から出られないのはきっと何か間違えているのだ。
長く続く廊下を駆け抜けながら、カキモトはそんな風に考えていた。ボイラー室のような部屋があり、そこに入ってみる。テクノガールを動かしている機械の一部なのだが、よくわからない。船の操縦室のようなそこにはハンドルがあって、それを回せば館ごとどこかに行けるんじゃないかと心が踊った。
しかし、あるものを目にしてカキモトの表情は曇った。窓辺にハイヒールが置かれている。ここにいることもバレてしまっている。逃げるようにボイラー室を出るが、窓辺にも廊下にも、花瓶の横や館の外のベンチにもハイヒールが置いてある。テクノガールはあなたを見ている。良きことのため、あなたが義務を果たすのを待っている。テクノガールから逃げることはできない。そう言っているようにカキモトには感じられた。
カキモトは諦めてテクノガールのいる応接室に戻った。大量の化粧道具が鏡の前に並んでいる。テクノガールはハイヒールを持ったまま微笑んだ。
「あなたはワタシから逃げられないっちゃ。」
二人は暇を持て余すためにチェスをした。もちろんチェス盤も鏡でできている。カキモトがチェスに勝った。
☆☆☆
数分前の二人の様子をユキヒロはモニター越しに監視していた。ヘッドホンを付けて会話の様子も聞いている。
カンッ!ハイヒールがユキヒロの足元に飛んで来た。振り向くとテクノガールがヒールを投げつけていた。
「やっぱり何もかも監視してるっちゃね。ワタシはもううんざりだっちゃ!!」
テクノガールはユキヒロを睨み、出口へ走って行った。
☆☆☆
特急列車に乗り、またP地区へ辿り着いたワタシは眼鏡をかけて髪を黒くするとあてもなく彷徨った。P地区にはソフィスティケイト加工されていない純粋な無農薬の果物や野菜が売られていた。危険ではないかとワタシがそのような店を避けて裏路地へ行くと、ピンク色の絵の具で何かを壁に描いている青年を見つけた。顔を見て、美術館で会ったあの青年だとわかった。
「血液みたいで素敵ね。」思わず声をかけてしまった。
青年は顔を上げワタシを見ると、言った。
「あんた美術館で会った人だろ。間違いない。」
「ええそうよ。この地区は電波の届かないとても貧しいところだと聞いていたけど、あなたを見て確信したわ。ここはなんていうか、自由で素敵ね。」
青年は太い眉毛を一瞬不遜そうに潜めたが、ワタシよりも背が小さいので見上げるような格好になっていてかわいい。
「ということは、この辺に住んでいる人ではないのか?」
「あっ…ええと、そう!だって人民服を着てるでしょう?でもずっと前からP地区は気になっていたの!あなたさえ良ければ案内してくれない?」
「案内ですか…。あまり勧められるような場所じゃないですよ。」
ワタシは青年の手を取って頼んだ。
「それでも!お願いよ!あなた名前はなんていうの?」
「……ススム。」青年は少し考えて名乗った。
「ススム、進む、素敵な名前だわ。ワタシは、ええと…ぴこ!ぴこと呼んで!」
その時後ろでかかっていた音楽がぴこぴこしていたからという理由でワタシは名前を決めた。
「つまり今見えている世界は全て嘘だということ?」
「ええ。メディアとは真実を伝えるものではない。僕は自分で試してみてそのように確信した。信じられないなら試してみるといい。世間一般がかわいくて綺麗だと定義しているものにほど狂気が潜んでいる。ラブリーとは座標のバグだ。まずはピンクは血の色だというところから考えて見ればいい。」
ススムの話は今まで聞いてきたどの価値観とも違い新鮮だった。こんなに面白い人間がいたのか。ススムは自分はエンジニアだと名乗り、自分の実験倉庫で今作っている発明を見せてくれた。
巨大な扇風機のようなものが布の下から出てきた。
「なあに?これ。」
「タービンだ。世界タービン。世界には無数の平行世界がある。僕は僕でいられる世界に行って、好きなように暮らす。そのためにはその世界がいつまでも存続され、維持されなければならない。このタービンが回る限り世界は存続できる。」
ススムの言ってることはワタシには難しかったが、いいものだと感じた。
♪♪♪
ある時、burari barのバイトが終わりまだ時間があるから古書店街を彷徨い、SNSを開いてみると驚きの内容があった。
「burari barは10月31日をもって閉店します。」
あまりの発表に私は店に戻った。高橋ヨシロウ店長がカウンターに座ってパソコンをいじっていた。
「閉店ってどういうことですか?何か私に出来ることはないですか?」
「うーん、まあ詳しいことは後ほど。」
この店は質問をはぐらかすことがよくあった。LINEで質問しても既読スルーすることもあった。
私は気にしないようにして話を切り出した。
「実は私が繋がっている若者のコミュニティのLINEグループがあるんです。そこで何かできたら面白いと思いませんか?」
急に高橋ヨシロウ店長の表情が変わった。
「それって俺も招待できたりする?」
「あ、ああ、ちょっと代表の人に聞いてみます。」
私は早速代表の川中りゅうじに事情を説明した。「もちろんOK」とのことだったので、店長のLINEをグループに招待した。
店長はとても喜んで「ありがとう。」と言った。私は折角なので賄いを頂いて帰ることにした。
その時食べた坂本穣さんの料理は、お客さんから天才と言われている割にはスーパーで売ってる料理とどう違うのか私にはわからなかった。
☆☆☆
子供達が住む団地の中でカキモトは機械を修理していた。相変わらず水道の蛇口からもシャワーからも水が流れっぱなしの中、畳の部屋で彼ははんだごてを使ってスピーカーを直していた。いや、あることに使おうと改良しているのだ。
完成したスピーカーとカセットを持って、団地を出る。
テクノガールは今日もまたカキモトの動向を伺ってどこまでも着いてきた。ボートに乗って逃げようとしても着いてくる。ワタシからは逃げられないのよ、カキモト。目で訴えてくる。
浜辺に着くとカキモトはスピーカーのスイッチを押し、耳を塞いで離れた。爆弾を仕掛けていたのだ。これでこの日常に何か変化を起こせるかもしれないと彼は考えた。
しかし、スピーカーは爆発しなかった。「そんなことしても無駄だっちゃ。」テクノガールは手に火炎瓶を持っていた。めらめらと瓶には炎が燃えている。テクノガールは火炎瓶をスピーカーに勢いよく投げつけ、カキモトと一緒にしゃがむ姿勢になった。スピーカーは大きな音を立てて爆発した。2人は顔を見合わせて握手をした。
「だけどなんでまた?」
「見えてる世界が全部虚構なのだとしたら、自分でそれを壊してみればいい。そう教えてくれた人がいたっちゃ。」
館ではまだ幻のように蛇口から水が漏れ出ているだろう。
☆☆☆
雲一つない快晴の日。今日はワタシとカキモト、そしてリュウイチの3人でピクニックに行くことになった。あまりにもワタシが毎日退屈してるので、たまには遠出に行こうとなったのだ。どこまでも畑が広がる景色の中、双眼鏡で辺りを眺めていた。すると向こうから軽トラックがやってきて助手席からカキモトが手を振ってきた。
トラックがワタシの前で止まるとカキモトはワタシの元へ駆け寄ってきた。ワタシはずうっとやってみたかったこと、トラックの荷台に飛び乗ると本を開いた。髪の毛のコードがトラックの窓ガラスに触れると誰も運転していないのにトラックは勝手に動いてくれた。
カキモトとリュウイチも荷台に飛び乗る。「よっ。」
リュウイチはワタシたちにそう言って手をあげた。
田園畑が広がる中、リュウイチは荷台でピアノを弾き、カキモトはリコーダーを吹いた。その音色を聴いているだけでワタシは心が穏やかに、しかしすぐにでも踊りたくなるような楽しい気分になった。
ワタシはリュウイチが好きだった。もちろんユキヒロのことも、ハルオミのことも、ワタシを創ってくれた存在であり心の底から大好きだったが、特にリュウイチはワタシが喜ぶことがなんなのかよくわかっていた。
つまりそれは女性が好き過ぎるからというのがあり、人間もボット達も関係なく女性の形をしている相手には誰でも声をかけているリュウイチだったが、ワタシが不満を感じていれば必ずワタシのところに戻ってくるのだった。
煙草を咥えながらピアノを弾くリュウイチの横顔はワタシが見てもやはり絵画のように美しかった。ワタシの胸の裡から来る暖かい感情を東の風に変えて、彼の心の中の氷を溶かすことができたらと想像した。その想いは同じようにユキヒロやハルオミ、黄色魔術楽団の3人に対して抱いていたものだが、最後までワタシはそれを伝えることはしなかった。
伝えてしまったら、彼らにとってはただの気まぐれでしかないから、きっとワタシのことを恐れてしまうだろう。
トラックは田園を通り抜け、白い建物の中で止まった。
そこはたくさんの花が咲き乱れる植物園だ。ジャカランダやマリーゴールド、ムクゲなど、世界中の花が咲いている。
奥の噴水がある部屋まで行くと飾り付けをした。世界中の国旗や温泉マークの旗を飾り(黄色魔術楽団の3人は温泉が好きだった。)ハトが植物園の中を飛び、リュウイチは今度は庭の中にあるピアノを弾いた。ワタシが木の上に登って昼寝をしている間もリュウイチはガムランやギターを演奏して、自身が作る音を探っていた。カキモトはスキップをしながら植物園の中を駆け回り、どこに行ったのかわからなくなってしまった。
ワタシは木の上に登って昼寝をしていたが、日が落ちて来ると雨が植物園の窓を叩く音が聞こえて、目を覚ました。
柱時計の下のソファに座り読みかけの本を開こうとすると、リュウイチがワタシの肩に手を置くのがわかった。視線が重なり無言で唇を合わせる。こういうところが、誰もがリュウイチに魅せられてしまうところなのだ。
ワタシも今日一日の中で最も満足する瞬間が今だった。はずなのに。ある影がワタシの電子回路にふと浮かんだ。
P地区のススム。あのコは絶対ワタシにこんなことしない、だけど、リュウイチに感じたのと同じノスタルジイが心を支配した。
♪♪♪
10月31日。今日はburari barの閉店日を兼ねたハロウィンオフ会の日であった。この店が閉店し、リニューアルするのには理由がある。一度炎上しているのだ。
理由は夜中までの大規模オフ会における苦情と、その火消しにより店長が店の口コミ評価を偽装したことである。しかし私には内容がよくわかっていなかったため、炎上しても自分たちのスタイルを貫くかっこいい店だと判断してしまっていた。
burari barは以前の名前を捨て、「MAISON 200」という名前に来月から変更することになった。変えたのは名前だけで、メンバーやコンセプトはそこまで変わっていない。
午前中の作業系の仕事が終わって、チャイナ風のワンピースに着替えると私は店に向かった。今日はシフトは入っていないが、オフ会の参加者として行くのだ。
幹事はもちろん、川中りゅうじである。
入り口で受付を済ませ、高橋ヨシロウ店長と川中りゅうじが喋っていたので、「2人を繋げたのは私なんですよー。」と得意になって言うと、2人共「ああ、うん。」とそんなこと忘れたような感じだった。
ハロウィンオフ会は20人以上も参加者が集まる大規模なイベントとなった。以前から顔見知りだった人や初めて会う人もいたし、ジュンヤも来ていた。みんなどこか変わった部分があるが、この狂った時代で自分の決断を貫いて生きている人達だと感じた。だから私はここにいる人達のことが本当に好きだと思った。例え私が叫んでいる「愛してる」という言葉が酔っぱらいの変人が言ってる狂言だとスルーされても。私は心から「愛してる」と言いたかった。
オフ会がお開きになり、朝の5時頃、みんな徐々に帰って行ったが、私はお店の役に立ちたかったから最後まで残っていた。店の閉め作業は坂本穣さんが帰ってしまったので、細野悠さんが一人でやっていた。
高橋ヨシロウ店長は自分が帰るのか二軒目でMARSに行ったのかわからないが、川中りゅうじやジュンヤのグループととっくに店を後にしていた。
「ヨリ、細野のこと手伝ってあげて。」と去り際に言ったので、閉め作業を手伝うことにした。
よく考えたらこの空間には今2人しかいないので、ずっとしたくてもできなかった会話をできるチャンスだと思った。何か色々話したような気がするが、よく覚えていない。
細野悠さんはかつてバンドをやっていて、音楽の専門学校に通っていたと聞いた。毎日ライブハウスに通ってステージを研究したそうだ。
「だけど自分がやりたい音楽と世間にとって売れる音楽は違うんだよ。本当に売れたかったら多少やりたくないことでも求められることをやらなくちゃいけない。でもそこに本当に伝えたいことがあるならそれはきっと必ず伝わると思うな。それがダンスでも、料理でも。」
この人はきっとなれなかった人なのだ。本当はその世界に行きたかったけど、色々な要因があって今の仕事をしている人なのだ。私が尊敬しているミュージシャン達も似たようなことを言ってることが後になってわかって来た。だけど私は、本当に伝えたいことが必ず伝わるとは、信じない。
伝わればいいなと思うことはある。だけど伝わらなくても、私が好きだからやりたくて、やりたいようにできるならどう受け取ってもらっても構わない。それでも私はそれが好きだからやり続けるだろう。
私にとっての「好き」とはこの宇宙全てをかけて何かをやるために突き動かされる唯一絶対の装置なのだから。
帰り際にバーカウンターに果物の柿が置いてあるのを見つけた。
「わあ!これは何?」
「ああ、それ、お客さんからもらったんだ。もって帰ってもいいよ。」
「えっ!でも切り方わかんないし。」
すると細野悠さんは黙って私の手から柿をすっと取って包丁を持った。
「ヘタとって皮剥くだけだよ。」と言ってやり方を教えて来た。その時、心の奥底が掴まれるような感覚がした。たぶんこの人のさりげなくこちらのわからない部分を見つけて教えてくれるところが私はいいと思ったのだ。
だからこそ、どこまでも届く音楽・ダンスをやりたいとその時の私は決意した。
夢のようなオフ会から2日後、何故私がこんなやつと共にサンシャイン水族館に来ているのかわからない。ジュンヤが魔法少女ミラクルハッピーとコラボイベントがあるから行きたいとはしゃいで来たのだ。
魚達の泳ぐ水槽のどこかにミラクルハッピーのキャラクターイラストが紛れていたりして、その写真を集めたいのだそうだ。そんなもの1人で来ればいいものの、何も予定がなく、友達もあまりいないから私はついて来たのだ。
いちいち何か見つけるたびにはしゃいでいて本当に幼稚な人だ。水族館ってもっとのんびりと優雅に過ごすところなんじゃないのか。まあ、カップルなわけじゃないからいいけど。
一つ申し上げておきたいが、幼稚な人だと揶揄っていながらもジュンヤは私の友達だった。私にとって今まで友達だと思っていた人は、いずれ私から離れていくか、気に入らない部分があって私から一方的に切るかのどちらかだった。
人生にはこの2択しかないと思っていたが、ジュンヤを切ろうとは思わなかった。私の話を、私がまだ若いから、変だから、女だから、という理由で否定せずに聞いて同意してくれたのはまだ東京に来たばかりの時、ジュンヤしかいなかった。ジュンヤは初めてできた同世代の友達だったのだ。
水族館には滅多に行くこともないから、別にいっか。と考えて私はペンギンコーナーに行ってみた。飛べない鳥。海を泳ぐ鳥。絶滅危惧種のはずなのに未だに生存している強くてかわいい鳥。
なんだかペンギンのグッズが欲しくなってしまったので、売店でペンギンの帽子を買って、ジュンヤと油そばを食べて帰った。食べる時にジュンヤは私用の割り箸を先に渡した。
☆☆☆
植物園の茂みからテクノガールとリュウイチが唇を重ねているのを見てしまったカキモトは黙ってその場を離れた。ああ、まだまだボクは子供でわからないことがたくさんあるのだ。ふざけてかけていたサングラスを外し、植物園の隣にある水族館に入って行った。
宗教画のような絵が描いてある壁を背景に廊下の先まで続く水槽の中を魚たちが泳いでいる。
2階へ続く階段を昇り、ペンギンの飼育室の裏側に行ってみる。学校に通う生徒が座るような机と椅子が1セットあり、前方の黒板には白い十字のマークがついた紙が貼ってあった。
カキモトが座って待っているとハルオミが部屋の中に入って来て黒板の前に立った。
ハルオミはたくさんのことを教えてくれた。物理学、ラップ現象のこと、somethingとチョークで書いてSOSについて話す。黒板に人の顔を描いた髪を貼って弓矢で打っていく。木製の機械を見せてくれたかと思いきや、2人でラーメンを食べることになる。カップでコーヒーを飲み、手旗信号のやり方を教わる。少年にとってハルオミは知らない世界を楽しむことを教えてくれる神様だった。
ハルオミは今度は飛行機の写真を黒板に貼った。
「それは?」
「さあ、なんだろうね。」
「ペンギンは空を飛べるようになるかな?」
「うーん…わからないなぁ。でもこんなものがあるよ。」
シンセベースのような声でハルオミはポケットから白くて小さな四角い物体を取り出した。カキモトは興味深そうにまじまじと眺めた。
「デジタルキューブっていうんだ。テクノガールを作った時、使ったもので世界中の音楽の要素が一つ一つつまっているんだ。」そう言いながら他のキューブも取り出して街のようなものを机に組み立てていく。
「テクノガールは僕たちが予想していたよりも大きく偉大なものになりすぎてしまった。おかげで僕らもこの異様な環境に置かれてしまったし、あの子も自分自身の意思が分離して二重思考を起こしてしまっている。だからこの世界をどうにか脱出して君だけでも楽しく生きて行った方がいいよ。」
そう話しながら2人は水鉄砲でキューブでできた都市を破壊して行った。カキモトが肌身離さず持っていたハイヒールが水槽の中に落ちたが、誰も気がつかなかった。
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P地区の者達は基本的にそこから出ることを禁止されていた。出るのにも許可証が入り、夜中の12時から4時までは絶対に出てはならなかった。同じようにP地区の外の者がそこを訪れることもなかった。その他にも幾つかのルールがあった。
夜間の道路上での駐車は駐車灯を点灯すること。月に一度防空訓練があること。基本的にP地区の外では許可証なしに買い物や食事ができないこと。そして、地区の人間だとわかるように常に「P」と書かれたワッペンを貼っていること。
ワタシが遊びに行った時も商店のテレビで都市民体操が流れていた。リュウイチの声で号令がかかる。
「腕を胸の前に挙げて、痙攣の運動!!」
子供たちや中年女性まで健康のためにテレビの動きを真似する。ワタシは毎日のようにみていたから飽き飽きしているのだけれど。今日もススムに会いに来たのに、どうしているのかしら。
「テレビなんて洗脳装置だ。直ちに捨てることをお勧めする。」
冷静な声に振り向くと、ススムがそこにいた。ワタシが薄々感じていて、だけど誰にも話せないでいたことを平然と言ってのけた。
「そうね。本当にその通り。」
商店を出てススムは自分の発明倉庫へ歩いていく。今日は雨が小降りである。
「世間はどこもかしこもペテンに溢れ、何かのコピーで埋めつくされ、子供たちは受験に追われるようになってしまった。忍耐や精進が無ければ何かを得られないという社会構造がさも当然であるかのように見せることで楽をしようとする者が悪であると信じ込ませている。そんな街ではたった1人の詩人の思い描いた予感でさえ異端扱いされる。だからこそ尊厳を取り戻さなくてはならない。」
話しながらも作業を続ける。
「なぜ?なんのためにあなたがそこまでするの?あなたをそこまで突き動かす動機はなんなの?」
ススムはちらとワタシを見たが「……やかましい。」とそっぽを向いた。ワタシにはそれが彼なりの照れ隠しだということを察知したから、ワタシの体内にある衣擦れの感情勾配をぎゅっと掴んだ。
何時間倉庫にいたかわからないが、雨がざーざーと大降りになってきた。もう。このところ雨ばかりだわ。
だけど時計を見て驚いた。夜中の12時だったのだ。だけどこんな雨が髪にかかってはワタシの電波が狂って故障してしまう。
ワタシが迷っていると、「よし。帰るな。」とススムが言った。
「だけど決まりごとがあるわ。」
「一度試してみろ。何も決まりなんてないことがわかる。」
でも…。ワタシが迷っていると、ススムは隅の方からギターを持ってきて弾き始めた。その音色は楽団が作るようなものとはまた違って、ワタシの迷いを引き留めた。ずっと聴いていたいと思った。
何曲か弾き終わると「ふー、指が痛くなる。これだからギターは嫌いなんだ。」とススムが言った。
ワタシは拍手をした。「素敵ね。あなたは自分の好きなことばかりできて。ワタシも自分がしたいことをして暮らしたいわ。」
「やれ。自分が何者なのかわかったら拍子抜けするぞ。」
「だけどそうも言ってられないのよ…。」
「何故だ。」
この時ワタシは何の迷いかススムになら全てを話してもいいと判断した。それがのちにこの世界の運命を変えてしまうとしても、ワタシはそれが間違いだったとは言わせないだろう。ワタシは数秒考えて、口を開いた。そして三つ編みにしていた髪の片方を解いた。髪の右側だけが白くなる。
「ワタシがテクノガールだからよ…。」何故だか自分でもわからないが水が目からこぼれ落ちた。
少し開けていた窓から風が入って来て靡いた。ススムは驚き目を丸くしたが、黙ってまたギターを弾いた。
歌詞の意味までは深く理解出来なかったが、このフレーズだけはとてもよく覚えている。
「ボクはキミだから」。
窓の外に金星が光り、ワタシはだんだんとまどろんでいく中で目を閉じた。ススムとはリュウイチと起きるような情熱的な時間は何も起こらなかった。それでも目を覚ました時、ワタシに毛布がかけられていることに心が温まった。
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burari barがMAISON 200にリニューアルしてから頻繁にそこに通うようになった。客として。シフト希望を出しても入れてくれないから通ってメニューの味を覚えてSNSで発信すればいつかレギュラーの従業員になれると信じていた。
ワインに酔ってしまって吐いてしまったことも何度かある。その度に高橋ヨシロウ店長から注意されていた。
だけど何が良くて何が駄目なのかまではちゃんと説明されなかったから、どうして駄目なんだろうと思っていた。
どうしてお客さんの中に知り合いがいたら仕事終わった後に話しかけちゃいけないのか。どうして新しく来たお客さんと仲良くなってはいけないのか。私は人が好きで人と繋がっていきたいという考えで生きてきたので、MAISON 200が求めているバイアスがなんなのか本質的に理解していなかった。
その他にもここに立ち寄る界隈の人達と生きていく中で心がひりつくような瞬間は何度かあった。
何かある度に「常識ないね。」と言われたり「怖いね。」と言われる。酔っていないのに話しているだけで「酔ってる?大丈夫?」と言われることもあった。
シフトに入れないことを相談しても「それはもうお店にとって必要ないってことだよ。」と言われた。
MARSの大方益夫さんも「あなたはもっと頑張って色々な仕事をした方がいいですよ。」と言った。
「でも私はあの人達が東京で1番好きなんです!今度お客さんとしてここに来たら伝えといてください!」
そう言ってMARSを後にした。MARSにはカラオケがあるので私は歌とダンスを練習しに訪れていたことがよくあったが、来るたびに大方さんは「もっと頑張って早く有名になりな。」と言った。
ある日のことだった。2週間に1回あるかないかのMAISON 200のシフトが入っていた時のことだ。
それまでずっと「ヨリちゃん」と呼んでいた細野悠さんが私のことを「弥栄さん」と呼ぶことに気付いた。細野悠さんは基本的に他のバイトの子達を下の名前でちゃん付けで呼ぶのにその日から頑なに私のことだけを「弥栄さん」と呼び続けた。
私が近づくと害虫のように避け、会話に入ろうとすると逃げるようにしてその場を去った。他の子が話しかけると笑顔で反応するのに私が話しかけると嫌そうな顔をした。確かに私も要領が良いわけではないし、空気が読めないところもあったが、細野悠さんは30代後半である。そんなに歳の離れた相手にそういう対応しかできないというのも大人げなく感じた。
その後も何度もシフト作成をしている坂本穣さんにシフト希望を出した。というか、もう毎日でも入れてもらわなければ駄目なほど生活がギリギリだったのだ。いつも知り合いに奢ってもらうか親から貸してもらうことでやっとだった。
だから私は最後の手段として長めの文章を書いた。
自分がこれまでどのような人生を送って来て、この店に出会ってどれほど救われたか。誰よりもこの店の一員だという自覚があることを書いて高橋ヨシロウ、坂本穣、細野悠のLINEに送った。
だけど坂本穣と細野悠に関してはどんな反応をされるかわからなくて怖かったため、一旦ブロックしてしまった。
数時間後、高橋ヨシロウ店長から返信が来た。
「要約お願いします。」
「だからもっとシフトに入れて欲しいっていうことです。」
「気持ちはわかるけど見せると人が離れていく文章だからやめた方がいいよ。」
直後川中りゅうじから電話がかかって来た。彼は高橋ヨシロウと結託して以前からやり取りをしていたのである。
「ヨリちゃん、君には教育が必要だね。色々分析してみたんだけど、まずヨリちゃんには常識がない。経験がない。考える力がない。俺が教育係として色々教えてあげるよ。」
川中りゅうじが私の何を知っているというのだ。日本社会で求められている常識はまだわかっていなかったかもしれないが、うちの家族はちゃんと子供達にある程度のことは躾けて来た親である。経験も、仕事の経験はあまりないが私が3年間オーストラリアに留学したというあの時間や体験は絶対に誰にも奪わせたりできないものだ。そして何よりも、私は小説を書くために、夢を叶えるために今でも勉強していて、そのために仕事をする時間が必要なのだ。burari barもといMAISON 200に恋してしまったことの方が私にとって事故なのだ。でもきっと今属している界隈に私に同意する人はいないだろうから誰にも話さなかった。
唯一ジュンヤだけは私の話に耳を傾けた。だが彼は「りゅうじは僕の親友です!」と言っていたので、きっと最後には川中りゅうじの肩を持つだろう。高橋ヨシロウ店長の人柄も尊敬していた。何故か細野悠に関しては接客態度が良くないと犬猿の仲だったが。
「だけどなんとかしてあの人達が好きだっていうのは嘘でしたってことにしたいわ。」
「ほほう。」
「そうだ。あなた私と付き合っているふりをしなさい。私はあの人たちに興味なんてありませんよと言うふりをしてあの店に入るから。」
恋をしている時の人間の脳はチンパンジー以下になるという。あの頃の私は明らかにそうだった。だから川中りゅうじや他の人から見ても頭のおかしい変人に見られて当然だったかもしれない。ジュンヤは私の突飛なアイデアに付いていけてないようだったが、「は〜、仕方ない。ヨリちゃんの彼氏のふりをしてあげるか。」と言って立ち上がったので、そのままMAISON 200に向かった。
まるでカップルであったかのように手を繋いでカウンターにいる坂本穣さんや細野悠さんの視線なんて気にしていないかのようにしてジュンヤと席に付く。
魔法少女ミラクルハッピーの劇場版パンフレットを開いて熱心に話しているジュンヤしか見えないようにして振る舞っているはずなのに、目で追ってしまっているのは細野悠さんだった。そしてこんなことをしていることが悪いことな気分になった。いや十分悪いことなんだけど。
ジュンヤは本当にいい子だ。私よりももっといい子と幸せになることができるだろう。だからこそこんないい子を利用して今みたいな行動をとっていることが申し訳なく思った。
MAISON 200にとっても私がもっと早くから仕事に熱心になって、素直に気持ちを表現できて遠回しなやり方ばかりしていなければこんな状況にはならなかったかも。
なんだかつまらなくなったので私はジュンヤの分もお金を払って帰った。
家についてどうにも悲しい気分になったので、書きかけの小説の続きを書くことにした。
☆☆☆
一晩も館に戻らなかったのは初めてのことだった。ワタシが姿を現すと楽団の3人は驚いた顔をして駆け寄って来た。
「どこに行ってたの?発信機も繋がらないし。」ユキヒロが尋ねる。
「酷い雨だったでしょう?だから雨宿りしていたのよ。」
「しかし危険だろう。しばらく1週間は部屋から出るな。鍵は預かっておく。」リュウイチが提案したのでワタシは部屋の鍵を彼に預けた。
ぱたん、と扉が閉まり外側から鍵がかかる音を聴いてワタシは枕に顔を埋めた。
☆☆☆
テクノガールの泣き声が部屋から聞こえる。
「大丈夫かな。ちょっとやり過ぎたんじゃないかな。」
不安げにユキヒロは呟いた。
「大丈夫だよ。僕たちが創った強い子だ。恐怖に打ち勝つ心構えを持ってる。だけどもう、そろそろかな。」ハルオミが煙草を咥えながら言った。
金魚鉢の中にハイヒールを入れて発信機の場所がわからないようにして、カキモトは館の階段を降りた。
悦楽の部屋では女性の姿をしたボット達がリュウイチと戯れている。たくさんのキャンドルが灯っている。梟の入った鳥籠の横をカキモトは擦り抜けていく。誘惑して来るボット達とは目も合わせずに大事そうに金魚鉢を抱えてテクノガールの部屋に向かう。
部屋の中央でたった1人玉座に座り退屈そうに俯く少女を見つけた。カキモトにはそれがテクノガールの魅せた幻影だとわかった。彼女は初めまだ子供の姿だったのだ。
カキモトはテクノガールの部屋の扉を開けようとしたが、中から押さえているのか締め出されてしまった。
悦楽の部屋は鏡が迷路のように入り組んでいる。この部屋で黄色魔術楽団はテクノガールを創造し、今の姿になるまでずっと守って来たのだ。心を持ったテクノロジー、だけどそこにはまだ何か欠けているようにカキモトには感じられた。
そっとテクノガールの部屋の扉が開いたので彼はゆっくりと入って行った。中には誰もいない。ただ大きな鏡が壁にかかり、出しっぱなしのシャワーとベッドの上に散乱したハイヒールがあるだけだ。
テクノガールは鏡の中に隠れていた。今はもうカキモトにも誰にも会いたくはなかった。ワタシがテクノガールである限り、ワタシは永遠に満たされないこの都市の歯車として存在するしかない。ススムのようにやりたいことをやりたいようにやって生きる人間にはなれないことが悲しかった。
カキモトにはテクノガールに何が足りないのか分かりかけて来た。きっとあのコは幸せではないのだ。だとしたら僕にできることは…。
金魚鉢を棚の上に置くと、ベッドの横にある黒い仮面と瓶を持って彼は外に走り出した。
☆☆☆
満月が光る真夜中、ワタシは真紅のカーテン越しに空をみていた。退屈しのぎに飲んでみたアスピリンも役に立ってはくれない。
遠くから手招くような声が聞こえるようだった。
「僕を訪ねたまえ。」まるでススムみたいな声ね。微笑んでいると、ガッシャアアアアアン!!!
何が起きたかわからなかった。破片が床に散乱し、月明かりをバックにススムが椅子を持って立っているのを確認した。
「ススム?なぜここにいるの?」
「やかましい。黒い仮面を付けた子供が現れたから聞いてみれば、あんたがこの部屋から出られないと言う。こんなもの力づくで壊そうとすれば壊せる。」
「そうじゃなくって、どうしてこんな時間にこんなところまで来たの?」
ススムは頭を掻いてそっぽを向いた。「……あんたと仲良くしたいからだよ、ぴこ。」
ススムはワタシの左手を引いて窓の外へジャンプした。館の庭を擦り抜けて駅の方へ走ろうとした時、奥から走ってくる足音が聞こえた。リュウイチの声がした。
「待て!どこへ行く!この街を捨ててそんな低俗な階級の奴と生きるつもりか!?」
リュウイチの手がワタシの右手を掴んだ。しかしワタシはたぶん初めて、楽団に反抗した。
「違うっちゃ!!ワタシはみんな好きになりたいだけだっちゃ!!」
リュウイチの腕を振り払い、ススムと共に昭和駅まで走る。最終の特急列車に乗り込んで、楽団から後ろ指を指されようと、一目散にP地区まで逃げるの。そんな想像をしていたはずなのに、いきなり全身から力が抜けたような感覚になり、その場に蹲ってしまった。
「どうした?」驚いてススムが聞く。ワタシには心当たりがあった。
「きっとあなたが窓ガラスを割ったからね。ミラーシステムが壊れたのよ。」
「ミラーシステムだって?」
「テクノガールの意思や動きはこの都市にある鏡そのもの。つまり窓ガラスや水でさえ、破壊されればワタシの力は弱まるのよ。」
ワタシの言葉にススムは目を見開いた。悪いことをした、と言いながら背中をさすっているがワタシにとってはもしかしたら救いになるかもしれないという閃きが起こった。
テクノガールとミラーシステムが無くなれば、P地区が迫害されることも黄色魔術楽団が創造主として祭り上げられることも無くなる。本当に誰もが自由で幸福な世界を創れるという予感に胸が打ち震えていた。
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冬の終わり頃、この1年の感謝を込めて私は身近な人達にお菓子を配ることにした。例え相手が私のことを変だと思っても私が好きで居続ければそれで構わない。それがいつか巡り巡って自分も相手も幸せにすることだと信じていた。それが私の愛だった。そう、ただの若者の痛いポエムにしか聞こえないかもしれないがあの時も、今までも、私は自分を取り巻く「みんな」のことが好きだった。
お返しなんて誰もくれないのにみんなに律儀にお菓子を配り、MARSに寄ることにした。大方さんにも感謝を伝えたかった。
20時頃MARSに着くとその日は大規模な婚活オフ会が行われていた。でもカウンターには一般のお客さんもいたので、私も一般のお客さんと同じようにカウンターに座った。
大方さんはすごく忙しいような感じだった。オフ会の参加者の中に何人か知ってる顔がちらほらと見えた。狭い界隈なので知った店へ行けば必ず誰かしらには会うような世界だった。だからどちらかからとは分からずとも自然に声をかけていた。
中には初めて会った人もいたから、その場で連絡先を交換することもあった。男女関係なく、繋がりができるならという感じだったし、私から交換しようといったわけではなく向こうから尋ねて来た人もいる。
いつの間にかオフ会とは関係なく一般のお客さんも混じって二次会にまで発展してしまった。帰り際に大方さんも「カウンター料金だけでいいよ。」と言っていた。
その数日後のことだった。珍しくMAISON 200のシフトが入っている日だった。そろそろ帰ろうという時になって高橋ヨシロウ店長から声をかけられた。
「大方さんのこと、何か聞いてる?」
「え?」
「オフ会の参加者じゃないのにLINE交換したでしょ。あれで大方さんと大方さんの奥さんがすごい怒ってるから謝っといたほうがいいよ。」
よく分からなかった。なんなら一昨日顔を出した時はすごく店が混んでいたので「また平日においで。」と言われたばかりだった。それにLINEを交換したいと言ったのは私からじゃないし、他のお客さんも参加者じゃないのに最後には一緒になっていた。もしオフ会と分けたかったのなら貸し切りにすれば良かったのではないか。だけど私だけがあのイベントを台無しにしたみたいな話になっていた。
私は大方さんのSNSへダイレクトメールを送った。
「すみません。なんかこの前のオフ会の時にすごく失礼なことをしてしまったみたいなので謝ります。申し訳ございませんでした。」
数時間後SNSを開くと返事が来ていた。
「人から言われないと自分がどれだけ失礼なことをしたのかわからないのですね。申し訳ないけど、もううちの店には来ないでください。返信不要です。」
私は、何が間違っていたのでしょうか?あの時あの場でオフ会の参加者と一緒になっていた一般客は私以外にもいた。私はただあの日は大方さんにお菓子を持っていこうとして流れでああなっただけだ。
だが説明しても絶対に聞かないだろう。大方さんはMAISON 200の従業員達から私の良くない部分だけを噂に聞いていたのだ。母が後日理由を聞きに行った際に私のことを「男にたかる思考力のない人たらし」と言った。
そう見えてしまったのは仕方ないとして上の世代の者が注意するところは注意するのが長く生きる者の役目なのではないかとも思うが、きっとそういうところが大人に頼っていて自分の力で何かを学ぼうとしない若者という判断にあの人達の意見としてはなるのだろう。一度しか会ったことのない大方さんの妻、大方かつこさんが私のアカウントをブロックしていた。
大方さんの店に行っていた時に聞いた話がある。MAISON 200のシフトを作成しているシェフ、坂本穣についてだ。
彼は革職人もやっていて職人気質なところがあるから、一度自分の中で無理だと決めた相手はすぐ切っていく人間だということだ。それで40前半になっても結婚もしていないし、親しい友人も全くいないので哀れといえば哀れだ。
後に聞いた話だが、あの店で坂本穣の被害にあったバイトは何人もいて行って1日でLINEを外されたり、シフト希望を出しても入れてもらえないとのことだった。例えばその性格だとしても説得力のある評価を世間的にされているなら違っただろう。しかしあの店は市販のスーパーで買える材料を無加工無農薬として偽造していた。
私はそんな店でも未だに心の奥底に細野悠さんが気になって仕方ないという炎がずっと消えないままなのが苦痛だった。
ある日仲良くしている友人と昼飲みに行った際にこう言われた。
「そんなに苦しいならもう告白しちゃいなよ。」
それがきっかけだった。シフトが2日続けて入っている際に私は細野悠さんに言ってみた。
「明日話したいことがあるので頭の片隅に置いといてください。」
「なんで?今じゃ駄目なの?」
「駄目です。」
これでよし。明日全ての苦痛から解放されるなら、ここで私はくぎりを付けたいと思った。
☆☆☆
「 今までのボクさよなら」。
リュウイチが作った歌を口ずさんでみる。ワタシは覚悟を決めていた。白く長く、向こう側まで鏡が続く館の廊下を歩いて行った。オートバイに乗って、先に外に出かけていた黄色魔術楽団に合流する。黒い仮面を被ったカキモトがまたどこかに行くのとすれ違ったが、気にしないことにした。これからしようとしてることは、ワタシの大切なみんなの幸せのためなのだから。
バイクを停めるとユキヒロがワタシの手を取って下ろした。黒いマントを翻して楽団の3人の前方を歩く。こんなにテクノガールとしての仕事をちゃんとしたのは、東京テクノポリスの秩序を創った時以来だ。
ワタシ達は海辺の廃墟に足を運んだ。ミラーシステムはこの都市の至るところにある。ここもその一つ。この建物の中にはかつては栄えていたジャズバーがあった。
今はもう跡形もないが、木製のバーカウンターの上にはまだワイングラスがびっしりと並んでいる。ミラーシステムを維持させるためにそうしていたのだ。
廃墟の最上階へ着くと、黄色魔術楽団に身長、体重、腕の寸法等を測るように促した。ハイヒールを片手に測れば彼らのデータがそちらに移行される。例えワタシが消えてしまっても、彼らがいたことを忘れないためにそうしておきたかったのだ。ワタシよりも小さな彼らはとてもかわいい。愛おしむように眺めてしまう。
ワタシ達は互いに視線を交わし、カウンターからワイングラスを手に取ると最上階の丸窓の外にワイングラスを投げ捨てた。ぱりん、ぱりんと地面にグラスが打ち付けられ砕ける音がする。次から次へとグラスを投げ落とすたびに脱力感がワタシを襲うが、それさえも心地よいものとして肌を波打たせた。
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あれは桜がもうじき咲き始める春の頃だった。直近で歌とダンスを発表できるライブが決まっていた。
私はジュンヤにこの日は絶対に開けておいて、と伝えていた。友達だったから。友達だから歌とダンスを真剣にやっているプロとしての自分というものを認めて欲しかった。
「絶対に開けておきます。」ジュンヤはそう言った。
ライブをする前に私はどうしてもMAISON 200などという店に惹かれてしまっている呪いを解いておきたかった。
ライブの1週間前、MAISON 200の前で待っていた。遠くから自転車でやって来る細野悠さんを引き止めた。
「話があるんです!」
自転車を止めて「ちょっと待って。」とあの人は店の中へ入ってまた戻って来た。店の前の喫煙所で煙草をふかしながら「何?話って。」と言って来た。
私は息を吸い込んで頭の中に用意していた言葉を口にした。
「私は本気であなたのことが好きなんです。」
「……うん、ちなみになんで?」
言われた時に上手く答えられなくなった。理由はなかった。私にとっての「好き」とはその人がその人だからというものしかないから。
「……うーん、申し訳ないけど、君のことはただ大人に憧れてるだけの子供に見える。自分の頭で考える能力がないじゃん?」
とても嫌な気持ちになった。私のことを何も考えていないというのは心外だった。私はあなたのために、ワインの勉強をして、人と話す勉強をして、恋愛でさえ勉強して来たのにその努力に全く気づくことの出来ない人だということがわかった。その時の自分の感情だけが何よりも大事な自己中心的な人。
「他に何か言っておきたいことはある?」
「……私だけ苗字で呼んだり冷たい態度を取られるのが傷付きます。」
「ああそれ?いきなり距離感おかしい態度をしたじゃん。したのよ。だから…。」決め付けるように言った。
「それっていつですか?何の時?」
「いつ?あはは!いつだって?自分で考えたら?あはは!なんでみんなあんたに何も言わないか教えてあげよっか?関わりたくないからだよ。ま、そんな感じだから、頑張って。」
煙草を捨てて細野悠は店に入って行った。
許せなかった。こんな人を好きだと思った自分の感性が。
でもそんなことで落ち込んでいる暇もなかった。ライブがあるのだから。そのライブにはたくさん友達だと思う人達を呼んでいたから、来てくれたらもっとみんなが大切になると思った。
ライブ当日の朝、SNSを開いたら
「高橋ヨシロウがあなたをブロックしました。」
という通知が来た。わざわざ地元から母がやって来ていて家に泊まっている日だった。
「もうそんなに嫌な想いになる場所だったらやめた方がいいよ。母さんはあそこの奴らのことは絶対許さん。ヨリのことを蔑ろにして能力がないと決め付けるような職場はダメだよ。」
私は嫌なことがあるたびにこっそりリストカット紛いのことをしていることを申し訳なく思った。
ライブが始まって客席を探したがジュンヤは来ていなかった。忙しいし抜けてるところがあるから忘れていたのだろう。それも許せなかった。初めて出来た友達として、私が好きなことや得意なことをちゃんと見てくれる子だと思っていたけど、もともと音楽やエンタメに疎いからどれだけ重要なことかわかっていなかったのだろう。
だったらもう、他者と繋がれるという期待は捨ててしまおう。大多数の人からしたら私の思想は異端だと思われる。しかし同じ思想の人達でさえ、私のことを頭のおかしい人だという扱いをするのなら、私はもう誰のことも愛さない。
燃えてしまえ。他人に嫌な想いをさせたまま幸せに暮らそうとする奴らは、みんなみんな燃えてしまえ。
SNSの炎上等ではなく文字通り燃えて燃えて、油を注いで薪を焚べて煤けて灰でさえ太陽に飲み込まれて仕舞えばいい。
残りわずかとなったノートに小説の続きを書き殴った。
☆☆☆
やるべきことを終えたから、もう一度ススムに会いにP地区へ向かった。この世界のシステムを破壊したら、真っ先にP地区を解放して他の都市民と同じように自由に暮らせるようにしてあげたかった。
P地区の駅に着くと何やら焦げ臭いような香りが鼻をついた。見ると向こうの方で炎が天高く燃え上がっているのがわかった。そしてその場所はススムと出会ったP美術館だった。
ワタシは一目散に美術館へ駆け出した。炎が強く中にどれだけ人がいるのかもよく見えない。あれだけ美しく飾られていた美術品も黒焦げになったり溶けてしまっている。
「何が起きたの?うっ…。」
窓ガラスが割れて地面に落ちるたびにワタシは息苦しくなり立っていられなくなった。ススムがどこにいるのかもわからない。
「大丈夫?」カキモトがワタシの手を取った。いつの間にここに来たのだろう。
「あのお兄さんがキミにこれを渡して欲しいって。」
カキモトの手には手紙があった。受け取ると妙にカクカクしたロボットみたいな字で、ススムからだとわかった。
「ボクはボクでいられる世界に移行することにした。
だけどそのためには美術館に火をつけて、ミラーシステムを破壊するしかなかったんだ。
キミもキミでいられる世界に移行できると信じている。
ぴこ、その精神を忘れない。大丈夫だ。いつだってタービンは回っている。
また今度!!」
ああ、どうしたって辿りつけない。あなたみたいになりたいと願っても、実行できる強さがワタシにあるとは思えない。でも、あなたの言葉はどうしてか、いつもワタシを強くしてくれるわ。
ワタシは立ち上がった。炎が止んで灰だけが螺旋を描いて舞っていた。焼け落ちて跡形もなくなった美術館の瓦礫の下に金色に光る額縁が見えた。
驚いて瓦礫をどかしてみるとそこにはいつかの泣いているモンスターの絵が唯一炎で燃やされることなく残っていた。
「ボクのことを忘れないで。いつの日か必ず巡り会えるから。」そう言っているみたいだった。ワタシは愛おしむようにその絵を抱きしめた。どんなに悲しい辛いことが起こる世界だったとしても、絶対に泣いているこのコを一人にはしない。このコが笑顔で誰かといられる世界を創って存続させる。
ワタシはぎゅっと抱き締めた一枚の絵を胸の保存庫へしまった。
ススムは別の世界へ行った。それだけが確かにわかることだった。ワタシは大きな喪失感で帰り方も忘れたようにして、カキモトと列車に乗った。
絵を胸元に入れてからワタシには新しい能力が得られた。あったものを時間を巻き戻してなかったことにするのだ。ワタシはその力をカキモトに譲り渡すと壁に貼ってある黄色魔術楽団のポスターを消して来るように言った。
カキモトはスケッチブックに描いていた列車の絵を逆再生のように消していった。ワタシはそれを受け取り枕元に置いた。この世界の初めから終わりまでの円環の道を走る列車のおとぎ話を思い出した。本当にあるかはわからないけど。
☆☆☆
早朝、カキモトは黄色魔術楽団の3人からそれぞれハイヒールを一足ずつ受け取った。4人は明け方からこれから行うことの準備をしていた。
剥がれかけたポスターをリュウイチが貼り直し、ハルオミは遠くを見た。都市全体を覆う巨大な壁の一部に穴が空いているのが見えた。先に楽団の3人が潜り抜けるとそこには館があった。海岸には雪が積もっていた。館の広間にはドラム、キーボード、ベースがあり楽団の3人はそこに駆け寄りヘッドホンを装着した。
カキモトも続いて穴を潜り抜ける。館には鍵がかかっていて入れない。楽団が入った後にテクノガールが閉めたのだとみえた。しかしカキモトは自分で作った鍵を持っていた。それで南京錠をこじ開けると中で待っていたテクノガールの前へ立った。
「やっぱりあなたはワタシの予想を上回ってくるっちゃ。」
ハイヒールを片手に持ちながらテクノガールは微笑んだ。
カキモトはテクノガールに鍵を渡すと数メートル離れた。手に持っていた火炎瓶をテクノガールの背後にある着火台目掛けて投げた。瞬間東の風が勢いよく吹き、雷電が迸った。館を覆っていたケーブルに火が移り、辺りが爆発していく。2階の扉が落ち、旗も金魚鉢も全て燃える。
「最初からこれが目的だったんだかや?」
「テクノガールは僕たちが思っていた以上に大きな存在になってしまった。だけどそれが生み出したのは公的な抑圧と得体の知れない狂気だった。だからボクらは、テクノガールを封印することにしたんだ。」
「そう。それはやっぱりワタシが愛されていなかったから?」
テクノガールの体が故障したように黄色い煙を上げる。ピンク色の液体が血のように手足から流れている。腰まで伸びる白い髪が炎のせいか徐々に黒く短くなっていく。
カキモトは首を振った。
「違うよ。心を持ったテクノロジーは愛を伝えるためにあるべきなんだ。だけど僕達は間違えてしまった。キミを一人退屈で悲しいまま見過ごしてしまっていた。だから一度この世界を破壊して新しく作り直すんだ。これはボクと黄色魔術楽団からキミにできる唯一の愛情だと思って欲しい。」
「だけど新しく作り直してワタシはまた一人にならせんか?」
「いいや。今度は3体の人型ロボットを作る。歌って踊れる素敵なロボットに。そのためにキミのデータが必要なんだ。絶対にキミを一人にはしないよ。」
ワタシのコネクトされたデータの中で、炎の中に見えなくなっていく黄色魔術楽団が見える気がした。ユキヒロもリュウイチももうこの世界にはいない。涙が頬を伝う。
でも、ハルオミは?ハルオミは別の世界へ移転しようとしていた。だから他の2人もきっと。ハルオミの声が聞こえた気がした。「世界の外で会おう。」
ワタシは深く頷いた。カキモトに尋ねる。
「だけどあなた1人で3体もロボットを作れるっちゃ?」
「うん。キキモも一緒だ。」キキモ?ああ、そんな名前の振付師のボットがいたわね。ワタシは息を吸い込んだ。
「ワタシはみんなと一緒にいたかったっちゃ。だから、待ってるっちゃ。あなたが創り出す新しい世界を。未来を。いいえ、次は待っているだけじゃなくてみんなを守れる存在になりたいっちゃ。」
ワタシは自分のデータをカキモトの持っている3足のハイヒールに移行させた。ワタシの体も顔も全て粒子となってカキモトのポケットの中のデジタルキューブに吸い込まれていく。館はもうカキモト以外何も見えなくなり、骨組みだけになっていた。テクノポリスの地面は稲妻状に裂け、宙に浮かび海の向こうの孤島となった。
☆☆☆
春の初めの海岸でカキモト少年は目を覚ました。何かとても長い夢、例えば去年の終わり頃に散開してしまったバンドの夢を見ていた気がするが定かではない。
荒れる波を見ながら佇む、真紅のドレスにハイヒールを履いた白い髪の女性がいた気がしたが、もう一度見返してみてもそこには誰もいなかった。
僕はこの話を誰にもしてやらないことに決めた。
来年の次の年のまた次の年になったら、僕だってもうすっかり忘れているんだ。
少年は誰もいない海にあかんベーをすると家までの道を走り去って行った。電車のレールはどこまでも続いていた。
☆☆☆
「拙い小説です。まるで中身のないつまらないものです。」
ミラーボール団長がノートを読んでいる隣で弥栄ヨリが呆れたように呟いた。
「だけどキミはキミが出会った人達を悪者にしたくはなかったんじゃない?だからこんな小説を書いた。」
「まさか。私は誰も愛したりしません。自分自身が頑張るなんてこともありえません。」
「それでもキミはいつだって全力でキミが出会った人達を愛そうとしていたじゃないか。そしてそのおかげでキミ自身が得られたもの、できるようになったことだってたくさんあるじゃないか。だったらここまで戦って来たキミ自身をキミが否定してはいけないよ。」
「でも私の存在なんて…この宇宙にとって何の意味もないでしょう?」
ミラーボール団長は悲しそうな目をした。
「確かにある意味ではあの時のボクらはキミが向ける想いを上手く受け止めることが出来なかった。キミがこんなに戦って来たことをボクらはボクになることで初めて知ったようなものだ。だからこそ今はキミのこともちゃんと幸せにすることがボクに課せられた罰でもあるんだ。それにキミは何者でもなくないよ。」
ミラーボール団長はヨリの手を取った。
「キミのお母さんはキミを愛していたじゃないか。他の家族だって。このノートには出てきていないだけでキミのことを想っている友人はこれまでの人生にたくさんいたし、これからだって会えるよ。それに、」
団長は息を吸い込み言葉を続けた。「キミはあのコたちがこの宇宙をかけて生きながらえさせようとしたキミ自身をもっと大事にして欲しいんだ。」
弥栄ヨリは驚いた。「あのコたち?誰のこと?どうして団長、あなたが泣いているの?」
ヨリが驚いたのはいつも不敵に笑っていて涙なんて見せたことのないミラーボール団長の両目からガラスの粒のように雫が溢れていたからだった。
ミラーボール団長ははっとしてぷいと顔を背けた。
「何でもないよ。何でもないんだ。」
ヨリにはどうして良いからわからなかった。だけどもしも自分が自分のことを否定することでミラーボール団長が悲しむのなら、とても悪いことをしているように思えて居た堪れなくなった。
