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ものづくりと恥ずかしさ

前回は、型にはめるのではなく、型をベースにしながら崩していくという話をしました。

今回はそこからすこし視点を変えて、最近ハマっている“音楽生成AI”を通して感じた、「恥ずかしさ」について話してみたいと思います。


音楽を「渡す」という体験

所属しているオンラインサロンのコミュニティで、最近、音楽生成AIを使って作った曲を共有するコーナーができました。

毎週行われているラジオの中で、誰かが作った楽曲を流して、みんなで聴き、コメントを返していく。そんな場です。

音楽生成AIって、作ること自体はかなり簡単で、公開しようと思えばすぐにできる。

けれど、そのコミュニティの場で「私が作った曲を誰かに渡して、聴いてもらう」という体験は、ただ公開するのとはすこし違いました。

ある種“顔見知りの人たち”に向けて、私のアウトプットを差し出す行為だからこそ、ふと出てきた感情がありました。

なんか、恥ずかしい。


なぜ、恥ずかしくなるのか

この感情って、なんなんだろう。気になって、深掘りしたくなりました。整理してみると、

私では意図していなかった“自分らしさ”が、にじみ出てしまうこと

から来ている気がしたんです。たとえば歌詞。自然に書いているつもりでも、

「あ、自分ってこういう言葉を選ぶんだ」
「こういう雰囲気の曲を作る人なんだ」

みたいなものが、客観的に浮かび上がってしまう。

つまり、“私が知らなかった自分の見え方”を、他者の視線を通して知ってしまう感覚なんですよね。これって、似顔絵やデッサンにも近い気がしています。

私なりに真剣に描いたものを人に見せたとき、

「え、自分ってこんなふうに描くんだ」
「こんな感じに見えるんだ」

そうして、急に恥ずかしくなる瞬間がある。だからこの感情って、自己完結では発生しないんですよね。“誰かに見せる”ことで初めて立ち上がる感情なんだと思います。、

恥ずかしくないものも、ある

一方で、「じゃあ作曲全般が恥ずかしいのか?」というと、どうやらそうでもありませんでした。

私が最初に出した曲は、「八々」の活動や、自分のものづくりの思想みたいなものをかなり含んでいたんです。だからこそ、恥ずかしかった。

けれど最近、別の方向性でも曲を作ってみました。たとえば、「リモートワーク」をテーマにした曲。

ずっと家にいるから、夕方になると散歩したくなること。お昼に外へ出ると、太陽の光がやけに眩しく感じること。作業用BGMが、その部屋のDJみたいに空気を包み込んでくれること。

私自身の体験でもあるけれど、同時に“みんなも共感できそうな感覚”を入れて作ったんですよね。すると、不思議とそこまで恥ずかしくなかった。

ここで気づいたのは、

どこまで自分の具体性を入れるか?

によって、恥ずかしさの強度が変わるということでした。

これは、ジャンルで言うと「エッセイ」と「小説」の違いに近い気がしています。エッセイに近づけば近づくほど、私自身のリアリティが入る。だから、恥ずかしい。

逆に、思想や抽象性に寄っていくと、そこにはフィクション性が生まれる。

“私だけの話”ではなくなっていく。だから、恥ずかしさが薄れていく。歌詞って、ちょうどその間にある表現なんですよね。


アートとデザインの違い

さらに考えてみると、これは作曲だけじゃなく、ものづくり全般に言えることかもしれません。ものづくりには、大きく二つの方向性がある気がしています。

ひとつは、“アート”的な側面。

私のために作る
私の考えや感情を提示する
問題提起として作る

もうひとつは、“デザイン”的な側面。

誰かの課題に寄り添う
相手のために調整する
共感や使いやすさを重視する

誰かに徹底的に寄せて作るときって、自分のオリジナリティをある程度消していくことになる。一方で、「私はこう思う」「私はこう作りたい」を強く出していくほど、恥ずかしさは増していく。

けれどその分、肯定された時の喜びも大きい。

逆に、共感を狙ってデザインしたものが「共感できる」と言われても、「まあ、そこは狙っていたしな」と思えてしまう部分もある。

だから、同じ“褒められる”でも、受け取り方が違うんですよね。


初めてには、いつも恥ずかしさがある

そういえば、この感覚って、初めて何かを作ったときには必ずあった気がします。

初めて絵を描いたとき。
初めてデッサンをしたとき。
初めて文章を書いたとき。

知識や文脈がまだ少ないからこそ、自分の無意識がそのまま出てしまう。だから恥ずかしい。

一方で、今の私は普段のものづくりではあまり恥ずかしさを感じません。なぜか考えてみると、制作前に必ず「市場を見る」からなんですよね。

世の中にはどんな表現があるのか。どんなデザインが主流なのか。一度それを見た上で、

あえて寄せるのか
あえて外すのか
どのポジションを取るのか

決めていく。つまり、完全に“私だけ”から作っているわけではないんです。ある意味で、主語が「I」ではなく「We」になっている。だから恥ずかしさが薄れる。

逆に言えば、誰もやっていないことを初めてやるときには、また別の感情が出てきます。それは、恥ずかしさというより、“怖さ”に近いのかもしれませんが。


「恥ずかしい」は、新しい挑戦のサイン

今回の体験を振り返ってみると、音楽生成AIという、今まで私があまり踏み込んでこなかったジャンルに挑戦したからこそ、この感情が出てきたんだと思います。

けれど何曲か作っていくうちに、「周りはこう作っている」「このジャンルではこういう表現もある」という感覚がすこしずつ増えてきて、恥ずかしさは薄れていく。

つまり、恥ずかしさって、

まだ自分の中で整理されていない、私らしさ

に触れたときに出てくる感情なのかもしれません。

最近は、ものづくりに対してあまり恥ずかしさを感じていなかったので、久しぶりにその感覚を思い出しました。

そして、「誰でも最初は、こういう感情を通るんだよな」ということを、改めて実感する機会にもなりました。




本題の中で触れた「リモートワーク」の楽曲はこちらです。よろしければ、お聴きください。




音声でもお楽しみいただけます。





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