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「いつからかSustainabilityが全てに優先される様になった」という話

「枕草子」「方丈記」「徒然草」などの随筆が日本人の間で広く読まれる様になったのは江戸時代以降。製紙業界の価格競争が生んだ出版文化開花のせいですが、権力の拠り所が土地単位の「職の体系」からサービス単位の「道の体系」に推移した結果、武家や公家だけでなく庶民まで家のSustasinabilityにこだわる様になったせいでもあったのは石門心学流行を見ても明らか。

当時の前近代的伝統については貝原益軒「和俗童子訓(1710年)」「女大学(1716年~1736年)」辺りが悪名高いですが、実際の当時の庶民教育は「年頃の娘が「伊勢物語」や「源氏物語」に耽溺するのは仕方ない。むしろ役者遊びなどで身を滅ぼさない様に読み書き算盤を教え日記の習慣をつけて自己管理能力を高めよ」といった現代でも通用しそうな内容。ただし背景に「流行病や天災などでいつ死ぬかも分からないのに、色恋沙汰は大人になってからと説いても心中事件が増えるだけ」なる過酷な現実が。近松門左衛門の心中物や八百屋お七の物語がロマンスとしてもてはやされた裏側には、鴨長明「方丈記」の描く地獄絵図が横たわっていたのです。

「女房は3歩下がって主人の影を踏まず」なる章句についても、三田村鳶魚が「武家の移動陣形が出発点」と擁護しています。当時の武家は外出に従者を伴うのが普通でこれが前方、主人は側面、続く妻女が後方を警戒。さらに「背後から女に襲い掛かるのは武士道不覚悟」なる雰囲気を醸したといいます。最近の漫画、例えば杜康潤「孔明のヨメ。(2011年~)」では、そうした伝統を逆手に取って武芸に長けたヒロインが弟子に変装して常に諸葛孔明の前を歩いてますし、原作四葉夕卜漫画小川亮「パリピ孔明(2019年~)」に至っては状況に合わせてヒロインと諸葛孔明が「スイッチ」する戦陣。こういう話は歴史的真実性より「現状に合わせてどう解釈を最適化していくか」こそが重要なのですね。

ところでtumblr住人だった2010年代の私は第三世代フェミニスト陣営の末端として第四世代フェミニスト集団の末端と対峙してました。最終的に前者は「個人的選択を重視する」平等主義の雲海に、後者は「政治的強度を最優先で考える」無政府主義の暗闘に飲まれる形で消滅。準安定性維持を至高目標に掲げる集団がそうやって統廃合によって消えていくのも 人類全体のSustainability展開の一環という話…


ここまででとりあえず1000字弱。プロダクション・ノート的まとめは以下。

そんな感じで以下続報…

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