どん底にいるほど「誰かの役に立ちたい」と願う本当の理由
どん底にいる時ほど、「誰かの役に立ちたい」。
このマガジンを読んでくださっている方には、うつ病の経験がある方も多いので、共感される方も多いのではないでしょうか。
私自身にも覚えがあります。
特に、うつ病のどん底にいて、身動きできないぐらいしんどい時。
仕事もできない。
何もできない。
寝ているだけ。
息をするのでせいいっぱい。
だけど、なんでもいいから「誰かの役に立ちたい」。
「必要とされたい」
自分が苦しい中で、他人の「役に立つ」こと、つまり「他人の幸福」を願うのは、なんだか自己犠牲的に思えますよね。
でも、そうではないんです。
この記事はこんな人におすすめ
・苦しんでいる人の心のはたらきに興味がある方
・焦りを感じている方
・自己肯定感が下がっている方
今回は私自身の当事者としての目線から、うつ病のどん底で誰かの役に立ちたいと願う心理について解説します。
(医学的な解説ではありません)
社会からの断絶と焦り
そもそも、仕事ってなんでしょうか。
「働いて、お金をもらうこと」
そんな風に捉えることもできます。
でも、それ以前に「職場」は私たちにとって一番比重の重い「居場所」ではないでしょうか?
フルタイムで働いている方は、「家庭」よりもずっと、「職場」にコミットしている時間の方が長いことさえある。
私たちは人生の全てにおいて、幼稚園、学校、会社……と、基本的にはどこかに所属して生きているわけです。(私は少し特殊ですが)
そして、どこかに所属していれば、その時点で絶対に、良くも悪くも友達や同僚、教師などとの関係性ができます。
それなのに、仕事ができなくて、うつ病で休んでいる。
「あるいは仕事を辞めた」という状態。
休職や離職は、社会からの「断絶」のように感じられてしまうんですよね。
自分がそうなってみるまで、なんだかそれを実感するのは難しいかもしれません。
それでも人間は「相互に支え合う」という本能を持っています。
誰かが誰かの弱いところを支え、そして支えられる循環が大きくなって「社会」が成り立っている……。
そうですよね?
企業の活動だって、
「美味しいチョコが食べたい」
という人のために、お菓子メーカーがあります。
「退職の気まずさを助けてほしい」
という人のために、退職代行があります。
助けて
助けてあげる
金銭を介した瞬間に「経済活動」「需給」のような固い言葉に置き換えられてしまいますが、本質は「誰かが困っているから、助ける」という「助け合い」そのものが社会なんですよね。
なぜ苦しい時に「役に立ちたい」と願うのか
うつ病などで働けなくなってしまうと、社会から切り離されてしまいます。
少なくとも、本人にはそのように思える。
でも、何度か私も記事で書いている通り、「息をしている」だけでも水道、電気、食料品について必ず誰かに頼っています。
「支えてもらう」という社会的な活動は続いていて、「お金で対価を払う」という循環はまだ生きています。
資金源が公的な福祉から出ていても変わりません。あなたが生活しているからこそ、生まれた循環です。資本主義の世界においては、「需要がある」それそのものに意味があります。
それなのに、「私は何の役にも立っていない」「社会に参加していない」という絶望を感じる。
目の前で「仕事をしてくれてありがとう」と言われたり、直接誰かのために働いたり、助けてもらう、こういう能動的な関わりの大部分を奪われてしまうから。
だから、私たちは「自分の社会的な価値はなくなってしまった」と深い焦りとショックを受けます。
復帰したいけれど、うつ病ですから、すぐにはできません。
生きているだけでせいいっぱいなのに、それ以上のことなんてできるわけがない。
結果としてベッドの上で、「誰かの役に立ちたい、誰でもいいから役に立ちたい」と、焼けるような渇望だけを抱えることになります。
「誰かの役に立ちたい」の本当の意味
他人から見ると、不思議ですよね。
「本人がすごく苦しいはずなのに、なぜ他人の役に立ちたいのか?」
「誰かの役に立ちたい」
それは
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