その強がり、もしかして「弱さ」の裏返し?「優越コンプレックス」の心理学
なんだか妙に威張っている人、あなたの周りにいませんか?
もしかしたら、その人は「強い」からではなく、本当は「弱い」自分を守るために、必死に強がっているだけなのかもしれません。
今日は、その心のカラクリについて、一緒に考えていきましょう。
この記事はこんな人におすすめです
周りにいる自信過剰な人の態度に、少しうんざりしている方
つい自分を大きく見せようとして、後で疲れてしまうことがある方
劣等感が強く、なんだか生きづらいと感じている方
アドラー心理学の考え方に、少し興味がある方
誰の心にもある劣等感
誰かと比べて自分が劣っているように感じて、落ち込んでしまう……。
そんな経験は、きっと誰にでもあるのではないでしょうか。
特に、新しい環境に飛び込んだり、自分より優秀に見える人が現れたりした時。
今まではそれなりに上手くいっていたのに、急に注目されなくなると、自分が惨めに思えて、本当に辛いですよね。
この劣等感という感情は、私たちの人生にとって、とてもなじみ深いものです。
例えば、弟や妹が生まれて、今まで一身に受けてきた親の愛情が分散してしまった時の、あの寂しさ。
あるいは、家庭では自分が世界の中心だったのに、学校という社会に出た途端「自分はその他大勢の一人なんだ」と気づいた時の、あの戸惑い。
そんな時、私たちは不安になったり、自信を失ったり、逆にわざと威張ってみたりしながら、なんとか心のバランスを取ろうとします。
これを読んでいるあなたにも、どこか心当たりがあるかもしれません。
「優越コンプレックス」という心の鎧
でも、もし今の日本社会のように「どう頑張ってもうまくいかない」「この先どうなるか分からない」というよう状況に陥ることが多くなって、自分の力ではどうにもならない無力感や絶望感に圧倒されてしまったら……。
私たちの心は、重い「劣等コンプレックス」の中に閉じ込められてしまいます。
社会の中でやっていけるという希望を失うと、人はだんだんと社会への関心をなくし、自分の殻に閉じこもるようになります。
そして、心はこう囁き始めます。
「私がダメなんじゃない。もっとお金があれば……」
「親が違えば、きっとうまくいったはずだ」
「そもそも、この社会が間違っているんだ」
自分の価値を、社会の価値観から切り離すことで、かろうじて自分を肯定しようとするのです。
「アドラー心理学」で知られる精神科医のアルフレッド・アドラーは、著書の中でこれを「優越コンプレックス」と称しました。
これは、劣等感に耐えられなくなった心が、自分を守るためにまとう、いびつな鎧のようなもの。
あなたの周りにも、こんな人はいませんか?
大した成果を出していないのに、なぜか自慢話ばかりする人
やたらと攻撃的で、いつも自分を大きく見せようとする人
彼らは決して、「本当に強いから」威張っているのではありません。
むしろその裏側には、「本当は、自分はこの社会の中でとても弱い存在なんだ」という、認めたくない事実が隠れています。

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