その「しんどい」を伝えれば、誰かにとっての「愛」になる
「これ、なんだか、しんどいな……私だけ?」
そう感じること、ありませんか?
たとえば、職場や家庭での役割。
「女だから」「男だから」と、なんとなく期待されること。
「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」「親の言うことは聞きなさい」という言葉。
理不尽な扱い。ズキッとする一言。誰にでも経験があると思います。
もちろん、それに疑問を抱かない人もいます。
でも、もしあなたが「そういう風に言われるのは辛いな」と感じるのなら。
その感性を、もっと積極的に発信してみませんか?
「私だけがおかしいのかな?」という孤独
周りを見渡したとき、自分と同じように感じている人がいないと、つい「私がおかしいのかな」「我慢が足りないだけなのかも」なんて思ってしまいがちです。
自分の気持ちに蓋をして、黙ってしまう。
その方が、波風も立たないし、楽な気がするから。
でも、もしあなたが黙っていたら……?
あなたと全く同じことで苦しんでいる誰かが、「やっぱり、私だけが苦しんでるんだ。私が変わっているのが悪いんだ」と、自分を責めてしまうかもしれません。
それは、あなた自身を、そして見えない誰かを、深い孤独に追いやる行為になってしまうのです。
その痛みは、社会が良くなるための「芽」
人と違う意見や感覚を持っていることは、決して「おかしい」ことではありません。
むしろ、それは社会がより良くなるための、大切な「芽」だと思うのです。

大多数の人が気づいていない問題点や、見過ごされている誰かの痛み。
あなたのその「しんどい」という感覚は、そうした場所に光を当てるきっかけになります。
あなたが黙っていたら、その「芽」に誰も気づかないままかもしれません。
悪気なく、無意識に、その芽を踏みつけてしまう人もいるでしょう。
でも、その人たちは本当に「ひどい人」なのでしょうか?
必ずしもそうではない。
ただ、そこに「芽」があることに、気づいていないだけ。
誰だって、できることなら「いい人」でいたいし、誰かを傷つける「加害者」にはなりたくないのですから。
あなたが黙っていることは、意図せずして誰かを「加害者」にしてしまうという、別の悲劇を生む可能性もはらんでいるのです。
言わなければ、伝わりません。
とてもシンプルですが、これが真実です。
あなたの声が、誰かの希望になる
とくに、少数派だと感じている人の意見であればあるほど、「言わなければ、ないのと同じ」にされてしまいがちです。
だから、あなたの苦しみや痛みを発信することには、本当に、本当に大きな意味があります。
「こんなネガティブな発言をして、何になるんだろう」
そう思うかもしれません。
でも、あなたの言葉は、あなた自身を救います。
次にあなたと同じ目に遭っていたかもしれない誰かを救います。
「私だけじゃなかったんだ」と、あなたと同じことに苦しんでいる人を救います。
そして、「ここに問題があったのか」と、見えない加害者になっていたかもしれない人を救うことにもつながるのです。
もちろん、特定の誰かを攻撃するのは違います。
あなたを傷つけた「あの人」。憎いし、腹立たしいですよね。私もそうです。すごくよく分かります。「消えちゃえばいい」とすら思うかもしれない。
でも、その人も先ほどこの世界に突然誕生したわけではなくて、その人が生きてきた環境や価値観という、もっと大きなものから生まれています。
これまで、誰も、その人に「そこに芽があるよ」と教えてあげなかったのかもしれない。
「その人を許そう」とお伝えしたいわけではないのです。その人を最終的に許すかどうかは、あなた自身の大切な選択です。けれど、大きな見方をすると、なんだかその「誰か」も大きなものの一部でしかない。そんな気もしてきませんか?
だから、どうか諦めずに、あなたの「辛かったこと」「嫌だったこと」「苦しかったこと」を、言葉にしてみてください。
それでも、言うのが怖いこともあると思います。相手を傷つけちゃうかな? という優しいお気持ちも、ありますよね。
だから、そんなご自分を責めてほしいわけではありません。
直接言えない思いでも、noteなら?
その小さな声は、間違いなく、あなたと、これから同じことに苦しむかもしれない誰か。あなたの周りの世界を、ほんの少しだけ優しい場所へと変えていく力を持っている。
私はそう信じています。

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