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なぜ「みんなと同じ」じゃなきゃダメ? 元不登校が学校教育に感じていた息苦しさ

「どうして、みんなと同じじゃなきゃいけないんだろう?」

子どもの頃、学校という場所に通いながら、ずっとそんなことを考えていました。


こんにちは。私は中学1年生から学校へ行かなくなり、いわゆる「不登校」を経験しました。その後、高卒認定(昔でいう大検ですね)を取って、なんとか自分の道を見つけて今に至ります。

大人になった今、義務教育が持つ大切な役割はもちろん理解しています。読み書きや計算といった、社会で生きていくための基礎をすべての人に与える。その意味は計り知れません。

この記事で、現場で日々奮闘されている先生方や、お子さんのために尽力されている親御さんを批判したいわけでは、決してないんです。

ただ、学校教育が持つプラスの側面を認めつつも、どうしても拭えない「負の側面」もやっぱりあるんじゃないかな、と感じています。

「みんなと同じ」を育てる場所

今の日本の学校が作られた背景には、

  • たくさんの日本人がいた時代に

  • 国の労働力をしっかり確保するために

  • 人の言うことを素直に聞いて、真面目にコツコツ頑張れる人

を育てる、という大きな目的がありました。

だから、「みんな同じ時間に登校し、同じような服装で、同じルールを守る」ことがとても大切にされます。

時として、そのルールは一人ひとりの事情よりも優先されてしまうことも。

例えば、生まれつき髪の色が少し明るいだけなのに「黒く染めてきなさい」と指導される、といった話はよく聞きますよね。本来であれば「地毛なら仕方ないね」と、個性が尊重されるべき場面です。

でも、「みんなにルールを守らせる」という公平性の観点から、「とにかく全員が同じであること」が優先されてしまう。もし「なぜあの子だけが特別扱いされるの?」と他の子が思って、納得のいく説明がないと、ルールを一生懸命に守ろう、という気持ちが育たないことがあります。

だから、先生個人が意地悪なのではなくて、「学校」というシステム全体がそういう価値観で動いているからこそ、こういうことが起こるのだと思います。そして、それは「素直で頑張り屋な人」をたくさん育てる上では、ある意味で効果があったのかもしれません。

どうしても「普通」になれなかった私

でも、子どもの頃の私のように、

  • 人に合わせるのがとにかく苦手

  • 毎日同じことの繰り返しが苦痛

  • 興味のないことには集中できない

といった、ちょっと頑固なクセを持つ子どもにとって、その環境は苦行そのものでした。

大人になった今でも、この特性は驚くほど変わっていません。ということは、あれは子どもの頃にいくら頑張っても、矯正できるようなものではなかったんだな、と思います。

学校という社会の入り口でうまくやれないと、子どもは簡単に自信をなくしてしまいます。

「自分は、みんなと違って劣っているんだ」
「普通にできない私は、ダメな人間なんだ」

そんな風に自分を責めて、自己肯定感はどんどん削られていく。

そんな逆境がむしろ「力」になる方もいらっしゃるかもしれませんが、多くの場合、可能性を奪ってしまうことになりかねません。

時代が求める「新しい個性」

確かに、少し前の日本の会社では「人と合わせるのが得意」「毎日同じ時間に同じ作業をコツコツできる」「興味がなくても我慢して頑張れる」という人が評価されやすい側面はありました。

でも、時代は大きく変わりました。

少子化が進み、あらゆる仕事がIT化・機械化されていくこれからの社会では……

「作業」そのものは、どんどん機械やAIに任せられるようになります。
そうなった時、「何をしたいか」という人間の意見そのものが今よりもっと求められるようになるのではないでしょうか。

それは、残念ながら「みんなと同じ」「自分の意志は抑える」を良しとする画一的な教育からは、なかなか生まれてきません。

だから、もし今、不登校で悩んでいるご本人や、その親御さんがこれを見てくださっていたら、少しだけ視点を変えてみてほしいのです。

学校という場所にうまく適応できない。

それは、これからの社会で求められる「新しい個性」を持っている証拠なのかもしれない、と。

誰もが「自分のまま」でいられる社会へ

もちろん、だからといって「人と合わせることができる」人に価値がない、なんて言うつもりは全くありません。

ただ、「学校に適応できる」という事実が素晴らしいのではなく、「学校に適応できるというあなたの個性そのもの」が素晴らしいのだとお伝えしたいです。

大切なのは、「こういう人だけが正しい」という一つの価値観に縛られないこと。

学校に適応できる人も、そうでない人も、それぞれがかけがえのない「一人ひとり」であることに変わりはありません。

もちろん、テストの点や成績、友達の多さといった「結果」はあります。

でも、「結果」が出ないからその人自身ダメだ、価値がない、というわけではなく「今、この評価軸では結果が出なかった」というだけ。

それをしっかりと伝えていく。

そんな教育の形が広がっていけば、私がずっと願い続けている「誰もが生きやすい社会」に、きっと繋がっていくのだと信じています。


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