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手紙の断捨離① ~情を知る~

 「断捨離をやろう」と意識する事で、今まで蓋をして見て来なかった自分の思いや、記憶の彼方にあった思い出などがよみがえってくる事がたくさんありました。

私も「快適オシャレ空間」を目指して家を徹底的に片付けようと思い立ってから色々な動画を漁りました。

やましたひでこさん 

毅然としていて、断捨離を通して色んな考え方の変革、どう生きるべきか的なトコまで高められていて、生き方云々まで来ると自分に甘々な私には少しストイックでした。

こんまりさん

捨てる順序を推奨してくれている(衣類→本→書類→小物→思い出)のと、捨てるものに「今までありがとう」と一言かけるというのが、何気にスゴい良かったですが「ときめく」という基準はよくわかりませんでした。

勝間和代さん 滑舌が良くて早口でポイントが明確で私は好きでした。

これらの動画を参考にしながら、服を捨て、CD、DVDを捨て、カバンを譲り、書類も小物も整理して、自分が如何に無駄なものに囲まれていたか、「使っていない物」を家に置いていたかを見つめ直せました。

まだまだ物はあふれていて、正直使ってないもの、読んでない本とか自分でも一杯あって、スッキリさせようとしてる私の隣で物を捨てない、それどころか色々買いまくる旦那。

ここはひとつ気分を変えて、この停滞感を打破しようと始めた「思い出の品」の整理。

ホントに「物のお片付けは心のお片付け」とはよく言ったもので、片付けの中で「これはあの時の・・・」「これはこういうワケで買ったけど・・・。」とか色々な思いや思い出が頭に浮かぶ事

自分の中で捨てるか取って置くか葛藤する事この全てのプロセスが自分にすごくいいリフレッシュを与えてくれるのだなと気づきました。

服やCDやバッグやアクセサリーも思い出や葛藤を感じさせてくれますが、それ以上に「日記」「手紙」「写真」と向き合った時の感慨や気づきがスゴイ事に衝撃を受けています。

実は、写真の整理の前に先に手紙を整理しようとしました。

そもそも、写真は「思い出を振り返る為のもの」、手紙は「当時の思いを伝える為のもの」

役割が違います。

手紙の役目は当時で済んでしまっているんだから、写真より捨てやすいだろうと思ったからです。

実は今手元に残っている手紙は、日本でも一度向き合って捨てられなくて、わざわざ香港に持ってきた者達です。

手元に残っているのは直近のものと、「私に捨てられる戦」を勝ち抜いてきた、いわば「精鋭たち」。

込められた想いが強すぎて、今の私から見た当時の私がすごいいい加減な人間なのに、そんな私に対してこういう友情や愛情を持ってくれた証ってめっちゃ貴重じゃね?!的な気持ちにさせます。

写真のスキャンが進むにつれ、写真の現物もどんどん捨てられるようになってきたので、「今なら手紙くらい簡単に捨てられるだろう」と思って、大昔もらったラブレター類を読み返した時、最初は甘酸っぱい思い出が湧いてきました。

「私の人生の中で誰かが私の事をここまで美辞麗句を並べて褒めてくれた事があっただろうか、いやない。」

すると、もう既に音信不通で今どこにいるかもわからない相手が、20年以上前にくれたものなのに、「こんなにめちゃめちゃ褒められた記念」として取って置きたい気持ちや、よくこの人たちはこんな恥ずかしい想いを言葉に書き表してくれたなという有難味、みたいな気持ちが湧いて来たり。

赴任期間が決まっている仕事の関係でやってきた人と友達になって、最初から二年後に帰るとわかっているから、お互いその間の割り切った付き合いと思っていた友人。

自分の故郷に帰ってからくれた手紙に、「自分の親が病気になって自分はその現実を全く受け入れられなくて・・」という心情の吐露が綿々と切々と書かれていて、異性なのに、異国なのに、こんな込み入った話をするような友情を私に感じていてくれたのかと衝撃を受けてみたり。

実際は遥か昔に過ぎてしまっている事なのに、今になって「自分はこれに対して、一体どんな感じの返事をしたんだろう。ここに書かれている『事の重み』をこの時本当に理解して対応したのだろうか?」と若い頃の自分の浅はかさを思って、やり切れない気持ちになりました。

写真はスキャンを進めていますが、手紙はあくまでも「当時の思いを伝える手段」の物であるだけに、今持っていても、今自分が無知や無関心を若干改善出来ていても既に手遅れの物。写真のようにわざわざスキャンして取って置く必要性は私もさすがに感じません。

でも手紙を見ながら思ったのですが、若い時ほど色んな感情を吐露したり、色んな興奮や動揺を伝えあってきましたが、逆にだいぶしなびた大人になってからの手紙のやり取りは、淡々と近況を報告し合う的な「感情のやりとり」というよりも「情報のやりとり」になっています。

これらは現住所以外、手元に残しておく必要全くないな。(ラブレターも全く必要ないけど。)

なので直近のものを、とりあえずバッサリ捨ててみました。

すると、

何日か経つと、あれだけ記念とかありがたみとか思っていた手紙達も、ふと、今現在のこの人たちがどうしてるかな~と考えた時に「お互い忘れてしまったかのような無関係の人生を歩んでいるし」と思ったら、「アレ?何でこんなもん私だけ後生大事に取って置いてるんや?」と普通に思いました。

その一番想いの詰まった系が消えると後はホントにどうでもよくて、亡き父からの手紙だけ数枚残してきれいさっぱり行けました。

今まで自分が捨てて来なかった物にも、自分の心の色々な想いや理由が、やっぱり何やかんやあるのです。

(でも問題は、それを突き詰めて考えるかどうか、という性格の問題もあると思います。)

それに気づく事や衝撃を受けるという刺激が、自分の心の整理整頓を進めてくれているのだと思います。(←私の場合)

使ってないのに、そうした想いや理由が見当たらない物や無い物は、向き合えばあっさり捨てられます。

どうやら、・・・というか思った通り、私は色々としょうもないこだわりとか想いとかが強いみたいなので、こうして積み木崩しのように、あっちの角からこっちの角から色々角度を変えて攻めながらマイペースに進めていくやり方が合っているみたいです。



 

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