「聴く隣人のいるところ」を観ました
職員室で「必見!」と話題になっていた映画「聴く隣人のいるところ」をポレポレ東中野で鑑賞した。
島根県江津市にある生徒数34人の全寮制高校、キリスト教愛真高校の1年間を卒業生である早川嗣さんが撮影・監督した作品だ。
スクリーンの中、一人ひとりのままならない青春が苦しくも、静かに輝いていた。
最初は、早朝の朝食作りのシーンから始まる。
家庭科の先生が調理準備をしていると、5時半過ぎに男子生徒がやってきて、エプロンをつける。先生が優しく彼に声をかける。
「いや、さっき目が覚めたばっかりで、寝ながら何度もサボっちゃおうかなと思ったんです。でも、悩んでやっぱり行こうかな、と。いつもそう。目が覚めてサボろうかなと5分間くらい考えて、そして結局来ちゃう」
わかる、わかる、その葛藤。
人間だもの。
でも、本当にえらいぞ!
思わず彼に心の中で声をかける。
褒められそうになって、
「違うんです、本当はサボろうとしていたんです」
と正直に真実を伝えようという姿勢が尊い。
そして、
「それでも頑張って来たんですよ」
とさりげなくアピールするところもたまらなく愛おしい。
まっすぐで、透明な心。
こんな生徒がいる学校は、どんな学校なのかと、惹きつけられた。
愛真高校の運営は、全て話し合いで決められる。
映画がとらえたある日の全体会のテーマは、「寮にIHコンロを置くべきか」。
育ち盛りの高校生。
「毎回の食事の量で足りないので、簡単な調理ができれば助かる」というもっともな意見。
「即購入一択!」と私は思った。
しかし、意外なことに話し合いは延々と続いた。
「不自由さの中で工夫して生きていく術を学ぶのが愛真だと思う」
「費用は保護者が出してくれるものなので、簡単に結論を出すべきではない」
「寮のメンバーで決を取ったとして、コンロを買う寮と買わない寮があると公平性が担保できない」
「実際、ポットにインスタントラーメンを放りこむ人がいて、大好きな紅茶が変な味になってショックだった」
いろいろな意見が出る。
そこから、どうするべきかを教職員を含めた全員で考えていく。
映画では、授業も教科書も映らない。
でも、私にはこの話し合いこそが、一番深い「授業」に見えた。
高校生の最大の関心事であろう将来の進路、大学受験などは、話題にも上らない。
生徒は、スマートフォンのない「今」を、ひたすら生きている。
毎日の礼拝のシーンは特に印象的だ。
キリスト教に共感できないという生徒が、前に立って聖書の嫌いな箇所を列挙していく。
苦虫を噛み潰したような先生の顔もちらっと映る。
最後には、その子が皆の前で自分の言葉で祈りを捧げていた。
コミュニケーションが得意でない生徒も礼拝を担当していた。
寂しそうな表情。
「僕は今苦しい。つらい。とても傷ついているのに、誰も僕を気にかけてくれる人がいない。」
むき出しの言葉で訴える。
静まりかえる空気。
それでも、日々は続いていく。
音楽が、毎日のように、生徒を優しく包み込み、明るく鼓舞する。
時々微妙な空気になったり、重苦しい話し合いが続いても、生徒は音楽に合わせて心を躍らせ、体を揺さぶる。
言葉では心が繋がれなかった日でも、音楽だと皆とつながることができる。
人間が音楽に多大な情熱を傾けてきた意味がわかった思いがした。
卒業式。
ある生徒が話した言葉が深く心に残った。
「この学校で、俺は自由を知った。
自由とは、俺が俺らしくいられること。
お前がお前らしくいられること。
そして、一緒に生きていくこと。
自由って難しい。」
総武線の中で、この台詞を反芻しながら帰路に着いた。
私もまた、ままならない日々に帰っていく。
自由の難しさを、抱えたまま。
それでも、誰かの声を聴ける人間でありたい。
明日もまた、生徒の待つ教室へ向かう。
