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2025年に読んだ本で印象に残っている8冊

 2025年は77冊読みました。うち、漫画が4冊。それらの中から印象に残っている8冊をピックアップして、簡単に読書感想文的に紹介させていただければと思います。
 この記事にはAmazonアソイトが含まれています。みんなは本を読み新しい知見にリーチする、私は不労所得を得る。win-win。

 年間20冊くらいしか本を読んでない人間が、今年の10冊!みたいなのを紹介しているのを見ると、信頼できない!って気持ちになるので、一応、紹介するうえでの母数はこれくらいですということで、今年読んだ冊数をあげています。

 ヘッダーは本を愛するIVEのオンニ、ガウルです。これはイケメンのときのガウル。

 以下、目次ですが、見返すとベストセラー、ロングセラー、話題本が今年は多くなったなと感じます。特にそういう本を手に取って読もうと意識していた年だったと思います。


キャロル・ギリガン『もうひとつの声で』

 復刊されたケアの倫理の名著らしい本。インターネット繋がりの、倫理学とか英米思想とかを専門にしている人に教えてもらって読んだ。

 世の中における倫理という言葉でイメージされるものは、正義の倫理と呼ばれる、他者の権利を尊重し、生きる権利や自己を充足する権利を他者からの干渉から守る倫理である。
 他方で、ケアの倫理と呼ばれるものが存在し、それは実在する、目に見える苦しみを和らげなくてはいけないという倫理。

 ギリガンは、こうした倫理を、発達心理学という観点から長い時間をかけて、ヒアリングを行い、提唱したのだと思います。この著作で紹介されている子どもたちロールプレイや、当事者の声から見出される価値観は自分が今まで持っていた考えとは大きく異なっている内容が少なからずありました。

 このような「真実の複数性」と呼ばれるものについては、かなり深いところまで、傾聴し、引き出さなくてはいけないものであったり、自分とは異なる真実がありうるという、真実の複数性を前提として、選択し、それに対する責任を負うということをしていかなくてはいけないと思います。

 ただ、そもそも、価値の尺度として、新しいものを用いないと評価することができないという困難があるので、多様な社会というのは、口にするほど容易いものではないと感じました。
 ただ、難しいものであっても、これから先、自分は取り組んでいかなくてはいけないものだと思いました。

リー・マッキンタイア『エビデンスを嫌う人たち』

 『もうひとつの声で』で述べられている「ケアの倫理」のようなものを、エビデンスを嫌う人たちと付き合うためには重要なのだということをフィールドワークを通して証明しているような内容だと感じました。

 英米系のメインストリームのひとつであろう分析哲学の専門家である著者が、エビデンスを否定する人たちとして、地球が球体であることを否定する人たち、地球温暖化によって沈みゆく国家であるモルディブの人たち、炭鉱労働者たち、反GMOの人たちに会いに行き、実際に会話をして、そうした人たちにはどのような特徴があるのか、そして、そうした人たちを説得するためにはどうすればいいのかということを、活動を通じて考える内容です。

 会話を通して感じるのは、そうしたエビデンスを嫌う人たちのバックボーンには地域的、家庭的なトラウマといった、自身のアイデンティティが傷つけられた過去があること。そして、そのような社会的に孤立を感じていた状況の中で、味方になってくれた人たちが科学否定論を主張する人たちだったということ。これは言い換えれば、立場が違えば、自分もそのようになった可能性があるということを示唆している。

 そうした中で、著者はエビデンスを嫌う人たちとコミュニケーションをしていくためには、説得を行う前に、粘り強く3点を行っていく必要があると結論する。それは、共感、敬意、傾聴である。この3点による対話を通して、信頼を得てはじめて説得に向けた話を始めることができる。

エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織』

 俺はバックオフィス業務に携わる人間なのですが、心理的安全性という単語をメディアで目にする機会がここ数年で増えた印象があります。恐らく組織における心理的安全性について指摘している本、元ネタはこれなのかなと思います。

 著者は医療現場における医療ミスとされた報告件数の調査や、働いている人たちが自分が所属している組織の風土、雰囲気、印象などに関するアンケートなどを行っています。
 組織内に何も発言しない人がいるような環境、自分から積極的に何かを行わず、その他大勢的な人たちが占める組織においては医療ミスとして報告された件数は少ない一方で、積極的に発言をする人が多いような組織においては医療ミスとして報告された件数が多いという結果が出ました。

 ナイーブに考えれば、医療ミスが少ない組織の方が当然組織の質が高いと考えられるのですが、実は医療ミスが少ないとされた組織は、本当はメンバーが気づいていた医療ミスであっても、それを指摘し、報告することができない環境にあったのではないか、医療ミスが多く発見された組織の方が、そうしたミスを発見して、指摘して、改善することができ、相対的に高いパフォーマンスを発揮することができるのではないか。
 こうした観点から心理的安全性の重要性を説いているのが本書です。

 そう言われてみれば、それはそうだよなという感じです。
 上司と部下、親と子、先生と生徒など、非対称な人間関係において、立場が弱い人間が、立場が強い人間に対して、質問したり、意見をしたりしやすい環境を整えることが、その人間関係をより良いものにすることができる。これって、恐らく、信頼関係を構築していって、質問や意見を行うこと自体をポジティブに捉える文化を育んでいく必要があるということですが、これは、ギリガン、マッキンタイアの著作にも繋がると思うのですが、丁寧な対話が必要だよなあと感じました。

ハン・ガン『少年が来る』

 『菜食主義者』を読んだときから、俺にとってのハン・ガンという作者は、人間を人間たらしめているものは何なのかということを考えるために、底の知れない他種多用な暴力を登場人物に降り注がせることに躊躇しない人だということです。

 『菜食主義者』では、その暴力によって登場人物が人間のかたちを保った異形の存在になってしまったように感じるのですが、その後の作品のことを考えると、失敗したのかもしれないと思います。(この辺り、少し著者に直接うかがってみたいと俺は思っています)
 なぜ、失敗したのではないか?と私が考えているかというと、作者が作品を書きながら、そうした暴力に登場人物が襲われても、立ち向かうことができる、抗うことができる、人間性を失わないことができる、俺が言うと本当に陳腐になるのですが、人間としての尊厳と愛、そして何より人間を最後まで信じきることができる、というところです。
 『菜食主義者』に限って言えば、私は作者が人間を一切信じていない、なんなら嫌っているとさえ感じました。どうやって人間を壊してやろう?というマッドサイエンティストみたいなことを考えながら書いたのではないかと思うくらい。

 さて、『菜食主義者』の話はこれくらいにして(私はこの作品がとても好きなのです……)、『少年が来る』の話です。この作品は、光州事件という、民主主義を求めて蜂起した住民たちに対して、軍事政権が軍を派遣し、住民を虐殺した事件のひとつとして、長らく韓国の歴史における闇の部分であり、語ることすら憚られるような事件を題材にした作品です。

 このような事件を、その場にいた少年の目を介して語られる本編は、俺が先に述べた暴力(この作品における暴力とは、兵器による殺戮はもちろんのこと、事件の過程で亡くなった人たちの肉体が時とともに腐っていくこと、この事件から時間が経つことで忘却されてしまうこと、語り・ノンフィクション・あるいは小説といったパッケージにされることにより、その事件で生きて死んだ人たちの尊厳が奪われてしまう可能性があること、などの様々な目に見える、目に見えない暴力が射程に入っている、と少なくとも俺は思っている)の雨嵐という感じで、こんなに静かに、むしろ、静かだからこそ、そして小説(の中で少年の目を介して語られる)という体裁を取ったからこそ、そうした暴力すらも人間性の一部であると飲み込みつつ、それでも忘れてはいけないことがあり、過去と現在、そして未来の人間の尊厳のために、この作品を通して、事件、歴史を理解し、未来について考えなくてはならない、ということを私は考えさせられました。でも、この作品に限らず、ハン・ガンの作品って押しつけがましくない代わりに、作品全体を覆っている表現が静かだけれど強くて(日本語訳で読んでいますが)、新たな作品を読むたびに感動しています。翻訳者が違ってもそうなってるのがまた凄いなと。

雨宮まみ『40歳がくる!』

自分が数えで40歳になったということもあり、その界隈では著名な方であり、名前のことはずいぶん前から聞き及んでいたものの読んだことがなかったので、ようやくという感じで手に取り読んだ本。

生きていくうえでの周囲との軋轢だけでなく、自分自身の内面と行動、言動とのギャップに苛まれ、前触れなく襲ってくる心身の体調の波に苦しみながらも、40歳というところを1つの区切りとして位置づけながら、これからはもっと自分の思うままに、他人にどのように見られるかを過剰に意識せず、楽しく生きていこうという雰囲気の文章がつまったエッセイ。

この本が初めて読んだ本でずいぶん、赤裸々に、素直なままに文章を書く人だなと感じていたのですが、他の著作を読むと、もっとあからさまに、半ば投げやりさというか、良く言えば若さが迸る文章だと感じたので、40歳になるまでの間に、読みやすく洗練されていったのだろうと思うと同時に、若かったからこそ表に書くことができた感情の激しさを敢えて描かなくなり、それによって孤独感、辛さみたいなものも他者には見えない形で少しつつ積もっていってしまったのではないかと思わずにはいられない。

彼女が活躍した時代は、能町みね子、峰なゆか、おかざき真里、瀧波ユカリなど、自身の女性性をオープンに語ることがうまい人たちが一気に出てきた時期だと個人的には感じている。

それにしても、エピローグに収録されている彼女の付き合いがある人たちの文章の中にある、彼女の遺品を整理しているときにアマゾンから翌年の手帳が届いてきたというエピソードには、何とも言えない物悲しい、寂しい気持ちになりました。

ローレンス・A・カニンガム『バフェットからの手紙【第8版】』

 昨年、引退を表明したオハマの賢人バフェットですが、彼が毎年、株主に向けて書いているレターを編集した本です。

 基本的に彼の投資はバリュー株投資と言われていますが、企業そのものが持っていると考える価値(これは誰が考えるか、どのように算定するかというのが人によって異なるため、一概にこういう数字に収束するということは言えません)と、実際の株価(これは算定方法が一応いくつかあるので、それに基づいて具体的な数値を出すことはできる)を比較して、後者が低いときに投資するわけですね。

 そして、投資というと基本的には、分散投資が推奨されますが、彼の場合は分散投資はしません。分散投資の神髄は、よくいわれる卵をひとつのかごに入れると、かごを落としたときに全部割れちゃうリスクがあるから、かごを複数用意しましょうという話なのですが、バフェットの場合は、ひとつのかごに全部卵を入れて、卵もかごもそれはもう本当に注意深く見守り続けるスタイルです。

 また、投資というのは基本的にいつかEXIT、つまり、売って損益を確定して、次の投資先を探すのが常ですが、彼の場合、魅力的な企業に投資して、その企業を未来永劫成長させる(未来永劫成長させられそうな企業でなければそもそもポートフォリオに入れない)ので、基本的にEXITは存在しません。
 一般人は自分の老後のために貯蓄するという感覚で株式投資をするのですが、バフェットは自分の寿命という物差しで投資をしていません。俺としては、常軌を逸しているとしか思えません。企業というものは、そもそも終わりがないことが前提となっているので、事業年度という区切りを設けているわけですよね。それ、理屈としては分かりますが、実際に未来永劫続くという仮定は頭では分かっていても、それを前提に行動するとなると勝手が異なると思います。

 この作品のユニークだと私が感じたところは、第1章が「ガバナンス」という表題というところですね。ガバナンスなんですよ。
 どういうことかというと、その企業の経営陣の人となりについて、しっかり理解する。有り体に言ってしまえば、信頼できる人たちなのか?ということのようです。
 というのも、バフェットは買収しても基本的に経営陣を挿げ替えるということはしません。引き続き、頑張って経営をしてほしい、そのうえで、バークシャーハサウェイには、様々な企業が仲間として存在しているから、経営していくうえで有益なものがあればそれを利用して、より良い経営をして欲しいというスタンスなんですね。それもまた凄い話だなと思います。懐がでかすぎる。

 この本を読んで(ほかにも有名なバリュー株投資の本を複数読んで)自分はなんて浅はかな考えで、バリュー株だとか、グロース株だとか言ってきたんだろう、言葉遊びも甚だしいなと思いました。
 スーパーロングの(機関)投資家になりたいという人は、このような投資哲学に触れることは決して悪くないように感じます。投資の賢人と呼ばれるにふさわしい。

ヤニス・バルファキス『テクノ封建制』

 ヤニス・バルファキスはギリシアの経済学者であるわけですが、この名前を見たことがある人は、経済に関心がある読書家(氏が書いた本は、これ以外でもいくつか翻訳されており、割かし経済の入門書のような体をなしている)、もしくは、ギリシアがデフォルトするしないみたいな話になった際、2015年財務大臣に就任し、緊縮財政政策を提言し、国民投票で反対票が多かったため、辞任した人として知っているかのどちらかだと思います。私は後者でした。

 本書では、現在の資本主義が進んでいった先に、次に来るのは「テクノ封建制」だということを述べている本です。なんで封建制?という話なのですが、著者の定義において、資本主義は生産物によって生まれる利潤が地代(レント)を上回る状態で、それに対する封建制というのは、地代(レント)の利潤が生産物によって生まれる利潤を上回る状態を指しています。

 テクノ封建制における地代(レント)というのは、GAFAMが持っているデータベース、例えば、AWSのような巨大サーバー群であったり、Metaが持つFacebookというSNSプラットフォームであったりが生む利潤が、生産物(AWSによって生み出されるサービスによって得られる利益とか、Facebookに表示されている広告元が提供するサービスによって得られる利益とか)の利益を上回っていると考えられるため、封建制という単語を選ばれました。

 こうしたプラットフォームでは、クッキー(規制が入りつつありますが)をはじめとしたテクノロジーにより、消費者の行動は無償で提供され、アルゴリズムによって、再生産と消費行動を促すかたちでシステム化されています。圧倒的に供給が需要を上回っている!そりゃWEB広告やマーケティングが儲かりますよねえ!

 こうした世界観に基づき、我々ユーザーは本書では「クラウド農奴」と呼ばれています。気が付いたら奴隷になっていました。でも、このnote記事、再生産と消費行動を促しているという意味で、noteというプラットフォームをせっせと農奴である私が耕している畑なわけで、ぐうの音も出ないね!

竹内照夫『四書五経入門』

 不惑ということもあり、不惑の出典でもある『論語』をはじめとする四書五経をこれから修めていこう、まずはそのために入門書を読もうと思って購読した本です。

 四書五経として、儒教、それは根本的には孔子の思想を紐解いていくことでもあるのですが、著者のスタンスとして、孔子に関する書物は教訓的なものではあるものの、あらゆるものを政治的に解釈するようになったのは後世によるもので、孔子自身は必ずしもそのような意図ではなかっただろうというものがあります。

 こうした儒教が政治的意図をもって用いられたのは漢以降になるわけですが、そのような儒教と四書五経の成り立ちに加えて、朱子学、陽明学にも触れていきます。さらには、日本において儒教がどのように扱われてきたかということについても簡単に触れられており、まさにタイトル通り、入門書として選んで良かったと思っています。


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