小説|「セレニティ模様」第13話
八重子が入院して二日。
今日も幼稚園バスのお迎えはヤマさん。ヤマさんが悪いわけじゃないけど幼稚園バスからヤマさんの姿が見えたときはやっぱりがっかりする。そこはいつもお母さんが待ってくれている場所だから。
幼稚園バスから降りるとヤマさんが香と悠の片手をそれぞれつなぐ。
「幼稚園はどうでしたか」敬語は距離感があって苦手だ。
「…」香も悠も何も話さない。
「お弁当は全部食べられましたか」
「…」
もはやヤマさんのひとり言と化した。沈黙はいやだけれど言葉が出てこないんだ、と香は思う。
あれ…目からなにか零れている。鼻水も出る。香はおかしいなと思う。
悠がその香の様子に気づく。ヤマさんの手を引っ張っている。
「どうしました?」
「わたしじゃなくて香が…」
「あらあら」ヤマさんがポケットからハンカチを出して香の涙を拭く。
「ヒックヒック」一度流れた涙は止まることを知らない。
ヤマさんが道端に止まる。
「どうしましたか?幼稚園で何かありましたか?」
香は必死に首を横に振る。
「そうですか。困りましたね」
困っているのはわたしのほうだ。そう思ったら止まりそうだった涙がもっとあふれてきた。
「…おかあさんに…おかあさんに…あいた…い」
「あらあら。八重子さんにはまだ会えませんよ」
そんなこと分かっている。けどそれでも会いたいのだ。
「あと六日(むいか)もすれば会えますからね。もう少しの辛抱ですよ」
もう少しの辛抱であるはずがない。ただでさえ子ども時間は大人より長い。「あとむいか」ってどのくらい?まだまだ遠いに決まっている。
*
「ただいま戻りました」ヤマさんが玄関を開ける。
玄関の真ん前の仏間でトメさんがタバコを吸っている。いつも見ているのに見慣れない。
「はい」
「香ちゃんがお母さんに会いたいと泣いてしまいました」ヤマさんが香の手を引く。
トメさんがタバコを持ったまま目も鼻先も赤い香を凝視する。
「泣いたってまだ会えないのに。迷惑だねえ」宙にタバコの煙をはく。
「先生からの連絡帳やおたよりなんかはもらってきましたか?」ヤマさんはトメさんの小言を聞かなかったというていで、そそくさと香と悠を居間に連れていく。
なかったことになんてできないのに。みんなトメさんの言いなりだ。トメさんの気を逆立てないように暮らしている。トメさんだけは自由気ままに暮らしている。香はまた涙がでてきた。今度の涙は腹立たしくて。涙の種類が違うから感情が忙しくて泣いてばかりだ。
