掌編小説 夜のひも
夫と、三歳になる娘と一緒に、家族三人できのこ狩りにやってきた。
宿は山あいの古い民宿にとっている。ここに来るのは四年ぶりだった。娘を授かったのは、実にこの宿である。そう思うと感慨深い。
部屋は昭和の民家そのものの和室で、特に洒落た演出もしていないところが落ち着く。照明がまた家っぽい。スイッチに長いひもがついていて、寝転んだままでも明るさを切り替えられるようになっている。
「おじいちゃんの家に遊びに来たみたい。前と変わらないね」
ひもを引いてみせると、カチカチという音とともに段階的に明るさが変わるものだから、娘が声を上げて喜んだ。この子は電気のスイッチといえば、壁に設置されたものか、リモコンくらいしか知らない。
夜、夕食と入浴をすませたあと、夫は近くの酒屋の自動販売機にアルコールを買いに行くと言って出かけていった。わたしは、あくびをしはじめた娘を寝かしつける。
布団に並んで横になると、娘がそばに垂れているひもを引きたがった。好きにさせてやろうと思ってまかせると、カチカチ、カチカチと、せっかちに何度でも引いた。フラッシュを焚くようにまぶしくなったり、豆電球がぼんやり光ったり、真っ暗になったり。最初はおとなしくやめるように言っていたが、おさまる気配がないので「こーら、もう寝なさい」とひもを取り上げて、照明をぜんぶ消してしまった。
うつらうつらしていると、ぺちぺちと軽く頬をたたかれた。
「ママー、あれなあに」
重いまぶたを開いて、娘が指さす方向に顔を向ける。暗い部屋の隅、月明かりでできた影なのか、ひときわ暗く細い影が黒猫のしっぽのようにくねっていた。
「あれはねえ……夜のひもかな」
「よるのひも?」
「うん」
適当に返しちゃったな。少し反省しながらふたたびまどろんでいると、どこからかぬるい風が吹いてきて肌を撫でた。虫の羽音のようにかすかな、それでいて聞き逃せない音がする。窓を閉め忘れたかと身を起こした。
娘がいない。慌てて部屋を見まわすと、娘は布団から抜け出て、先ほどの影のあった部分に右腕を投げ出して眠り込んでいる。
まったく。布団に連れ戻そうとして近づくと、その腕が不自然に揺れていた。先の方から白っぽく光るひもが一本ぴんと伸び、闇との境が曖昧な空間に吸い込まれていく。手首から先がもうない。娘が少しずつ、だけど確実にほどけているのだった。ミシンにかけられた糸巻きみたいに。
わたしは悲鳴も上げられず、瞬時に娘に覆いかぶさった。娘は夜のひもを引っ張ろうとして、逆に引っ張りこまれてしまったに違いない。娘は寝顔のまま、泣きもわめきもせず、静かにするすると減っていく。ひもがまばらになり、終わりが近づく。それをなんとしても逃すまいと、強く握った。容赦なく逃れていくひもの摩擦で手のひらが焼けた。それでも止めることができない。ひもの端はわたしの手を離れて行ってしまった。
暗闇で呆然としていると、カチッと音がして、急に部屋が明るくなった。夫がビール缶を手に立ち、のんびりした声でたずねてきた。
「そんなところで何してんの」
「あの子が」
「あの子って?」
「わたしたちの娘に決まってるでしょうっ」
「はいはい」
こりゃ完全に寝ぼけてるな。夫はひとりごとのように言うと座卓に腰を落ち着け、ビールのプルタブを開けてテレビをつけた。この一大事に何を呑気な。夫に怒鳴ってつかみかかろうとした瞬間、ニュースが流れてきた。政治、経済、暮らし。キャスターが次々に知らせる内容には聞き覚えがあった。明らかに現在のものではない。オリンピックの開催地だって、たしか四年前のところだ。
「これ、ビデオ?」
夫はふしぎそうに答える。
「今日のニュースだけど。まだ寝ぼけてんの?」
今日のニュース? では今は四年前にいるということ? よくよく夫の顔を見ると、直近の記憶よりも、どことなく頬にはりがあり若々しい。そういえば、宿の室内も、薄皮が一枚めくれたように明るい。やっぱりわたしが寝ぼけていたのだろうか。
だけど、やはり手のひらは痛んだ。ひもでやけどしたところが、水ぶくれになっている。わたしたちは今夜また、互いのひもをよりあわせてあの子をつくる。たとえ、同じあの子にならないとしても。
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短い小説を書いています。よろしければ、こちらもぜひ。
