「源氏物語」から「好色一代男」へ
公家って何をしてた人たちなんだろう、と考えたことはないか?
幕府が出てくる前の平安時代までは、おそらく政治家や官僚だったと理解できる。
でも、幕府ができてからはどうだ?
幕府は幕府で政治家も官僚もいるわけで、ちょっと役割がカブってるよね。
まぁ、実際のところは鎌倉幕府も全国を完全に管理できてはいなかったわけで、将軍としても「西は頼みます」っぽいニュアンスはあったと思う。
とはいえ、公家としては幕府ができて、少し暇になったのは間違いないはず。
で、高貴な我々は文化を担当しよう、ってことになったわけよ。
脳ミソ筋肉の武士に文化は無理でしょ、てかアンタ達、なんか臭いし。
ということで、武士は体育会系、公家は文化系。
武士はマッチョ担当、公家はカルチャー担当。
早い話が武官と文官であり、当時の日本は「文官はいるけどシビリアンコントロールのほとんどない軍事国家」だった、ということね。
で、公家たちはとりあえず和歌を詠んだり、蹴鞠をしたりしてたんだろう。
蹴鞠か・・・。
「一条殿、ほれ、そっちに蹴ったでおじゃる~」
「近衛殿、まかせるでおじゃる~、ほれ~」
「おほほほほ、いとおかし~」
というヌルい遊戯をやってたわけで、悲しいかな、これが今ある日本サッカーの原型である。
日本サッカーは、毎回なぜパスばっかりしてシュートを打たないのかといえば、ここに原因があったわけよ。
公家の蹴鞠文化には、シュートという概念がないから。
もし蹴鞠をやってたのが公家でなく武士であったなら、もっとガンガンとシュート打ってただろうし、今の日本サッカーはもっと強かったかも。
ただしサムライゆえ、負けたら切腹なので最後は選手不足で必ず大会終了なんだけど・・・。

誤解のないように。
決して私は、公家を馬鹿にしてるわけじゃない。
というか、むしろ昔の公家の文化レベルの高さをリスペクトしてるぐらいである。
だって、日本にカナ文字ができたのは9世紀後半といわれてるわけで、「万葉集」はそれより前、8世紀にはもう編纂されてるわけよ。
そして、カナ文字の「古今和歌集」は10世紀に編纂。
もうこの時点で、和歌というカルチャーはカンストしたといっても過言ではない。
そのぐらい、昔の公家は教養レベル、および知的レベルが高かったんだ。
実際、和歌があまりにも付け入る隙がないほど平安で完成してるもんだから、江戸時代には俳句という7・7を抜いた5・7・5でマイナーチェンジしたぐらいだからね。
あと、「源氏物語」によって小説分野でも平安でカンストしたといって過言じゃないし、マジで彼らの文化レベルの高さは驚愕に値するよ。
さて、こうして公家たちが築き上げてきた日本のカルチャーを、後世の人たちはどう引き継いでいったのか。
これがね、上に書いた俳句がいい例なんだけど、まんまやっても公家のレベルには到底勝てないから、王道じゃなくてむしろ邪道をいくようになるんだな。
たとえば江戸時代。
井原西鶴は「源氏物語」のパロディなのか、「好色一代男」という主人公が生涯ひたすらSEXするだけという小説を書いて、これが大ヒットしたのね。
あと、売れたのは十返舎一九の「東海道中膝栗毛」で、これは弥次さん喜多さんのロードムービー風ナンセンスギャグ小説である。
あとは曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」、これはいかにも厨二っぽい伝奇小説、いわゆるダークファンタジーかな。
もうお気づきだと思うが、そう、このへんから既に秋葉系のオタク文化が始まってるんだよ。
実際、浮世絵なんて現代の漫画のタッチとあまり変わらないし、事実、葛飾北斎は「北斎漫画」ってのを出してるし。
あと浮世絵は「春画」ってのもあったから、もう18禁コンテンツまであったということ。
これら全て、高尚な公家の文化に対するカウンターカルチャーとして生まれたサブカルである。
現代のサブカル大国ニッポンは、ここに根っこがあったんだね。

しかし、ぶっちゃけ公家としてみれば、これら俗っぽいカルチャーは不愉快だっただろう。
自分たちが千年守ってきたと自負する美しい日本の文化が、こうも低俗に荒らされるとは許せないでおじゃる。
まあ、その気持ちは分からんでもない。
でもよく考えりゃ、飛鳥時代に海外から仏教が日本に入ってきた時、もともと日本には古来からの神様がいたのに、あっさり皆がそれを放ってインドから来た仏様に乗り換えたじゃん。
ただ守ってきただけの文化ってのは、案外そういう脆いものなのよ。
なぜ皆が仏教に惹かれたかというと、それが普通にカッコよかったからである。
よく考えてみて。
僧侶が木魚を叩いてお経を読んでる光景って、そのライブに初めて接する飛鳥時代の人たちにとっては衝撃以外の何ものでもないさ。
だって、スキンヘッドの男の人がパーカッション叩いてラップ唱えてるんだよ?
ある意味、それは彼らにとって生まれて初めてのヒップホップ体験なわけで、そりゃ熱狂もするでしょ。
「仏教、超クールだよね」
「だよね~」
と皆が口々に言い、飛鳥奈良時代は未曾有の仏教フィーバーである。
「またライブ見たいよね~」
「そうだね~、誰か早く死ねばいいのに」
と皆が口々に言い、壬申の乱で人がたくさん死んだ時に民衆は密かに喜んだ、という話があったかもしれないし、なかったかもしれない。
公家の文化は美麗で荘厳で、実に洗練されている。
一方、民衆は江戸の文化でもお分かりのように、そういう「美麗で荘厳」よりも、もっとエネルギッシュで俗っぽいものに惹かれるもんさ。
ヒップホップとかね。
この相反するニュアンスは、私が思うに弥生時代に原因があるのではないか、と。
そう、縄文人と渡来人の邂逅、全てがここに端を発するのさ。
縄文人は縄文式土器を見てもお分かりのように、なんかドロドロと渦巻くカルマのようなエネルギッシュな造形に惹かれる性質である。
一方、渡来人は弥生式土器を見てもお分かりのように、均質で綺麗であること、ツルンとして洗練されていることを何より優先する性質である。
きっと優しい縄文人たちは、遠い国から苦労して来た渡来人たちに花をもたせて縄文を封印し、以降は弥生式を日本の新スタンダードにしたんだと思う。
よって、飛鳥・奈良・平安の公家文化でも弥生式が基礎になって洗練されたスタイルになったんだが、いやいや、日本人のDNAに刻まれた縄文一万年の記憶はそう簡単に消えるものじゃないさ。
文化が公家から民衆の手に渡った瞬間、彼らの縄文の血が一気に騒ぐことになったわけで。

西鶴「あのさ、源氏物語ってあるじゃん?」
友人「ああ、あの光源氏がヤリまくるやつな」
西鶴「それな。俺、今あれのオマージュ作品書いてんのよ」
友人「マジ?二次創作?どんな作品?」
西鶴「主人公が、ひたすらヤリまくんの」
友人「うんうん、それで?」
西鶴「え、それだけだけど」
友人「マジ?」
西鶴「うん、7歳から60歳まで、ひたすらヤルだけ」
友人「うける~」
西鶴「女だけじゃなくて、男もヤルよ」
友人「それサイコー」
西鶴「約4,000人ヤッて、最後は女しかいない島に行くといって消息不明」
友人「ギャハハ!・・てか、式部先生の遺族からクレームくるんじゃね?」
西鶴「それな~」
という感じで、江戸人は俗っぽくてエネルギッシュな縄文人スピリッツを開花させたよね。
というか、武家と公家、将軍と天皇、仏教と神道、こうしたあらゆる対立構造が、私には縄文式vs弥生式に見えてしかたがない。

