「BEASTARS」この子を捕食したい、から始まったオオカミの純愛
今回は、「BEASTARS」について書きたい。
これは「けものフレンズ」と並ぶ、動物擬人化アニメの最高峰といっていいと思う。
全く正反対の作品だけどね。
「けものフレンズ」では動物同士みんな仲良くしてるけど、「BEASTARS」の方は動物たちの捕食⇔被食という関係性が作品の大きな主題になってるのよ。
まぁ、生態系の食物連鎖として、肉食獣が草食獣を捕食するのは致し方ないことである。
ただ、それはあくまで自然界における話であり、この「BEASTARS」は動物擬人化の世界観ゆえ、みんな見た目は獣でも法治国家の中で法に従って生活してる、という設定なのさ。
そして、その法は
・肉食獣であっても肉を食べてはいけない
・肉食獣が草食獣を捕食することは重罪
となっている。
つまり、社会的弱者の草食獣の基本的人権を保障する社会、差別をタブーとする社会ということだね。
なかなか民度の高い社会じゃないか?
・・というのは、あくまでタテマエの話。
現実はそれほど甘くはなく、たとえ法が食肉を禁じていようとも闇市場では普通に肉が流通していて、つまり草食獣を拉致して食肉にする業者も闇社会に存在するわけさ。
で、草食獣はいつ危険が我が身に及ぶかも知れず、いつもビクビクしながら暮らしてる、というのが実際のところである。

これの原作は週刊少年チャンピオンの人気作品で、
・講談社漫画賞受賞
・マンガ大賞受賞
・文化庁メディア芸術祭新人賞受賞
・手塚治虫文化賞新生賞受賞
など、各方面から最大級に絶賛されている。
作者の板垣巴留先生は、あの「バキ」の板垣恵介先生のご子息である。
親子二代で売れっ子漫画家というのも珍しいね。


一応「BEASTARS」もバトル要素はあるが、でも「バキ」ほどそれをメインにするわけじゃなく、どっちかというと人間ドラマである。
擬人化キャラで、人間ドラマというのもあれだけど・・。

さて、物語の説明を少しだけしておこうか。
主人公は、上の画のオオカミ・レゴシである。
普段はおとなしく、あまり目立たない陰キャだけど、ある晩、つい本能的に学内でウサギを襲ってしまい、危うく衝動で捕食しかけてしまう。
そして、そんな行動をとったことに驚いたのは誰よりレゴシ本人だった。
幸い、すぐ冷静になって捕食には至らず、また相手には顔も見られなかったのも幸運だったね。
だから大ゴトにはならずに済んだものの、その後の彼は深く罪悪感で苦しむことに・・。
また、この事件の前にも学内で生徒(演劇部員)食殺事件が1件発生してて、その犯人もまだ捕まっていない。
ちなみにこれの犯人はレゴシではないんだけど、多分犯人はレゴシと同じく演劇部の生徒であるっぽい。
・・という、ややミステリー調の導入なんだわ。
しかし、このミステリー要素は物語の本筋ではない。
実は本筋はラブストーリーであり、実はレゴシ、あの晩襲ったウサギと学内で再会してしまい、それ以来、そのウサギ・ハルのことがずっと頭から離れなくなってしまうんだ。
これは、恋?
いや、それとも捕食欲求の変形だろうか?
と、自分自身の感情が分からず(なんせ今まで恋したことないから)、悩むレゴシ。

一方、ヒロインのハルというのもまた複雑なキャラで、案外誰とでも寝る、いわゆるビッチキャラなんだよね。
ゆえに学内の女子からは嫌われ、常に孤独なんだが、一方で愛情たっぷりに花の世話をする純粋で優しい一面もあり、ちょっと掴みどころのない子である。
多分、ハルのお股のユルさは、これもウサギの「本能」に起因してるものだと思うよ。
実際、ウサギというのはめっちゃSEXしまくる生き物らしい。
なぜか?
それは生物として弱いから、たくさん交尾して、たくさん子供を作らないと絶滅しちゃうからさ。
そう、「本能」ってやつは、ちゃんと理に適ってるんだよ。
だから彼女がビッチであることも本来責められるべきものではないんだが、しかし学園は肉食獣に食肉を禁じるほどアンチ本能、理性の社会である。
ここが、難しいところだよなぁ~。
また上の画の通り、ハルは見た目がかわいらしくて、ついつい男性は庇護欲をかきたてられてしまう。
こういうかわいらしさも本来、ウサギの種としての生存戦略なんだわ。
小動物は肉食獣の攻撃本能を緩和させる為、敢えて庇護欲を刺激するような容姿を獲得してるわけよ。

こういうの、実にうまいことできてるんだよね。
哺乳類というのは全般的に、「小さくてか弱いもの」を攻撃しにくい本能、および庇護しようとする本能がプログラミングされてるんだ。
なぜなら、そうしなきゃ自分の赤ちゃんを鬱陶しいからと攻撃しちゃうかもしれないでしょ?
そうなったら子供がどんどん減るし、こういう種として滅ぶ危険性は本能のプログラムで抑制しとかなきゃ。
だから、我々も赤ちゃんを見て「かわいい・・」と思ってしまうけど、あれは本質的に赤ちゃんがかわいいわけじゃなく、かわいいと思うよう、本能によって仕向けられてるんだよ。

で、ウサギ等はこの哺乳類がもつ本能をうまく利用して、「赤ちゃんっぽく見える容姿」を獲得することで自身を強い獣から防御する戦略をとってるんだよね。
このへん、生存戦略的にしたたかというか、うまいな~と思うよ。


で、レゴシとして悩ましいところは、「捕食したい」という肉食獣としての本能と、「庇護したい」という哺乳類としての本能が衝突しちゃってるんだよね。
そしてそのふたつの本能を総括し、「自分はハルちゃんが好きだ」、それが「恋愛感情」なんだと彼は自覚する。
まぁ、間違ってないと思う。
そもそも私は、恋愛感情ってのは決して理性に準拠するものじゃないと思うのよ。
必ず「核」には本能ベースのものがあり、それを後づけで理性が上書きし、いわゆる恋愛感情というものが仕上がるわけさ。
逆に「核」が理性ベースのものだった場合、それって恋愛感情というよりはむしろ、純度の高い友情になるんじゃない?

まぁ、レゴシ⇒ハルの気持ちは分かったとして、ここで問題はハル⇒レゴシの気持ちの方である。
作中、ハルは草食獣の本能として、オオカミのレゴシを前にすると恐怖心がどうしても湧くという描写がある。
うむ、それは草食獣としての正しい反応だと思う。
その一方、作中には「えっ?」というハルの本能の描写がひとつあったのよ。
それは、ハルとレゴシが終電を逃し、やむなくふたりでラブホに泊まった時のシーン。
流れでふたりはSEXしようとするんだが、その際、なぜかハルの体は本能で勝手に動き、自らレゴシの口の中に入ろうとしちゃうのよ。
これにはレゴシはもちろん、ハル自身もビックリ。

つまり被食者は、捕食者に体が密着すると、「敢えて食われる本能」が発動するのか?
そういう話は今まで聞いたことないけど、おそらく板垣先生は本作を描くにあたって動物の生態をかなり研究したことだろうし、おそらく上記のような「被食者の敢えて食われる本能」は実際にあるんだろう。
それって、めっちゃ凄くない?
究極のドMじゃん?
このシーン見た時、私は「この2人、逆にうまくいくんじゃね?」と思ってしまった。
だってさ、
【レゴシ】食いたい本能⇔【ハル】食われたい本能
【レゴシ】庇護する本能⇔【ハル】庇護されたい本能
こういう感じで、案外この2人、本能の凸⇔凹がしっくりハマってるのよ。
でもってハルはSEXのベテランだし、童貞のレゴシをリードするにはウッテツケの人材である。
まぁ、さすがにこの時は「本能がヤバい」と2人ともが戸惑い、コトは中断されたんだけどね・・。

そして作中、ハルが園芸部ということもあり、何度も出てくる花。
皆さんは、我々はなぜ花を美しいと感じるか、考えたことある?
多分、これも本能という話だろう。
そもそも花は、生殖(受粉)の媒介として虫や動物の接近を必要とした生物であり、その為に「虫や動物を惹きつける視覚を花という形で表現する」という戦略的メカニズムがそこにあるのさ。
つまり花の本質とは、視覚で我々の本能に干渉できるように植物側が巧妙に作ったもので、それを我々は現在、理性で「美しい」という概念に上書きをしてるということ。
でもモトを辿れば、そういう「美しい」とかの高尚な概念も全てが本能の話に行き着いてしまうのよ。
まぁとにかく、この「BEASTARS」ほど、本能を考えるにあたっての最良のテキストはないだろう。
我々の生き物としてのエンジンというべき本能を、紆余曲折を経て、うまくカモフラージュするに至ったのが現在の文明社会というもの。
でも、しょせんはカモフラージュ、ゴマカシなんだよね。
理性=善
本能=悪
一見、この作品はそう描いてるようにも見える。
でも、本当にそうですか?
いや、板垣先生のメッセージは、もう少し深いところにあると思うんだけどね。


