三池崇史が監督したアニメ、庵野秀明が監督した実写映画
今回は、今夏クール異色のアニメ、「ニャイトオブザリビングキャット」について少し書いてみたい。

これは、言うまでもなく猫アニメである。
原作はどうやら漫画らしいが、この作者は猫が大好きなんだろうし、その愛がひしひしと伝わってくるほど作中の猫の描写は実にリアルでお見事。
で、タイトルがゾンビ映画っぽい感じになってることからもお分かりのように、これは一種の終末系パンデミック劇である。
ただ、内容が「猫に触られた人間は猫になってしまう」というものだけに、そこに暴力性、残酷さ、グロさ等は皆無で、いわゆるゾンビ劇とは違うから全く怖くないんだよなぁ・・。
襲ってくる猫たちもビジュアルはいつもと変わらんカワイイ姿だし、恐さは全くない。
う~む、これはコメディとして受け取るべきなのか、それともホラーとして受け取るべきなのか、見る側は迷うよね。
コメディにしては笑えないし、ホラーにしては緊張感ないし、結論としてはそのどちらでもない、ただの「猫アニメ」というジャンルでしかないんですよ・・。

まぁ、細かい内容はともかくとして、何より本作が注目を集めている点は
総監督が、あの三池崇史さんだということである。
三池崇史

また、どエラい監督がアニメ畑に来たもんだね・・。
三池さんといえば日本映画界アクション部門の実質的NO.1といって過言ではない大物で、あのクエンティン・タランティーノが敬愛するほどの存在。
聞けば、現在の三池さんはOLM(「ポケモン」を作ってるアニメ制作会社)に「チーム三池」というスタッフを抱えているらしく、基本的にそのチームは実写映画で稼働する部隊らしいんだが、なぜか今回アニメ作品を手掛けることになって・・。
なかば、実験的試みというニュアンスもあるんだと思う。
多分だが、「ニャイトオブザ~」の話がOLMに来た際、そういや、三池さんは昔「極道大戦争」とか終末劇っぽい映画やってたね・・という話から全てが始まったんじゃないかと。

・・そう、確かに三池監督はこういうワケ分からないのを撮らせたら無双の映像作家である。
ただ、ここで留意すべき点は、実写とアニメとでは流儀が全く異なるという現実。
まず、三池さんは「撮るのが異様に速い監督」として有名でしょ?
だからこそ、この人はめちゃくちゃ多作なんだよね。
映画、Vシネマを合わせれば既に100本近く撮ってるんじゃないかな?
逆に、めちゃくちゃ撮るのが遅い監督というのもいますよ。
世界的に、最も「遅い系」で有名な監督がスタンリー・キューブリック。
キューブリックがなぜ遅いかというと、役者にめっちゃリハーサルをさせるからなんだ。
平気で数十回とか・・。
じゃ、その多すぎるリハの意味は何かというと、監督が頭に描いたビジョンに役者を完全トレースさせる為だ、といわれている。
ビジョンの完全再現を目指すというやり方。
ぶっちゃけ、役者自身に演技プランがあろうと、そんなの無視ですわ。
役者は、ただ画を再現する装置であればいい、と。

対して、三池さんはその真逆のタイプである。
「そんな机上の計画通りの画なんてムリムリww」というのが前提らしく、彼は現場でプランをどんどん変えていく「現場対処型」だという。
だから役者自身が作った演技プランも受け入れるタイプで、ひょっとしたらアドリブも受け入れてたかもね。
あと、これはあくまで噂だが、あるロケの途中に雨が降ってきたので撮影班が中断しようとしたら、三池さんは「逆に雨を活かすプラン」をソッコーで練って、そのまま撮影を続行したという(笑)。
‥雑かよww
とツッコみたくもなるが、これが不思議なことに作品が仕上がったの見ると実にうまいことカタチになってた、というから驚きだよね。
ようするに、こういうことなんですよ↓↓
キューブリック=交響楽団の指揮者

三池崇史=セッションプレイヤー

・・うむ、このふたつにどっちがいい悪いとかは特にない。
緻密に組み立てるのも、即興でかますのも双方ひとつのやり方である。
ただ、どちらかというと、アニメ監督って「交響楽団の指揮者」タイプだといわれてるんですよ。
だって、実写と違ってアニメの画は監督が全てをコントロールできるものだから。
極論、キューブリックは実写でなくアニメ監督やった方が手っ取り早かったのでは?という話もあるほどさ。
まぁ、アニメも昔は勝手にアドリブかますアニメーター(金田伊功とかw)がいたから一部にはセッションっぽいニュアンスがあったらしいんだけど、今はもうそういうのほとんどないからね。
「シン仮面ライダー」監督/脚本:庵野秀明

さて、実写映画⇒アニメが三池さんなら、逆にアニメ⇒実写映画なのが庵野秀明である。
皆さんは、庵野さんの実写最新作「シン仮面ライダー」見た?
ぶっちゃけ、微妙だったでしょww
いや、これさ、もともとオリジナルの「仮面ライダー」がチープな特撮モノだというのは皆さんもご存じの通りで、ご丁寧にも庵野さんはそのチープさまで再現してやがってさぁ・・(笑)。
だからチープな作品に仕上がったことまでは別にいいんだが、それより私が一番驚いたのは、
あの庵野さんがこの映画を絵コンテ無しで撮影したという事実である!

これは驚きだよな。
だって、もともとの庵野さんは絵コンテをめっちゃ大事にする人だったんだよ?
ほら、以前に宮崎駿が「もののけ姫」作った際、庵野さんは「もののけ姫」を見た上で酷評したのを覚えてる?
彼が何を酷評したのかというと、「レイアウトが『ナウシカ』の頃に比べて明らかに衰えてる。宮崎駿ともあろうものが・・」と言ったんだよ。
レイアウト、突き詰めればそれは絵コンテに他ならない。
・・そう、少なくともこの頃までの庵野さんはレイアウト至上主義であり、つまり交響楽団のように「楽譜」を重視するタイプだったんだ。
それが、「シン仮面ライダー」ではその肝心の楽譜ナシで指揮棒を振ってたという・・。
この変化、一体彼に何があったんだろう?

で、具体的に彼がどうやって本作を撮ったのかというと、通常の映画みたく「1台のカメラ」じゃなく、被写体を複数のカメラ(そのカメラにはiPhoneも含まれていた)で囲み、色々な角度から映像を撮っていたらしいのね。
いわば、テレビドラマ撮影方式か。
必然、フィルムはとにかく膨大な量になるわけだが、そこから素材を選んでコラージュするようにして作品を紡いだわけさ。
すると画質のいい正規カメラの画と画質の悪いiPhoneの画がツナギ合わさることになり、なんかパッチワークっぽい仕上がりになって多くの人たちからそこを酷評されることにもなったんだが、多分、逆にあれは庵野さんの狙いだったんじゃないかなぁ・・?
いうなれば、これ庵野さんなりの<ヌーベルバーグ>でしょ?

ゴダール、トリュフォー、ルイマル等が有名
そこまでは私にも理解できるんだが、問題はなぜ彼が「そっち側」に行ってしまったか、である。
・・うむ、こればかりは凡人の我々では、とても天才の思考は読めんよ。
ほら、達人といわれる人が道を究めすぎて、逆にワケ分からんところに到達するとかもあるじゃん?
たとえば、こういう例を考えてみてくれ。
あるところに、ひとりの剣の達人がいた。

その達人は「剣聖」と崇められる存在だったが、当人はそれを意に介さず、なお剣を極めんと「究極の奥義」を模索する日々・・。
ある日、剣聖は弟子たちに言った。
「遂に、究極の奥義が完成した」と。
弟子たちは「どんな奥義ですか?」と問うと、剣聖は「明日の試合でそれを見せよう」という。
翌日の試合は、真剣を使ったガチの試合。
夕刻、対戦相手が現れた後、少し遅れて剣聖もまたそこに現れた。
だが、なぜか剣聖は剣を持ってない。

弟子たちが動揺してると、剣聖は涼しい顔で「究極の奥義に剣は必要ない」という。
それを聞き、弟子たちは「師匠のことだから何か勝算あるんだろう」と安心したが、ところがその予想に反し、剣聖は試合開始3秒であっさり一刀両断されましたww

で、瀕死の剣聖を弟子たちは泣きながら取り囲み、「師匠、なぜこんなバカな真似を・・」と叫んだが、剣聖は臨終の間際、「お前たち、見たか、これがワシの辿り着いた究極の奥義じゃ」と呟いていた・・。
・・はい、言うまでもありませんが、この剣聖こそが「シン仮面ライダー」における庵野秀明である、という解釈で概ね間違ってませんよね(笑)?


・・そう、ひとつの道を究めた達人というやつは、ある一線を超えるともう常人には理解できない「??」という領域にまで到達しちゃうんです。
庵野さんが典型だが、一方で三池さんもまたそうである。
あのバイオレンス描写の権化ともいうべき彼が、今回「ニャイトオブザ~」においては
一個もバイオレンスを描いていないんだよ!
猫vs人間のバトルにおいても、人間の攻撃は「水をかける」がMAXで、絶対に猫を傷つけるようなことはしない。
一方、猫側の攻撃もまた肉球でタッチするぐらいがMAXで、絶対に人間を傷つけるようなことはしない。
なんと優しい世界観のバトル!

とにかく、血とか1ミリも出てこない安心構造なんだが、でも、やはり私はついつい思っちゃうんだよね。
三池さん、これでいいの?ってww

新境地、イノベーション、まぁ肯定的な捉え方はいくらでもできるが、でも我々が求めてるものは正直少し違うんですよねぇ・・。

