見出し画像

「THE FIRST SLAM DUNK」アニメの<手抜き>と<省略>

先日、「PRESIDENT Onlie」というネットの記事で、なかなか面白い内容のものを見つけた。

それは、鈴さんというアニメ演出家の方(申し訳ない、この人のことは全く知らなかったけど・・)が書かれた記事で、タイトルは

「スラムダンク映画のクライマックスで分かる
"手抜き"と"省略"の違い」

となっていました。

まぁ、興味ある方はこの記事を検索して読んでもらった方が話は早いんだが、とりあえず、ここでは私なりに記事内容をかいつまんで書かせてもらうね。

まず冒頭、こういう一文があるのよ。

アニメはどのように作られているのか。
アニメ演出家の鈴さんは「作品のクオリティを保ちつつ、納期内に映像を完成させるため、現場は試行錯誤を繰り返している。
たまに、キャラや背景が細かく描かれていないことがあるが、『手抜きだ』と決めつけないでほしい」という――

・・なるほど。
アニメ制作側が意図した「省略」の表現を、視聴者側が「手抜き」だと見てこれはダメなアニメだと解釈しちゃう、昨今の困った風潮のことをいってるんだろうねぇ・・。

・・そう、確かに「いいアニメ」「ダメなアニメ」を誤解してる人が多いのは事実である。

【A】よく動くアニメ⇒いいアニメ
【B】あまり動かないアニメ⇒ダメなアニメ

【A】描き込み量多いアニメ⇒いいアニメ
【B】描き込み量少ないアニメ⇒ダメなアニメ


割と、一般的には上のような認識がされてるものだと思う。
だけど演出家/鈴さんは、「それは違うんだ」と。

・・いや、厳密にいえば予算や納期の都合で省エネの意味の手抜きは現実にあるらしいけど、でも、そういうのじゃない「演出の為、意図した省略」もあるんだよ、ということを分かってもらいたいらしい。

まず「省略」には、「視線誘導」という意味があるらしいね。

制作側が「視聴者に見てもらいたいもの」のみをきっちり描き、そうでないものは敢えてきっちり描かないことによって視界の焦点から外す、そういう効果があるのだという。
メイン以外の情報量を間引くというやつだな。

こういう被写体の焦点を絞るというやり方は、実写映画でも同じロジックでやってるよね。

上の画像は名優ジェイクギレンホールの映画のワンシーンなんだが、雑踏の中でギレンホールにだけカメラのピントが合ってて、それ以外のモブたちにはピントが合っていない。
よって、このシーンには「ギレンホールの顔だけに視線を向けてください」というサインが込められてるということだね。

とはいえ、集中力が散漫な人ほど、ついついギレンホールの後方にいる黒人のメガネかけたオバサンとかに目がいってしまって、「あぁ、絶対この女性は家に3人ほどお子さんいるよな」とか、「その3人のうち、絶対マイケルという名前の子が1人いるよな」とか色々考えてしまうだろう。

・・うむ、やはりリアル映像というのは情報量が多く、監督の撮り方ひとつで「不要な情報のカット」をするのにも一定の限界があるんだと私は思う。
だってモブとはいえ、そこに映ってるのは完全にヒトだもん・・。

その点、アニメ/漫画ってのは徹底して情報量を削ぐことが可能で、たとえば上の画を見て、この往来する人たちに何か思う気持ちは全く湧かないだろ?
だって、このモブたちはヒトじゃなく、完全に「背景」としてのみ成立してるから。

そう、アニメ/漫画は実写より情報量のコントロールで優位なんだよね。

これら表現↑↑も、アニメではお馴染みである。

そして、鈴さんはこれら省略の最も優れた例としてアニメ「THE FIRST SLAM DUNK 」におけるクライマックスの「無音」シーンを挙げている。

あの「音の省略」は、ラストの「左手はそえるだけ」という名セリフまでも消してたんだよね(それを呟いた桜木の口の動きは描写されていた)。

これは「観客の皆さん個々の『左手はそえるだけ』を心の中で再生してみてください」という意味だったんだろう。
確かに、あれはなかなかニクい演出だったわ~。

ぶっちゃけ、演出家が画や音をコントロールできるキャパシティは、アニメの方が実写を上回っているだろう。

実写は時に「偶然」の要素が入り込む余地があるけど、アニメにはそんなのないから。

全てが「計算」でのみ成り立っている。

でね、ぶっちゃけいうと、アニメは全てがコントロールされてるコンテンツだけに、実は見すぎると少し危険なのよ。

というのも、私はアニメと実写の両方を見る人なんだが、たまに「アニメを見慣れた脳」で実写映画見た際、そのアニメ脳が実写映像を処理しきれない時があってさ・・(笑)。
・・お前アホなの?とか言わんといてください(笑)。

いやホント、これマジなのよ。
前述の通り、実写映画/実写ドラマというのはアニメほど完璧にコントロールされてない映像だけに、その加工の甘さから「余計な情報」が画に残留してしまってる、とでもいうべきかな?
十分に「省略」処理が行き届いてない感じ?

・・うむ、これは「お魚」に例えたら分かりやすいだろう。
綺麗に加工処理されてるという意味で、アニメは「お刺身」に近い

小骨みたいなノイズがなく、お魚の一番おいしい部分だけを切り取った感じだね。

一方、実写映画というのは「サンマの塩焼き」に近い

これはお刺身ほどきっちりと処理されてはいないし、小骨はあるし、あと「ワタ」といって内蔵がたまに残ってたりもするよね。
しかしサンマ好きにいわせりゃ「サンマはワタの苦さがいいんじゃないか」ということもあり、これはノイズを含めて楽しむ料理ともいえる。

で、私はお刺身もサンマも両方とも大好きなんだが、しかし、ずっとお刺身ばかり(アニメばかり)食べてると、たまにサンマ(実写映画)食べた時、うまく食べられなくて小骨が喉に刺さったりするのよ・・(笑)。
皆さんも、そういう経験ない?

つまり、これは私が何を言わんとしてるかというと、アニメの方が実写より見る側に優しい、ノイズの少ない親切構造ということだね。
でも、そうやって2次元の「親切」にずっと甘えさせてもらってばかりいると

いずれ、ノイズの多い「3次元」を受け付けなくなってしまいますよ・・?


ところで、皆さんはハンディカム等で自分で映像を撮った経験はありますか?
旅行先などにハンディカムを持っていき、家に帰ってからその映像を楽しむなんてことは誰しも経験のあることだろう(スマホでも別にいいんだけど)。

・・で、家に帰ってから見たその映像に「あれ?」と違和感を感じたことはありませんか?
なんか、現地で見たものはもっと綺麗な感じだったのに、こうやって映像で見ると正直あまり綺麗じゃない・・。

この場合、多くの人が「やっぱ、安いハンディカムはダメだな~」と機材のせいにするんだが、それは大きな間違いらしいね。
日本製の工業製品は優秀ゆえ、たとえ廉価なカメラでもかなり正確に映像を記録できるものなんだってさ。

じゃ、自分の記憶と記録映像のギャップは一体何なのか?


それは多分、「自分の記憶」の方が正確じゃないんですよ。
どうも人間の視覚というものは、「自分の見たいもの」だけにフォーカスを絞って強調、逆に「見たくないもの」は要らんノイズとして省略してしまうものらしい。
つまり、脳が勝手に「演出家」みたいなことをしてるのよ。
それも我々の知らんところで・・。

ちなみに、私は自分の右脳を「由悠季」、左脳を「駿」と名付けているんだが、ようするに、私は由悠季&駿の作った映像コンテンツを「現実」と認識してるわけよね?
当然、その映像には由悠季&駿の演出のクセがあるわけで、純粋な記録映像(客観的映像)として存在するハンディカムのムービーとは齟齬が生じてるわけです。

あと、「音」の問題もある。
ハンディカムのムービーを再生したら、やたらとやかましいのよ。
「あれ?こんな騒がしい場所じゃなかったんだけどな・・」と思うが、多分これは記憶よりもムービーの方が音源として正確だと思われる。

そう、音に関しても由悠季&駿が勝手に音量を調節してたんだろうね。
「この音は要らん」と彼らが判断したものは、私に送ってこないようだ。

つまり彼らは勝手な創作まではさすがにしないとしても、ただ膨大な情報の中から「要るもの」だけをチョイスして自分好みに編集し、それを私の記憶としてコンテンツ化してるんだろうね。

それって、めっちゃ主観的な映像コンテンツじゃん?

困ったねぇ・・。

でも、私に限らず、みんなが頭の中に由悠季&駿を飼ってると思うのよ。
みんな、自分では気づいてないだけでね。
そして各々の由悠季&駿には人それぞれのクセがあり、微妙に映像の差異があると思うんですよ。
優しい駿もいれば、毛がフサフサの由悠季だっているだろう。
ゆえに、各人によって作られてる映像は演出のニュアンスが少しだけ違うと思うんだ。
たとえ同じモノを見てても、それは完全に同一規格の映像コンテンツというわけではない、ということさ。

・・あれ?私の言ってること、伝わってるかな?
こいつアタマおかしい・・とか思わないでね(笑)。

あぁ、そうか。
仮にだが、皆が少しずつ各人違う映像を見てるだと想定すりゃ、

同じアニメを見てても感想が異なるのは、当然といえば当然ですよねぇ?


いいなと思ったら応援しよう!