日本最古の宗教シャーマニズムを解析
卑弥呼はシャーマンだったといわれている。
シャーマンというのは霊媒師で、降霊術で自らの体に霊を憑依させる類いの術師。
日本では東北地方のイタコの「口寄せ」が有名だね。
しかし、イタコは昔ビートたけしが漫才のネタにしたことがあって、ジョンレノンの降霊をしたらジョンレノンが思いっきり津軽弁で挨拶をしたとやらで、このネタ以降、イタコ=インチキという認識が世間に広まったと思う。
まあ、実際インチキは多いだろうね。
というより、私は特定の霊を降ろすというシステム自体がインチキだと思うけど。
そもそも、億単位の霊の中から特定の霊を検索してアクセス→ダウンロードなんて、「口寄せ」ってどんだけハイテクなのよ。
イタコとは凄腕ハッカーなのか?

イタコが東北地方に集中して存在することの意味は、これが蝦夷(縄文人)の文化だからだと思う。
もともと縄文人はシャーマニズム信仰の民族で、ある意味イタコは日本最古の職業だったかもしれん。
というわけで、もともとはインチキ降霊術じゃなかったのよ。
というより、太古は特定の人物の霊を降霊すること自体、やってなかったと思うけど。
本来のイタコは、カミとの交信をする巫女である。
「いやいや、カミとの交信って・・」といぶかしく思うだろうが、そうね、
こういうのを科学的に解釈すると、自己暗示によるトランス状態ということになるんだろう。
ほら、役者さんで「憑依型」ってタイプが稀にいるでしょ。
与えられた役柄を憑依させるタイプの役者だけど、憑依させてる期間は日常生活でも人格が別物になるという。
それは本人が意識してやってるわけでなく、憑依人格が本人格を凌駕してるわけよね。
確か、これが原因で離婚した夫婦もいたっけ。
誤解しないでほしいんだけど、これは降霊じゃなく、あくまで架空の人格を憑依させてるだけなんだ。
だけど面白いもんで、架空だった人格が役者を介して本物になっていくわけよ。
確か、ある漫画家の先生も似たようなこと言ってたな。
「自分の創ったキャラクターが、ある日から魂をもって勝手に動くようになった」と。
多くの人がこれを先生なりの誇張表現と捉えたか、あるいは先生も忙しすぎて疲れてるんだろう、ぐらいに捉えたと思う。
私は、そういうのじゃないと思うんだよなぁ。
たとえば、ある日交通事故にあって記憶喪失になったとしよう。
自分が誰か分からない状態で不安になるから、そこでは内向的でおとなしい人格になる。
しかし数年後、急に記憶が戻って元の人格が帰ってくる。
元の人格は、超暴力的なオラオラ系だったとしよう。
じゃ、記憶喪失の間の「内向的でおとなしい人格」は、一体誰だったのか。
そしてその彼は、消失して一体どこにいったのか。
その魂は、一体どこにいったのか。

この世には、ビリーミリガンのような多重人格者が実在する。
彼は24の人格をもってたらしいけど、そのいずれもが実在人物の霊などではなく、あくまでも架空人格である。
そのくせ、本人格が知らない外国語を架空人格が流暢に話したりするわけよ。
別の例では、盲目の多重人格者が別人格に切り替わると目が見えるようになる、という報告もあるらしい。
もともとは架空であっても、そこに魂が生成されれば本物になってしまう、という一例だね。

そもそも自分の「本人格」って何?という根本的な思考から始めるべき。
デカルトいわく「我思う、ゆえに我あり」であって、仮に本人格が「〇〇思う、ゆえに〇〇あり」と別の回路に切り替えてしまった場合、多分その人は〇〇になってしまう。
〇〇にも魂が宿ってしまうんだ。
それが漫画のキャラクターであってもね。
このへんの話は宗教の分野ではなく、完全に脳科学の分野だとは思うけど。
もちろん99%以上の人間は、そういう回路切り替えができない。
私もできない。
でも、ごくごく稀にいるんだよ。
解離性同一性障害ともいうべき部分をコントロールできるタイプの人が。
おそらく縄文時代のシャーマンとは、そういうコントロールができた特殊な術師ではなかったのか。
シャーマンが交信していたカミとは一種の架空人格だと思うんだが、それに魂を宿らせて本物にしてしまう、それが彼女らにしかできない崇高な務めだったんだと私は解釈している。

話は変わるが、私は最近、ある海外ドラマにハマって見ている。
米国制作の「イエロージャケッツ」というやつだ。
高校生を乗せた飛行機がある無人島に墜落し、救助がこないまま一年以上を無人島でサバイバル生活するという話で、プロットだけだと「LOST」っぽいが、そういうJJエイブラムス系のエンタメ路線ではなく、どっちかというと「ブレアウィッチプロジェクト」っぽい路線である。
食糧が尽きて人肉を食うというショッキングな展開もあるが、私が面白いと思ったのはそっちではなく、文明的な高校生活には確かに存在していた学園カーストが、文明のない森の中ではボロボロと崩れていく過程だよ。
もとはカースト最上位にいた白人・金髪・お金持ち・美人という女子が、森の中では単なる役立たずに過ぎず、最後は皆の食糧となってしまった。
じゃ、森の中では誰がカースト上位になったかというと、これがシャーマンなんだ。
森の神秘性と飢餓感の前で、みんなが頼ったのは森のカミの声を聞くことができるシャーマンだったんだよ。
突飛な話に思えるだろうが、そうなっていく過程の描写が妙にリアルで興味深い。
これを見て、私は「ああ、きっと縄文時代って、こんな感じでシャーマンを信仰していったんだな」と妙に納得させられたんだ。

おそらく卑弥呼は、縄文のシャーマニズム信仰の延長線上にいる人物だね。
つまり渡来系ではなく、土着の縄文人。
ちなみに、現代において縄文人DNAが最も濃く残ってる地域のひとつが沖縄なんだが、ここにも東北のイタコ同様、「ユタ」というシャーマンが存在している。
個人的には、イタコよりもこのユタの方が卑弥呼のイメージに近いと思う。
イタコは師匠に弟子入りして修行を積むことでなるものらしいが、ユタの方は巫病という精神疾患になった者しかなれないとされ、言い方はあれだが「ちょっと頭のおかしい子」にユタの資質があるわけね。
ぶっちゃけ、ビリーミリガン的なのがユタなのよ。
当人たちにも深刻な状態で、だからこそイタコのようにインチキをする余地がない。

あと昔の沖縄には、ユタとは別に「ノロ」というシャーマンも存在した。
これは王族お抱えの巫女で、ユタとの違いは巫病にかかることが成立条件ではなく、基本的には世襲制の神職らしい。
聞けば、かつてインチキの自称ユタが横行したらしくて、王族がそれらからノロという血族の壁で囲ったと見るべきだろう。
このユタ→ノロというシフトは、私には邪馬台国→ヤマト王朝というシフトにカブって見える。
卑弥呼は生涯独身だったらしいし、おそらくこの国の女王はユタ系だったんだろう。
一方、ヤマト王朝の天皇は世襲制の血統主義であり、こっちはノロ系である。
しかし、もとを辿ればどっちもシャーマン。
ただヤマト王朝は、シャーマンでありながらも性別は男性でOKとしている点に独自性がある。
天皇とは父系のシャーマンであり、これはティンコのついた巫女という最強のカードである。
ユタもノロも、そして卑弥呼でさえも決して持ち得なかったティンコというチート。
ヤマト王朝が最終的な勝者となったのも、ある意味では必然だっただろう。

