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女は信用ならん、と教えてくれる「ガンダム」

子供向けアニメというのは分かりやすさを最優先とする為、「勧善懲悪」の物語を作りがちなものである。
手塚治虫、横山光輝、過去の偉人たちはみんなそういう物語を作ってきた。
ただ、70年代「宇宙戦艦ヤマト」あたりから「デスラー総統カッコいい」という視聴者のリアクションが出てきて、時にデスラーは古代進と共闘する流れも出てきたり、敵キャラの描写に厚みが出てきたんだよね。
聞けば、松本零士の原作ではもっとデスラーが悪者っぽく描かれてるらしいんだが、ひょっとしたらアニメ版は視聴者に媚びてアレンジしたのか?
で、そういう流れを受けてか、80年代にシャア・アズナブルというカッコいい敵役のスター的存在が「ガンダム」によって輩出されることとなった。
これは、「ガンダム」の主人公アムロ・レイがぶっちゃけ幼稚でカッコ悪いキャラであることとの対比もあり、もはや子供向けアニメの世界も既存通りに勧善懲悪の構図では済ませれなくなった流れともいえよう。
そもそも、コロニー独立を掲げるジオン軍とは悪なのか?
そして、それを潰そうとする地球連邦とは正義なのか?
断じて違うさ。
実際、「ガンダム」は地球連邦もまたひとつの悪であることを描いており、そもそもこの戦争は本質が利権争いであって、そこには最初から正義も悪もないんだよ。

後に、シャアを主人公にした「ORIGIN」が制作された
これはファーストガンダムの前日譚で、見ておいて損はない傑作である

「ガンダム」と同時代、小説の世界では「銀河英雄伝説」という名作が誕生していた。
「ガンダム」と「銀河英雄伝説」は内容の酷似が昔から指摘されてるが、別にどちらかがどちらかをパクったということではないと思う。
両作品とも、ほぼ同時期の制作だし。
それでも内容が酷似してしまった理由を敢えていうなら、それは当時の時代背景である。
80年代は米vsソの冷戦構造末期で、米国陣営にいる我々日本人ですら「ソ連ってホントに悪なのか?」「米国ってホントに正義なのか?」と疑問を抱き始めていた頃だ。
おそらく富野由悠季はそのメッセージを「ガンダム」に込めて、子供たちに発信したんだろう。
しかしアニメ見てる子供たちは基本的にアホだから、そんなメッセージ性はどこ吹く風で、彼らが食いついたのは機体のカッコよさの方だったわけよ。
お陰でガンプラは爆発的に売れたんだけど、富野さんとすれば複雑な心境だっただろうね・・。

「銀河英雄伝説」はW主人公のスペースオペラ巨編
モビルスーツの出てこない「ガンダム」という解釈でOK?

ただ、アニメというのは作品という形でストックされ、時代を越えた形でメッセージを発信し続けるものである。
オトナになった今改めて「ガンダム」を見ると、子供の頃に気付かなかったものが色々と見えてくるものである。
と同時に、当時の作画や声優の拙さも見えてくるものである(笑)。
最近になって「うる星やつら」や「るろうに剣心」のリメイク版が作られてるが、「何で今さら」と思う一方、現代の作画レベルと声優レベルで作品を仕立て直す事業と解釈すれば、これも決して無為ではあるまい。
と考えると、ファーストガンダムもリメイクするの、ありだよね。
「SEED」がリメイク版では?という声もあるだろうが、あれはあれで別物になっている。
できれば、池田秀一さんと古谷徹さんが健在なうちに、「ガンダム」「Z」「逆襲のシャア」の3つはリメイクしとくべきだと思うぞ。

「宇宙世紀」のオススメの視聴順序
「ガンダム」⇒「0083」⇒「Z(映画)」⇒「逆襲(映画)」⇒「ORIGIN」⇒「UC」⇒「NT」
これで、シャアとザビ家の物語としてまとまります。

思えば「ガンダム」関連アニメは今なお増えていく一方で、一体全部で幾つあるのか調べるのもメンドくさい。
多分、百近くはあると思う。
なぜ、こんなにも増えてしまったのか?
「ガンダム」に負けず劣らず人気のある「エヴァンゲリオン」は、ここまでのスケールで増えてないじゃないか。
これは、純粋に権利の問題だろう。
「エヴァンゲリオン」はやはり庵野秀明のものであり、彼以外が作ることは彼自身がOKしない限りは無理なはずだ。
しかし、「ガンダム」は富野由悠季のものではない。
いや、富野さんも確かに原作者としての権利を保有してるんだが、原作者がもうひとりいることを忘れてはいけない。
そう、「矢立肇」である。
矢立肇は「ガンダム」シリーズ全作品のみならず、「ラブライブ」シリーズの原作者としても知られている。
うわっ、凄い人じゃん、と思った人はいるかい?
残念ながら矢立肇は架空の人物であり、サンライズ企画スタッフの共同ペンネームなんだ。
つまり矢立肇名義の作品は、法的にも権利がサンライズという会社にあるということ。
だからこそ、「ガンダム」シリーズはここまで増えちゃったんだ。

架空の作家といいつつ、なぜか顔のある矢立肇

とはいえ、富野さんが関わってない「アナザーガンダム」においても、制作スタッフがちゃんと富野さんへのリスペクトを忘れていないところがいいよね。
たとえばだが、富野さんは「女性は裏切るもの、油断ならないもの」として描き続けてきた人だ。
これは単に彼の個人的な見解にすぎないにせよ、彼は「根本的なところで男と女は分かり合えない」と考えてたんじゃないだろうか。
思えば、ファーストガンダムからして一番タチが悪い人物として描かれてたのは、キリシア・ザビというザビ家の長女だったと思う。
続く「Z」でも、前半では主人公たちと共に敵と闘っていたレコア・ロンドという女性が、後半で敵に捕縛されてからはあっさりと敵に寝返り、主人公に立ち向かってくるわけよ。
ワケ分からんよね。
「逆襲のシャア」では、アムロに好意を寄せていたクェスという少女が彼に突き放されると今度は敵のシャアに身を寄せ、やがて地球への攻撃に加担をするという、実に救いのない展開だったわ。
「男と違って大義を持たない女は、常に生理で決断をする」というのが富野由悠季哲学といえよう。
富野さんの女性遍歴がそれまでどんなものだったかは知らんが、かなり重度の女性不信だと思う。
でも、この時代の女性描写は「ルパン三世」の峰不二子もそうなんだけど、普通に裏切るものである。

目的達成の為なら、誰とでもSEXする峰不二子
私はいまだ、ルパンがこんなビッチに熱を上げてる意味が分からん

「男と違って大義を持たない女は、常に生理で決断をする」は、昔に村上龍なんかがよく言ってたことだよね。
興味があれば「すべての男は消耗品である」でも読んでほしいところだが、要するに男と違って出産機能を持つ女は「自分が生き残ること」を最優先とする利己意識が遺伝子レベルで刷り込まれてるのに対し、男は自分より群れを存続させることを大義として最優先とし、その為には死ぬことも厭わない意識が遺伝子レベルで刷り込まれてる、というのが村上龍の論旨なんだ。
この両者の本能の組み合わせにより、逆に人類は生き残ることができたんだよ、と。
分かりやすいところではオトコノコの野蛮なバトル好きな性格、オンナノコの退屈なおままごと好きな性格、これら全てが本能からくる性格であり、仮に男子が女子同様におままごと好きになってしまえば、危険を伴う戦闘行為に出る奴がいなくなってしまい、誰も群れを守れなくなってしまう。
だからこそ、神は男子に「生命の危険をスリルという媚薬に感じる本能」を授けたという。
そのせいで男には破滅型思考の人間がいるし、またギャンブルで身を滅ぼす奴だっているだろう。
女はそれを見て呆れるもんだが、そこはお互いに本能の根っこが違うということ、つまり本質的には分かり合えないということ。
ってのが、富野由悠季哲学なんだよね。

昔読んだなぁ 懐かしい・・

この哲学は「アナザーガンダム」でも忠実に反映されており、たとえばだが「ガンダムSEED」ではフレイ・アルスターという女の子にそれが集約されている。
ぶっちゃけフレイは、ちょっとハナにつく女の子だ。
良家の令嬢らしいんだが、コーディネイター(旧作でいうニュータイプ)を蔑視する差別主義的思考の持ち主であり、そのくせコーディネイターである主人公キラが自身に有利なカードと見るや、掌を返して積極的に肉体関係を結んで篭絡し、キラを思いのままに操ろうとする。
やがて彼女は敵の捕虜になってしまうんだけど、そこでは親を殺した憎き仇とも肉体関係を結んでまで生き残るという、何ともしぶといキャラなんだわ。
おそらく、彼女は「SEED」の中で最も富野由悠季哲学に忠実なキャラクターであり、私は好きなんだよね。
ある意味で最も現実の女性に近いリアルなキャラで、逆にいえばヒロインのラクス・クラインのような聖女キャラなんて現実味がなさすぎるよ。
フィクションなんだから、生々しい女性は見たくない?
いやいや、フィクションだからこそ女性の醜さも男性の醜さも見て下さい、敢えて、そういう醜いものに目を背けないで下さい、と富野さんは言ってるような気がするよ。

もう「ガンダム」は子供が見るアニメじゃないんだな・・と痛感した瞬間
あれほどクソ女だったフレイが、死後は聖女っぽい霊になって主人公を助けるという謎展開
しかし、なぜ全裸?

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