『コンビニ人間』──「普通」は、誰が決めるのか
余白を読む #6
36歳、未婚。
大学卒業後、正社員として働いた経験はない。
18年間、同じコンビニでアルバイトを続けている。
村田沙耶香『コンビニ人間』の主人公、古倉恵子。
この経歴だけを聞いて、どう感じるだろう。
「どうして就職しなかったの?」
「結婚は?」
「この先どうするの?」
そんな言葉が浮かぶかもしれない。
実際、作中の恵子も何度も似たような問いを向けられる。
けれど、少し不思議になる。
彼女は仕事をしている。
自分で生活している。
毎朝起きて、決められた時間に店へ行く。
客に対応し、商品を並べ、店を整える。
誰かに迷惑をかけているわけでもない。
それなのに、周囲は彼女を放っておいてくれない。
なぜなのだろう。
恵子は「普通」が分からない
子どもの頃から、恵子には周囲の人間がよく分からない。
公園で死んでいる小鳥を見つけたとき、ほかの子どもたちが悲しむなか、恵子は「食べよう」と考える。
喧嘩をしている男子を止めてほしいと言われれば、近くにあったスコップで殴る。
本人に悪意はない。
ただ、周囲が期待する反応が分からない。
そして彼女は気づく。
自分の考えた通りに行動すると、人を困らせるらしい。
だったら、周囲を真似すればいい。
ここから恵子は、人の話し方や表情、服装を観察するようになる。
自分で「普通」を作るのではなく、外から取り込んでいく。
コンビニに入ると、正解がある
そんな恵子が初めて安心できた場所が、コンビニだった。
コンビニにはマニュアルがある。
「いらっしゃいませ」と言う。
笑顔を作る。
商品を並べる。
客が並べばレジを開ける。
何をすればいいのかが決まっている。
ここでは、「普通」が曖昧ではない。
正解がある。
恵子は店員の話し方を真似する。
同僚の服装を取り入れる。
新商品の売り方を覚える。
そうして彼女は、「コンビニ店員」になる。
興味深いのは、恵子がコンビニでは決して無能ではないことだ。
むしろ優秀だ。
店内を見れば、何が足りないのか分かる。
客の流れも読める。
次に何をすべきかも分かる。
社会では「普通」になれない人が、コンビニでは誰よりも自然に生きている。
ここで一つ、妙な逆転が起きている。
「普通になれ」と言う人たち
問題は、店の外に出たときだ。
36歳になってもアルバイト。
独身。
恋人もいない。
周囲は心配する。
就職した方がいい。
結婚した方がいい。
もっと将来を考えた方がいい。
どれも悪意のある言葉ではない。
むしろ、恵子のことを思って言っている。
だからこそ厄介だ。
「あなたのため」という言葉で、人は簡単に他人の人生に入ってくる。
しかも、勧められる人生はだいたい決まっている。
学校を卒業する。
就職する。
ある程度の年齢になれば結婚する。
家庭を持つ。
その道を歩いていれば、理由を聞かれることはほとんどない。
ところが、そこから外れると説明を求められる。
なぜ結婚しないのか。
なぜ正社員にならないのか。
なぜ子どもを持たないのか。
「普通」であることには説明はいらない。
普通から外れたときだけ、人は理由を求められる。
『コンビニ人間』の怖さは、ここにある。
白羽という男
そこへ白羽という男が現れる。
彼もまた、社会から外れている。
仕事が続かない。
周囲とうまくいかない。
結婚もしていない。
その意味では、恵子と似ている。
けれど、二人はまったく違う。
恵子は、自分が社会とずれていることを受け入れている。
白羽は、その社会を憎んでいる。
自分がうまくいかないのは社会のせいだと考える。
そして現代社会を、縄文時代から変わっていない、とまで言う。
男は仕事をし、女は結婚して子どもを産む。
そこから外れた者は排除される。
言い方は極端だ。
でも、完全に笑い飛ばすこともできない。
恵子の周囲で起きていることを見ると、白羽の言葉には少しだけ現実が混じっている。
恋人ができた途端、「治った」
恵子は白羽と一緒に暮らし始める。
恋愛感情があるわけではない。
互いに都合がいいからだ。
ところが、それを知った周囲の反応が面白い。
それまで恵子を心配していた人たちが、急に安心する。
恋人ができた。
結婚するかもしれない。
やっと普通になった。
恵子自身はほとんど変わっていない。
白羽を愛しているわけでもない。
ただ家に男がいる。
それだけで、周囲から見た彼女の「異常」は薄れていく。
ここで「普通」というものの正体が少し見えてくる。
普通とは、その人が幸福かどうかではない。
周囲から理解しやすい形になっているかどうかなのだ。
恋人がいる。
結婚する。
正社員になる。
そういう分かりやすい記号が揃えば、人は安心する。
本人が何を感じているかは、あまり問題ではない。
コンビニは自由な場所なのか
では、コンビニだけが恵子を受け入れてくれる理想的な場所なのだろうか。
ここも少し立ち止まりたい。
確かにコンビニは、恵子に居場所を与えた。
でも、コンビニもまた、人間を型にはめる場所だ。
制服を着る。
決められた言葉を使う。
決められた動きをする。
個人としての恵子ではなく、「店員」として振る舞うことを求められる。
つまり恵子は、社会の規範から自由になったわけではない。
むしろ、もっと細かく規則の決められた世界に入ることで安心している。
これは少し皮肉だ。
社会の「普通」にはなじめない。
けれど、コンビニの「普通」には完璧になじめる。
では、どちらが本当の恵子なのだろう。
「自分らしく生きる」という言葉
私たちはよく、「自分らしく生きればいい」と言う。
響きのいい言葉だ。
でも、『コンビニ人間』を読むと、それほど簡単ではないと思えてくる。
そもそも「自分らしさ」とは何なのか。
恵子の話し方は、周囲の人から借りてきたものだ。
服装もそう。
振る舞いもそう。
コンビニ店員としての自分も、マニュアルによって作られている。
では、その奥に「本当の自分」がいるのだろうか。
村田沙耶香は、そこを簡単には教えてくれない。
むしろ、人間は最初から周囲の言葉や習慣を取り込みながら作られているのではないか。
そう考えると、「普通」と「自分らしさ」の境界は思っているほどはっきりしない。
「普通」は誰のためにあるのか
恵子は、最後まで社会に反抗しようとはしない。
普通を壊そうとも思わない。
ただ、自分にとって一番自然な場所へ戻ろうとする。
そこがこの小説の面白いところだと思う。
「普通なんて無視して自由に生きよう」
そんな分かりやすいメッセージでは終わらない。
私たちは社会の中で生きている。
だから、ある程度は周囲に合わせなければならない。
言葉を覚える。
ルールを守る。
場に応じて振る舞う。
誰だって少しは「普通」を演じている。
問題は、その普通が誰かを苦しめ始めたときだ。
就職しなければならない。
結婚しなければならない。
子どもを持たなければならない。
こう生きるべきだ。
そうした「べき」が増えるほど、そこから外れた人は説明を求められる。
そして、いつの間にか本人まで、
「自分はどこかおかしいのではないか」
と思い始める。
『コンビニ人間』を読み終えて残るのは、恵子という少し変わった女性への違和感ではない。
むしろ逆だ。
彼女を「普通」にしようとする人々を見ているうちに、
こちらの「普通」の方が分からなくなってくる。
36歳でアルバイトをしていることは、なぜそんなに問題なのか。
結婚していないことは、なぜ説明しなければならないのか。
そして何より、
私たちはいつから、その人生を「普通」と呼ぶようになったのだろう。
『コンビニ人間』が問いかけているのは、
「普通ではない人をどう理解するか」ではないのかもしれない。
もっと手前にある。
そもそも私たちが信じている「普通」は、誰が決めたものなのか。
恵子を見ていたはずなのに、
最後には、自分の方を見られている。
そんな小説である。
