「えらいですね」と言われて、なぜか心が冷める理由
「高見さん、今日はちゃんと通所されてえらいですねえ」
「あなたはいいポテンシャルをお持ちですねえ」
ありがたい言葉のはずなのに、うれしくなかった。
障害者である以上、支援してくださる方がいて、褒めてもらう場面は何度もあった。
でも、心のどこかで「この言葉、ホントかな?」と引っかかる。
社会人である以上、決まった時間に通うのは当然のことだ。
ポテンシャルなんて、僕より高い人はいくらでもいる。
だから、褒められるたびにどこか白けた気持ちになってしまう。
■ 「褒め」は支援として必要なテクニックでもある
ややこしいのは、僕自身が支援の勉強を少ししていることだ。
支援者にとって“褒めること”は、自己肯定感を上げるためのテクニックでもある。
もちろん、本心で褒めてくれる人もいる。けれど、多くの場合、それは支援の型にすぎない。
その証拠のような出来事があった。
以前通っていた事業所で、いつも優しい言葉をかけてくれていたサービス管理者が、出席率や就職意欲の低さに業を煮やして、講座で突然こう言った。
「社会は厳しいですよ。私たちは仕事だから“しんどいですね”と電話口でやさしく言います。でも、しんどいからってずっと寝ていたら、就職なんてできません。お布団で寝るか、○○(事業所)に来るか。やるべきことはわかりますよね」
その瞬間、僕は思った。
「ああ、やっぱり。この人は“褒め”を支援の道具として使ってただけなんだ」
ほんの一瞬で“本心じゃない褒め”とわかってしまった。
■ 雰囲気は読めないのに、「本心じゃない褒め」は見抜ける
ASDやADHDの人は、「空気を読むのが苦手」と言われる。それなのに、なぜか「テクニックで褒めているな」と感じることがある。これが本当に不思議だった。
調べてみると、自閉スペクトラム症の人は声のトーン・表情・言葉選び・場面との整合性などに敏感で、わずかなズレを違和感として感じとる傾向があるそうだ。
健常者が「雰囲気」で流せる不一致でも、当事者である僕らは「ズレ」として強く受け取ってしまう。
たとえば、
声の抑揚が弱い
内容が具体的でない
目線が合っていない
そうした小さな要素が重なると、「あ、社交辞令っぽい」と感じてしまう。
※研究では、ASDの特性として「人の表情や言葉のわずかなズレに敏感に気づく」傾向が報告されています(木下, 2024/Landry & Bryson, 2004)。
■ じゃあ、どうすれば心を守れるのか
正直、これは簡単な問題ではない。でも、僕なりに少しずつ整理してみた。
① 「違和感=信頼の感度が高い証拠」ととらえる
テクニックぽい褒め方に違和感を持つのは、“人を信じたい”気持ちが強いからこそだ。「私は信頼を大事にしてるから、軽い言葉が嫌だ」と認識できれば、少しだけ心に居場所ができる。
② 「言葉を大切に扱う人」とのつながりを“軸”にする
言葉を信じて生きている人は、同じように誠実な人と出会ったとき、深く安心できる。全員に理解を求める必要はない。「この人は言葉に心がある」と思える人を数人だけ大切にすればいい。
逆に、テクニック的な褒め方をする人には、「この人はそういう関わり方しかできないんだ」と割り切る。“完璧な誠実さ”を全員に求めない。それだけで、少し自由になれる。
人を信用すること。人とつながること。僕にとって、それはとても難しいテーマだ。でも、「自分がどう感じているか」を自覚することから、少しずつ世界の見え方が変わっていくのかもしれない。
複雑な特性を抱えていても、自分の感受性を否定せずに向き合うこと。
それ自体が、僕にとっての“誠実な生き方”だと思っている。
