私たちはメガチャーチの中にいる_「イン・ザ・メガチャーチ」/朝井リョウ
今の時代を生きる私たちは、
たった1日で平安時代の人の一生分の情報を摂取する。
その膨らんだ腹を抱えながら、空っぽの自分を持て余している。
だからこそ、
私たちは他人の物語に没入できてしまう。
自分の人生に意味が欲しい。
無限の選択肢と、致死量のメッセージの渦の中で、
「何者でもない自分」でいるのは、あまりにも怖いから。
私たちはきっと、どんな不幸よりも虚無が怖い。
そのバケモノは、あちらから襲ってくることはない。
ただじっと、日常の隙間で
その口を広げて待ち構えている。
「イン・ザ・メガチャーチ/朝井リョウ」
沈みゆく列島で、“界隈”は沸騰する――。
あるアイドルグループの運営に参画することになった、家族と離れて暮らす男。内向的で繊細な気質ゆえ積み重なる心労を癒やしたい大学生。仲間と楽しく舞台俳優を応援していたが、とある報道で状況が一変する女。ファンダム経済を仕掛ける側、のめり込む側、かつてのめり込んでいた側――世代も立場も異なる3つの視点から、人の心を動かす“物語”の功罪を炙り出す。
人は信じたい物語だけを信じる。
そうやって陥る視野狭窄が、皮肉にも大きく、より強い連帯を生む。
その熱狂に流されるまま、もう足のつかない沖まできてしまった。
そのとき、
2人の"すみちゃん"は出会う。
互いを見つける。
「あの人は、いつかのわたしだ」と。
お互いを見つめる、2つの目。
そこにわずかに希望を見た気がした。
そして物語をしかけた男も、最後はその物語に呑まれてしまう。
ときに物語は暴走する。
他人の物語に、自分の人生を使い切ってしまうほどに。
感情と時間と金を喰らって、肥大した物語はバケモノになる。
そんなものは、いつか破綻する。
それでも_。
人生を使い切った後も、人生は続く。
現実はおとぎ話なんかじゃない。
物語の終わりは、次の物語の始まりでもあるのだ。
社会は無責任に自由を押しつけてくる。
「あなたらしく」とか「みんなが主人公」とか、
そんなメッセージで窒息寸前で、意味のある人生を生きなければならない。
そう脅迫されている気になる。
私たちは"メガチャーチ"の中にいる。
いつだって。
自分の信じる物語の只中で、生きていく。
