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京都洛中 佐々木酒造さんを訪ねて~京都の酒造りの歴史とともに~

京都といえば京料理・和食。
古くから都がおかれ、酒造りと深いかかわりがあったにも関わらず 実際、現在の京都には酒蔵はそれほど多くありません。
せっかく京都の酒蔵さんを訪ねるので、京都の酒造りの歴史を少しまとめてみました。

京都の酒造りの歴史

794年、都が平安京に遷都されると 京都は以後千年以上にわたり日本の政治・経済の中心に。
868年に書かれた「令集解(りょうのしゅうげ)」では、平安京にも平城京と同じように酒を醸す部署である「造酒司」が存在していたことが記されています。

 鎌倉時代、京都を中心に商業が盛んになると、酒は、米と同等の経済価値を持った商品として流通するようになりました。お酒の製造と販売を両方行う造り酒屋が隆盛します。
室町時代にもこの傾向は続き、1425年には洛中洛外の酒屋の数は342軒に達していたといわれています。
室町時代は京都の酒造業にとって急成長の時代となりました。
現在の上京区、中京区、下京区にあたる京都市の中心部は、かつて「洛中」と呼ばれており、この洛中にも当時は200を超える酒蔵があったといいます。


京都からなぜ酒蔵が減っていったのか

江戸時代に入ると関西地方では池田や伊丹の酒が勢いを増し、江戸に出荷する「下り酒」の主流となります。また、江戸積廻船を利用した「灘酒」の急激な台頭もあり 洛中洛外ともに酒蔵の数は減少していくことになるのです。

江戸時代はさらに悪条件が重なります。
江戸時代は米を中心とする経済社会となっており米の増産と安定供給が尊重されていたため、米が不作の年には米を原料とする酒造りは制限されることになるのです。
万治元年(1658年)から3年にわたり酒造りは例年の2分の1という減石令が出されたり、その後も寛文6年(1666年)からの10年間も2分の1に、そこから4分の1にといった減石令が出されることに。
さらに元禄10年(1697年)から幕府は「酒運上(さけうんじょう)」という高い税金を課しました。
これらの厳しい締め付けにより、京都にあった酒蔵は3分の1まで減少してしまいます。
特に洛中の酒蔵は家族で営んでいる小規模なところが多かったので、商売の内容を変更して造り酒屋をやめるところが多かったのでしょう。
度重なる戦火で焼失したところも多くあります。
特に伏見では明治元年の「鳥羽伏見の戦い」により酒蔵もほとんどが被災し大きな打撃を受けることとなりました。

明治~昭和「月桂冠」の時代

寛永14年(1637年)に「笠置屋」という屋号で創業した初代・大倉治右衛門。その後、明治に至るまでの230年もの間、伏見の地酒として上記のような苦しい状況ながら酒の製造・販売を続けてきました。
笠置屋は鳥羽・伏見の戦いにも奇跡的に難を逃れ消失せずに残りました。
明治20年に当主となった第11代大倉恒吉は業界に先駆け「大倉酒造研究所」を設立し、伝統的な酒づくりに科学技術を導入。ここから飛躍的な酒質の改善や販路を大幅に拡大していきます。「月桂冠」の誕生です。
ものすごい勢いで売れる月桂冠の裏で、規模の小さな酒蔵は桶売りで生計を立てていくようになります。要は月桂冠だけでは生産量が足りないのでまわりの小さな酒蔵は、月桂冠のお酒の中身を造り月桂冠がそれを買い取り、ブレンドし自社の酒として売るわけです。
当時の大手酒蔵では普通のことですね。

しかしご存じの通り、戦後どんどん日本酒需要が低迷していく中で 大手酒造メーカーは全て自社製造に切り替えるところが多く 桶売りをしていた小さな酒蔵は一気に姿を消すこととなってしまうのです。

売れない酒を造るより、土地を売ってマンションを建てたり 別の業種に転向する酒蔵が相次いだ結果、洛中に残ったのは なんと明治26年創業という比較的新しい酒蔵「佐々木酒造」さんだけとなりました。

銘柄にもなっている「聚楽第」とは

関白となった豊臣秀吉が邸宅兼、政治の場所として1587年に完成させたのが聚楽第。しかし竣工から破却まで、聚楽第が存在したのは8年弱だったといわれいまだわかっていないことも多いですが、佐々木酒造さんはこの聚楽第の跡地の南端に位置しています。
京都のどまんなか、豊臣秀吉ゆかりの地での酒造りです。

赤丸のところが佐々木酒造さんのある場所


千利休も愛した(?)酒造りに最適な「銀明水」

さて、秀吉はこの聚楽第の中に千利休に茶室付きのお家を建ててあげて、たびたびお茶を一緒に楽しんだといわれています。この地に聚楽第を建てた理由のひとつには水の良さもあるのではないだろうか、ともいわれているんですね。
とてもきれいで美味しい水で「銀明水」と呼ばれました。

京都の伏見は昔「伏水」と書かれていたくらい地下に水が豊富な土地だと聞いたことがありますが、洛中含めた京都中心部全般、地下には豊富な水があるのだそうです。

それについて興味深い記載が。

水に恵まれた京都の地理的特徴

関西大学の楠見教授の調べでは、京都の街の下にラグビーボールを横向けにして水平に切ったような形で、縦33km、横12km、最大深さ800mの岩盤でできた水瓶があるそうです。
京都は三方を山に囲まれた盆地ですので、山の岩盤を伝って地中に潜りこんだ水がその水瓶に溜まっていくのだそう。その水瓶の出口も、南西の天王山と男山の間に一本あるだけなので少しずつしか出ていかず溜まっていくという条件がそろい、なんと琵琶湖の水量の80%もの水が蓄えられているといいます。驚きです。
ですから、佐々木酒造さんも井戸は15mと そこまで深くない井戸でも豊富に水がでますし、まわりにも豆腐屋・お茶屋・染物屋など綺麗な水が欠かせないお店がたくさんあるというわけです。

ねこ社員のいる蔵

まず売店の入り口から入るとねこさんの写真やポスターがたくさんお出迎え。「あーちゃん・ちーちゃん・ちびこちゃん」の3にゃんずはこちらの佐々木酒造さんで長年働いている先輩社員さんたちだそう。いままでは酒蔵でネズミ退治や接客のお仕事をせっせとしていたそうですが、現在社長が蔵の敷地外にお引越しをされたのを機に、ご自宅で在宅ワークにかわったのだとか。お会いできなくて残念ですが、猫ラベルのお酒はしっかり買ってきました。

様々なラベルがあって集めたくなりますね
会いたかったなぁー
蔵の入り口。住宅街の中です。
和釜でボイラーのこしき
天井がモコモコで黄色いのは、2階との間の断熱材
とても香りの良い醪。酵母は「京の琴」
最近サーマルタンクも2つ入りました
ラベラーで貼れない和紙ラベルはこちらで。
佐々木蔵之介さんのご実家だけあってポスターずらり
越前屋俵太さん作の書
試飲もたくさんありがとうございます!
遠心分離機でしぼったお酒もいただきました。

お忙しい中、ご案内いただきましてありがとうございました。

参考文献

お話を伺った以外にもこちらのサイトなどを参考にさせていただいております。
(伏見酒造組合ホームページ
佐々木酒造ホームページ
京都市産業技術研究所WEBマガジン
月桂冠ホームページ
京都伏見の酒http://www.erratum.jp/sake-shop/kyotohistory.htm

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