AIは、分断をほどく相棒になれるのかもしれない
先日、台湾で使われた「Pol.is」という仕組みについての記事を読みました。
テーマは、AIと分断です。
AIというと、便利な道具である一方で、人と人との分断を深めてしまうものとして語られることもあります。
自分の見たい情報だけが届くようになる。
似た意見の人だけが集まりやすくなる。
違う考えの人の声が、どんどん遠くなる。
たしかに、そういう面はあるのだと思います。
ただ、その記事を読んでいて、改めて感じたのは、AIは使い方によっては、分断を深めるものではなく、分断をほどくための相棒にもなり得るのではないか、ということでした。
記事で紹介されていたのは、台湾でUberをめぐって起きた議論です。
Uberを認めたい人たちと、タクシー業界を中心に反対する人たち。
一見すると、両者の意見は真っ向から対立しているように見えます。
普通であれば、お互いに相手の主張のおかしさを指摘し合い、議論は平行線になってしまうかもしれません。
ところが、そこで使われたPol.isという仕組みでは、参加者が短い意見を出し、それに対して他の参加者が「賛成」「反対」「わからない」を選びます。
特徴的なのは、返信やコメントができないことです。
つまり、誰かの意見に対して、すぐに反論を返すことができない。
言い返すことができない。
相手を論破することもできない。
その代わりに、たくさんの人の反応を集めて、どの意見にどのような人たちが賛成しているのかを見ていく。
そこで見えてきたのは、賛成派と反対派がどこで対立しているのかだけではありませんでした。
むしろ、両方の人たちが、実は同じように大切にしていたものが見えてきたそうです。
それは、安全でした。
反対している人たちは、Uberそのものが嫌いだったわけではない。
知らない人の車に乗ることへの不安があった。
賛成している人たちも、安全をどうでもよいと思っていたわけではない。
便利さや安さを求めながらも、安全は大切だと思っていた。
そう考えると、対立していたように見える両者のあいだにも、実は共通の土台がありました。
私は、ここがとても面白いと思いました。
AIが正解を出したわけではありません。
AIが誰かを説得したわけでもありません。
AIが新しい政策を考えたわけでもありません。
AIがしたのは、たくさんの声の中から、人間だけでは見えにくくなっていた共通点を見つけ、それを見える形にしたことでした。
言い換えるなら、AIは人と人のあいだに入って、互いの不安や願いを翻訳したのだと思います。
分断が起きているとき、私たちはどうしても、相手の言葉の表面だけを見てしまいます。
反対された。
批判された。
否定された。
攻撃された。
そう感じると、こちらも身構えます。
自分を守ろうとします。
相手の中にある不安や願いを見る余裕がなくなります。
けれども、相手の言葉の奥には、何かを守りたい気持ちがあるのかもしれません。
仕事を守りたい。
家族を守りたい。
安全を守りたい。
尊厳を守りたい。
自分の居場所を守りたい。
もちろん、どんな意見でも受け入れればよい、ということではありません。
誰かを傷つける言葉や、暴力的な主張まで、そのまま肯定する必要はないと思います。
ただ、表面の対立だけを見るのではなく、その奥にある不安や願いに耳を澄ませること。
そこに、分断をほどく入口があるのかもしれません。
AIは、その手助けをしてくれる可能性があるのだと思います。
私自身、AIとやりとりをする中で、何度も助けられてきました。
まだうまく言葉になっていない考えを、一緒に整理してくれる。
自分では気づかなかった視点を返してくれる。
感情が絡んで見えにくくなっていることを、少し距離を置いて見せてくれる。
もちろん、AIは人間ではありません。
人の痛みを、本当の意味で引き受けることはできません。
最後に選ぶのも、責任を持つのも、人間です。
それでも、AIが人間の代わりになるのではなく、人と人とのあいだに生まれる混乱を少し整えてくれる存在になるなら。
相手を言い負かすためではなく、相手の奥にあるものを理解するために使うなら。
AIは、よき世界に向かうための、よき仲間になれるのかもしれません。
よき世界とは、対立がまったくない世界ではないのだと思います。
意見の違いはあります。
立場の違いもあります。
見えている景色の違いもあります。
ただ、その違いをすぐに敵対へ向かわせるのではなく、そこにある不安や願いを、少しずつ見つめ直していく。
「あなたは何を守ろうとしているのですか」
「私は何を恐れているのだろうか」
「私たちが、実は共に大切にしているものは何だろうか」
そんな問いを立てられる場が増えていくこと。
それが、分断を調和へ結び直すということなのかもしれません。
AIで分断をつなぐ。
その言葉は、技術の話である前に、私たちがAIをどのような心で使うのか、という問いなのだと思います。
相手に勝つために使うのか。
自分の正しさを強めるために使うのか。
それとも、まだ見えていない共通の土台を探すために使うのか。
AIは、鏡のようなものなのかもしれません。
私たちのエゴを映すこともある。
一方で、私たちの中にある愛や対話への願いを、形にしてくれることもある。
だからこそ、どう使うのかが問われている。
今は、そんなふうに考えています。
