季語つれづれ 獺祭忌
9月19日は子規の命日ということで子規庵を吟行した。子規庵は鶯谷駅からほど近いが、折れ歩く先々の路地という路地はみないわゆるラブホテル。句友たちはそのことにふれず押しだまって歩いて行く。
斜め前が書道博物館。さらに脇には豆富料理の老舗笹乃雪だけが、真っ白な外観でひかえている。無理に気持ちを作れば、ここがかつての「根岸の里」と言うことになるのだろうか。東京で昔を味わおうとするときの、いつものむなしい感じがここにもある。跨線橋を内側へ渡れば、谷中へ向かう道で、その一帯はすでに観光地というべき「谷根千」である。永井荷風が「もう以前の東京ではない」と嘆いた東京は震災前。その次の破壊は第二次世界大戦。その次の破壊は高度成長期か。さらにまた次なる破壊が進んでいる。
はて、そもそも笹乃雪はこんなところにあったか、記憶をたどる。学生時代、上野で絵をみた帰りに、わざわざ探していったことがあった。靴をぬいで広い葦簀をひいた座敷にあがり、名物あんかけ豆腐だけを注文した。周囲には気取らない感じのなじみのお客が何組か、賑やかにくつろいで会食している。懐のさみしい学生が単品だけ注文しても許されるような、歴史はあるけれど分け隔てのない店だった。今その場所は背の高いマンションになり、店はこちらへ引っ越してきたのだ。もちろん子規庵の隣だからだろうが、まわりの環境からこの一角のみが孤立して、かなり苦しい有り様である。
子規庵は侍長屋を移築し、それも空襲で焼けたので戦後復元されたものだ。昭和26年というから、わたしの年齢とぴったりおなじで、復元されてからも十分な時がたち、こじんまりと古びている。予算がないのだろう、隣家との境の竹垣は崩れたままだ。庭は雑多な植物が茂り、あちこちに蚊取り線香がいぶっている。糸瓜棚だけは子規の使った机の正面にあって、涼やかに実を垂らしている。ひさしぶりに見る糸瓜の様子はやはりいいものだと思った。
子規の命日を指す季語は子規忌、糸瓜忌、獺祭忌と三つある。子規忌は三音、糸瓜忌は四音、獺祭忌は五音なので、字を足さないでポンとそのまま使える獺祭忌がわたしには詠みやすい。
ひじきにパンうどんにババロア獺祭忌 潤子
と、随分前に詠んだ。当時新聞に「めちゃめちゃな給食のメニュー」として紹介された献立を、病者にして稀代の大食いの子規の忌日にぶつけたのだ。作句の動機をはっきり思い出せる句で、川柳っぽいところも自分らしいと思う。
