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極私的自転車人生11

 80年9月下旬、前期試験が終わった。夏に働いたバイトを何とか再開。そのタイミングでAスポーツのCさんに650Bランドナーフレームをオーダーしたい旨を電話で伝え、日時を予約。当日、Cさんと様々に検討。仕上がりは81年3月上旬予定となった。肝心の仕様は以下の通り。

 シート長は545mm、身長176cmの自分には少し小さめだが、ここはCさんの判断に従った。シートのみ024とし、他のパイプは022構成。フォークオフセットは65mm、シートステーは巻きシート、ラグはコンチネンタル、ディレイラーワイヤーはBB下を通すことにした。エンドはシマノの鍛造ストドロ、シートピラー径は一般的な26.8mm。ヘッド小物は当時最も頑強と言われたデュラエース(ロード)を装着することに。さて、相当意見を述べ合ったのは、ブレーキをどうするかであった。当時自重80kg超であったので、エンペラーランドナーについていたヨシガイ・カンチレベルでは、峠の下りでは何とも心細かったし、降雨時はなおさらであった。そこで発注前のイメージでは、神田のアルプス・クライマーのように、前カンチ、後センタプルにするつもりだった。だが、当時自身が漠然と感じていたことをCさんがもろに言ってくれた。「アルプス・クライマーは、前輪ロックを恐れて、前カンチ、後ろセンタプルにしたんだろうけれど、圧倒的に効くのは前ブレーキだよね」、「だから、あなたの自転車は、逆に前センタプル、後ろカンチの方が良いのではないかな、もちろん後ろもセンタプルにしてもいいけれど…」。このことばで決まる。前ブレーキはマファック・ライド(直付け)、後ろブレーキはマファック・タンデム(直付け)とした。ライド台座はともかく、マファックのカンチ台座では、クリテリウムのシューはつくが、大きめのタンデムシューはつかない(シートステーにあたってしまう)ことは知っていた。そこでCさんがタンデムシューが装着できるように、Aスポーツのオリジナル台座を製作してくれることになった。一方、来年は北海道ツーリングを考えていたので、フロントは日東キャンピーを装着する予定だったが、これもセンタプル直付けに合わせてAスポーツで加工・取付を行うことに。塗装は、黒のパールにした(これ以後、家族用以外のAスポーツフレームはすべて黒ばかりに…)。このようにフレーム発注を終え、あとは何とかバイトで資金を貯めて、半年間で部品を集めることになった。

 10月初旬、3泊の秋のクラブツーリングに参加。集合地は軽井沢だったので、C市から夜通し走って、翌日夕方にはKYHに入るつもりだった。これがエンペラーでの最後のツーリングになる。夜中、下宿の仲間に見送られ、いったん北上し、田無付近から東北東に進路を取り、板橋の外れでR17に出て荒川を渡った。以後、トラックが頻々と通り過ぎる中、戸田、浦和、大宮、上尾、熊谷、深谷とクランクを廻し続けた。ところが思いのほか、北関東の夜更けは冷え込み、足がつり気味となる。これはまずい…。以後、ペースを落とし、道路わきでストレッチしながら休むことを繰り返した。道中、ツーリストに行きあったのは一人だけ。彼はこのまま北上を続け新潟まで行くという。しばらく同道したが、彼のペースが速く、やがて見えなくなってしまう。
 
 道中、さまざまな人や動物を見た。当時のことゆえ、地方にはまだそれほどコンビニもなく、主要街道であるR17でも郊外は街灯もまばらであった。その暗い夜明け前のR17のど真ん中を寝巻でふらふら歩いている人物がいた。あるいは歩道を大声で何か叫びながら歩いている人物も。暗い道路わきを何か動物らしきものが群れでうごめいていた。
 
 それでも、本庄を過ぎてから夜が明け始め、へろへろになりながらも高崎駅前に着いた。さて、本来ならばここから碓氷峠越えに向かうはずであったが、脚はもういっぱいいっぱいである。どうしたものか…(つづく)

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