護られなかった者と人災と天災 | 3月の読書記録
ネタバレあるかも⚠️
17冊目:52ヘルツのクジラたち/町田そのこ
インフルエンザで仕事を休んでいる時に、映画を見て、原作の内容をまったく覚えていないことに悲しくなって、再読した。
初めて読んだのは5年前。今の方が、この物語のしんどさや救い、いろんなものを感じられるようになったと思う。今までの人生、52ヘルツのクジラの声を聞くことは出来ていたのか。努力はしたつもりだったけど、声の捉え方が見当違いだったり、やっぱり聞こえてなかったり。きっとそんなことはたくさんあったのかと思うと、力不足しか感じない。
反面、順風満帆のように見える僕の人生にも、死にたくなるような時間がたくさんあった。そのときにあげていた声は誰かに届いていたのだろうか。
またアンさんについても考えてしまう。アンさんはキナコの声を聞くことが出来た。でもアンさんの声には誰も気づけなかった。それ故の悲惨な結末がある。どうやったらキナコもアンさんも幸せになれたんだろう。ちゃんともやもやも残るのが町田そのこって感じでやっぱり好きです。
18冊目:護られなかった者たちへ/中山七里
三宅町図書館の推し本コーナーにあって借りた。映画の予告を見てずーっと気になっていたけど中々手にすることが出来なかったので、推されて良かった。
あまり刑事系?の小説を読んだこともなく、漢字の多さや文章の雰囲気の違いに若干苦労はしたけれど、最終的には忘れらない一冊になった。
生活保護と震災を軸に構成された物語の中でも特に印象に残った人物は本作の主人公の苫篠だった。
結末は最悪だったけど、けいさんも利根もカンちゃんも最後の最後までお互いを思い合うことは出来た。けれど苫篠の家族はあっさり波に飲まれた。作中に何度も苫篠は「護られなかった者たち」と「護れなかった者たち」という枠組みに自分と利根を重ね合わせる。
同じ護られなかった者でも、けいさんは人災で苫篠の家族は天災である。人災は防げたかもしれない。だから利根もカンちゃんも復讐のために動くことができた。結果はどうであれ、誰かのために行動することが出来ていた。
天災に対しては人はどうすれば良い?何も出来なさすぎる事実だけがそこに残る。だからこそ、人災は声を上げなければいけないし、上げられるだけ、まだ救いがあるのかもしれない。苫篠には幸せになって欲しい。
19冊目:蛍たちの祈り/町田そのこ
どうやったらこんな設定を思いつくんだろうというぐらいグロい相関図。
正道は名前の通りの道を歩もうとしている。そしてその正しさを孝之が支えている様子は美しい。それと同時に正道に業を背をわせたのも母。殺人者の息子という烙印はあまりにも重すぎる。正も負も同じ母が起点になっているのが人生という感じがする。
親に人生を狂わされることなく、子供が健やかに育つにはどうすれば良いのだろうか。町田さんの物語には基本的に解決策は出てこないので、
いつもその課題が頭に残って読了する。
20冊目:ほんとうのことを書く練習/土門蘭
昔から文章を何かに残すことは嫌いじゃなかった。誰にも公開していないアメブロや、今も続けている日記。なんだかんだ期間は空いてしまっても中学三年生から書き続けている。
アナログの日記はかなり自分の気持ちを書けるようになった気がする。それは「さみしい夜にはペンを持て」だったり「好きを言語化する技術」のおかげだったりする。でもそれだけじゃ足りない。僕は自分のことだけしか書いていない。他者の話を聞きそのひとのほんとうのことを書かないと、自分の表現は増えていかない。そんなことを学んだ。
僕の好きな文章を書く人は、やっぱりいろんな人の話を聞いていた。今の自分に足りないことは他人の「ほんとうのこと」を一緒に探る時間かもしれない。
また本書の中には心身を動かすことを「生きること」。その結果自分の中で起こることを観察し言語化することを「考えること」と表現している。
教員時代は本当に文章が書けなかった。あのときは必死に生きていたと思う。故に生きることにしか時間を割けず、そのときの気持ちの変化を観察することはできなかった。だからあの頃は人生の中でも極端に書いている量が少ない。
また今年の3月も、生きるのに必死になっていた。1・2月に続いていた日記は、インフルエンザを経て、考えられなくなり、続けられなかった。落ち着いてきたいま、やっと日記を書き始めることができた。文章をなにかしらに書けているかどうかは、生活が「生きる」に偏りすぎていないかを確認するちょうど良い指針かもしれない。
とにかくこの本は何かを書きたくなる本だった。書く意欲がなくなりそうなとき、この本を見て、初期微動を起こししていきたい。
26年度読書記録
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