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美容は“足す”より“こすらない”が効く日もある?やりすぎをやめたら肌が機嫌を取り戻した話

美容というのは、長らく「足す」ゲームだと思っていた。

いい化粧水を足す。
美容液を足す。
クリームを足す。
なんならブースターも足すし、パックも足すし、「限定」と書かれていれば条件反射で足す。

結果、どうなるか。

顔、フル装備。

もはや軽装の戦士ではない。重課金ユーザーである。
肌の上で、いくつもの成分たちがひしめき合い、
「私が効く」「いや私が主役だ」と無言の主張を繰り広げている気配すらある。

そして私は、そのすべてを「よかれと思って」やっている。

ここが厄介だ。

雑に扱っているわけじゃない。
むしろ逆で、丁寧すぎるくらい丁寧に、
時間と手間と、ほんのりお金をかけて、
“しっかりお手入れ”しているつもりなのである。

なのに。

ある日、ふと気づく。

あれ、今日の肌、なんか疲れてない?

ヒリつく。
うっすら赤い。
触ると、なんとなく落ち着かない。
テンションが低い。肌のくせに。

このとき私は、ようやく疑い始める。

もしかして、足しすぎてない?

で、試しにやってみる。

引き算。

といっても、いきなり全部やめるわけじゃない。
そこまでの勇気はないし、正直怖い。
「何も塗らない」とか、精神的にちょっとしたホラーである。

だから、やるのはシンプルなこと。

こすらない。

これだけ。

洗顔は、泡を転がすだけ。
「落とそう」としない。
「乗せて流す」くらいの気持ちでやる。

タオルも、ゴシゴシしない。
顔に当てて、ポンポン。
というか、ほぼ「触れてるだけ」で終わらせる。

化粧水も、叩き込まない。
「浸透しろ!」という念を送らない。
ただ、置いて、なじませる。

クリームも同じ。
引き上げない。
マッサージしない。
顔面リフトアップ大会、今日は開催しない。

するとどうなるか。

あれ?

なんか、落ち着く。

あの“やってます感”のある肌じゃなくて、
“まあ、今日はこれくらいでいいですわ”みたいな、
妙に穏やかな顔になる。

ここで私は思う。

美容って、「何を足すか」だけじゃなくて、
「何をしないか」のほうが効く日、あるよね?

むしろ、ある程度の年齢になってくると、
その割合、逆転してくるのではないか。

大人の肌というのは、わりと正直だ。

若い頃みたいに、多少雑に扱っても持ちこたえる、
あの“無敵感”は、もうない。

代わりに何があるかというと、
「やりすぎに敏感」という特性である。

ちょっと刺激が強いと、すぐ反応する。
こすりすぎると、すぐ怒る。
働かせすぎると、「本日は営業終了です」と言わんばかりに閉店する。

いやいや、まだ昼なんですけど。

そう言いたくなるが、肌は聞いてくれない。
閉めると決めたら、閉める。

だから最近は、ちょっとだけ方針を変えた。

攻める美容から、様子を見る美容へ。

今日は足す日か?
それとも、触らない日か?

肌に聞く、と言うとちょっとスピリチュアルっぽいが、
要は「違和感があるかどうか」を見るだけである。

なんかヒリつく。
なんか赤い。
なんか落ち着かない。

その“なんか”を無視しない。

昔の私は、ここでさらに足していた。

「乾燥してるのかも」と思って、クリームを足す。
「くすみかも」と思って、美容液を足す。
「血行が悪いのかも」と思って、マッサージする。

全部やる。

そして悪化する。

もはや自分で自分に追い打ちをかけるスタイルである。

今は違う。

「なんか変だな」と思ったら、減らす。

そして、こすらない。

これだけで、意外と持ち直す。

もちろん、毎日これでいいわけじゃない。
ちゃんと保湿したほうがいい日もあるし、
ちょっと攻めたケアがハマる日もある。

でも、「足す一択」じゃなくなるだけで、
選択肢が増える。

これ、地味に大きい。

しかも、コスパがいい。

何も買ってないのに、調子がいい。
最高である。

美容というと、どうしても「何を使うか」に意識が向くけれど、
実は「どう扱うか」のほうが、よっぽど影響が大きいのかもしれない。

特に、「触り方」。

これはもう、テクニックというより、
“態度”に近い。

雑に扱わない。
でも、過剰に頑張らせない。

このバランス。

そして今日も私は、
スキンケアのボトルを前にして、少しだけ立ち止まる。

これ、ほんまに今、必要?

ちょっと考えて、一本戻す。

何もしない勇気、というと大げさだけど、
“やりすぎない選択”くらいなら、できる。

そんな日があってもいい。

むしろ、そういう日があるから、
肌も、人間も、なんとかやっていけるのだと思う。

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