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さだ子さん 5話


僕は、ぼんやりと表札を見ていた。

  《橘花さだ子》


「さだ子さんの苗字は、橘花って云うんだ。知らなかったな。たぶん僕が忘れたんだろうけど」

「……泣いてたよな、さだ子さん」

深夜に泣いていたのは、やはりさだ子さんだろう。


僕は涙のわけを知りたかった。

ビールと焼き鳥で泣くとは思えない。

余計だ詮索だよな。

「うう、寒い、帰ろう」


  クリスマスが近い


翌日、目が覚めたら昼近くになっていた。

「か、鍵を返さないと!」

慌てて布団から起きた時にインターホンが鳴って、声が聞こえて来た。

「林健太さん、さだ子です」

「は、はい、いますぐ」


急いでドアを開けると、さだ子さんが立っていた。

「お休みところ、すみません。大家さんから訊きました。昨夜は私を背負って部屋まで運んでくださったそうで。本当に申し訳ありませんでした」

さだ子さんは深々と頭を下げた。


「あ、いえ僕の方こそ鍵を返すのが遅くなってしまいました。ちょっと待ってください」

そう云って僕は昨日履いていたGパンのポケットに手を入れ鍵を取り出した。


「鍵です。遅くなりました」

「本当に、お恥ずかしいです。ありがとうございました」

さだ子さんはもう一度、頭を下げて帰って行った。



涙を流していたさだ子さんを見てしまったので僕は複雑な心境だった。

「いや!僕だって泣くことくらいあるじゃないか!」

誰にでも悩みや苦しみは、あるんだ。決して特別なことじゃない。

僕は無理矢理、そう思うことにした。


それから大家さんに電話をして、昨日のお礼を伝えた。

「さてと、昼メシでも買いに行くか」

僕は着替えて表に出た。

安いし、いつもの弁当屋で済まそう。

ついでに夕飯の材料も買っておくか。

湯豆腐にでもするかな。


ジュエリーショップの前を通る。

店内では、カップルが笑顔で会話しながらクリスマスプレゼントを選んでいるようだった。

楽しそうな家族連れも歩いている。

街中に、『幸せ』が溢れていた。


「どうせ、年末には実家に帰るんだし、今年はクリスマスには帰るかな。お袋もケーキくらい買ってるだろう」

そんなことを考えながら、弁当と湯豆腐の材料を買い、僕はゆっくり歩き帰宅した。



部屋に入る前に、ポストを覗いた。

これでもか!と、広告がギッシリ溜まっていた。

ケーキの予約、ピザにチキン、宅配寿司屋。

「こんなのばっかりだ」

アレ?


その中に一通だけ封筒が入っていた。

サンタクロースとトナカイのイラストが描いてある。

差し出し人を見て僕は驚いた。

「さだ子さんからだ」


僕は急いで部屋に入り、ハサミで封を開けた。


  林健太さんへ

昨夜はありがとうございました。

林健太さんは、クリスマスのご予定はお決まりでしょうか。

もしもまだのようでしたら、私の部屋でクリスマスを過ごしませんか。

ささやかですが、お料理を用意したいと思っております。

お返事、お待ちしています。

      橘花さだ子


生きてて良かった!

ご予定?そんなものは、ありません!

あ、さだ子さんに電話しないと。

忘年会の時にお互いの番号を交換したのだ。

大家さん、ありがとうございます!


僕は部屋の中で、ウロウロしてしまった。

「落ち着け、健太。先ずは落ち着け」

そうだ深呼吸をしよう。

吸って〜、吐いて〜、吸って〜、吐いて〜

「よし、電話をかけよう」


「あ、もしもし、さだ子さんですか?

林です。 え、知らない?

林ですが。 やっぱり知らない?

えーと、一階の林健太です。

あ、分かりましたか、良かったー。

お手紙ありがとうございました。

僕みたいな者でも良かったら、ぜひ伺わせていただきます」


お待ちしています、だって。

さだ子さんが、お待ちしてますって云ってた。

「そそそうだ、僕も何か持って行こう。

御馳走になるんだし。何にしよう」


「部屋の掃除もしないと、いや違う。クリスマスを過ごすのは僕の部屋じゃなくて、さだ子さんの部屋だった」

実家に電話しなくてよかったー!

お土産、お土産なにがいいだろう。

だめだ、思考がおかしくなっている。

こんな時は、そうだ、寝よう!


僕は布団に入って目を閉じた。



そしてクリスマス当日

僕はさだ子さんの為にホワイトクリスマスになればいいなぁと願っていた。

窓を開けたら、真っ青な冬空が広がっていた。

さだ子さんへのお土産は、昨日の内に買って置いた。


「全然クリスマスっぽくないけど、喜んでくれるといいな」

さだ子さんの部屋には18時に行くことになっている。

それまで何をしてようか。


年賀状を書くのがいいんだろうけど、出す人がほとんどいない。

だったらスマホで、いいか、になるわけで。

来年は社会復帰を目指したい。

貯金も残りが僅かになってきたし、この歳で親のスネをかじりたくはない。


やっとここまで回復したのに働き出したらまた鬱病になったら怖い。

怖いけど……。

僕は窓を全開にした。

キーンと冷たい真冬の空気を感じたかった。


18時ぴったりに、さだ子さんの部屋のインターホンを押した。

「は〜い」

中から聴き慣れた声がした。

ドアが開いて、さだ子さんが顔を出した。


「いらっしゃい林健太さん。来てくださって嬉しいです。どうぞ中へ」

「お邪魔します」と、僕は部屋に上がらせてもらった。

「先に座っていてください。私も直ぐに行きますので」


僕はお辞儀をして、ソファーに座らせてもらった。

人の……特に女性の部屋をジロジロ見ては失礼だと思い、下を向いていた。

パッと見た印象では、あまり物を置かないようにしているようで、サッパリした感じだった。


「お待たせしました」

さだ子さんが料理を運んで来た。

「全然クリスマスっぽくないの。わたし凝った料理が作れなくて」


そう云って並べた料理は、里芋とイカの煮物。タコときゅうりとワカメの酢の物。そしてアボガドのサラダ、ブリの照り焼き、揚げ出し豆腐、鷄の竜田揚げだった。


「ね、居酒屋メニューでしょう」

さだ子さんは笑いながらそう云った。

「こういった料理は大歓迎ですよ。煮物とか作れないし、家庭料理みたいな感じで嬉しいです」

「良かった。味も好みだといいんですが。

どうぞ召し上がってみてください」



「はい!では、いただきます」

僕は箸を持って、先ずはブリの照り焼きを食べた。

旨い! 甘過ぎず僕好みの味付けだ。

揚げ出し豆腐も食べてみた。

これもいい。久しぶりに食べた。


「いかがですか?」

さだ子さんが恐る恐る訊いてきた。

「とても美味しいです。味付けが僕好みなので本当に美味しいです」

「あ〜良かった〜」


そう云って、さだ子さんも食べはじめた。

僕は持ってきた紙袋を引き寄せて、

「これ、受け取ってください」

そう云って中から一升瓶を取り出すと、包み紙を剥がして、さだ子さんの前に置いた。


「あ、『魔王』ですね。この焼酎もわたし好きなんです。さっそく呑みましょう」

喜んでもらえたようで良かった。

酒屋の主人のアドバイスのおかげだ。

さだ子さんはキッチンからコップを二つ持ってきて『魔王』を注いだ。



「林健太さん、嬉しいプレゼントをありがとうございます」

「さだ子さん、美味しい料理をありがとうございます」

 《メリークリスマス》


「うん、『魔王』はやっぱり美味しいわ」

「気にいってもらえて良かったです。あの、前から訊いてみたいことがありまして……」

「わたしにですか?どうぞ何でも訊いてください」


「あの、僕のことを呼ぶ時に、何でフルネームなのかなって」

「なんでだろう。考えたことが無かったけど、たぶん呼び易いからだと思います」

「そうなんですね。やっと訊けた」

僕たちは笑った。


その後も二人で呑んだり食べたりして、僕は楽しいクリスマスになって嬉しかった。

さだ子さんは驚くほど、お酒に詳しかった。

よほど好きなんだろう。


「そうだ、さだ子さんは、生まれも出雲ですか?」

「いえ、出雲には仲のいい従姉妹がいて、彼女を頼って来ました。出身は神奈川県です」

「神奈川、もしかして横浜?」

「はい、そうです」

「かっこいいな、浜っ子ですね」


「横浜といっても海からは離れてますし、横浜のイメージとは、掛け離れてます。

それに……」

「わたし横浜が嫌いです」

「えっ、そうなんですか?横浜の人は、いい意味でも悪い意味でも、地元にプライド意識が強いイメージがありますが」


「嫌い……横浜は」

さだ子さんは、その云うと黙ってしまった。

僕は先日の忘年会に話題を変えた。

さだ子さんも少しずつ話しを、し始めた。

無理をしているのかも知れないが。



時間は9時になろうとしていたので、僕は帰ることにした。

「今日は美味しい料理をたくさんご馳走になって、楽しいクリスマスになりました」

「わたしも大好きなお酒を頂いて嬉しかったです。ありがとうございました」


「では失礼します、おやすみなさい」

「おやすみなさい」

さだ子さんの家を出て、階段を降りようとした時、

「あの……」と、さだ子さんの声がした。

振り返ると、さだ子さんが玄関から顔を出している。


「はい?なんでしょう」僕は返事をした。

「さっきはすみませんでした」

「気にしないでください。誰だって嫌な思い出とか、ありますから」


さだ子さんは、泣きそうな顔をしていた。

「父は……父は、焼き鳥を食べながらビールを呑むことが大好きでした」

そう云うと、お辞儀をしてドアを閉めた。


僕はなぜ、さだ子さんがお父さんの話しをしたのか分からなかった。

「大好きでした、ということは、お父さんは、もう居ないのだろうか」

あんなに悲しそうな、さだ子さんを見て、「僕は触れてはいけない部分に触れてしまったんだな」

そう思った。


星空を見上げながら、

明日は、さだ子さんの大好きな雪になりますように、とそう願った。


    つづく










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