清々しさを招く
カフェコスモスにて
お掃除が済んだあと、
あちこちに置いていたグラスに挿したポトス🌱が目に入った。
しばらく放置していたから、
水はうっすら緑に濁り、
グラスの底のかたちに沿って、
根がぐるぐると円を描いている。
そのグラスをひとつずつ洗い、
伸び放題だった根を切り、
こざっぱりと整えた。
それだけで、
気持ちも少し、整った。
私は、
こういう小さな所作が好きなんだと思う。
とはいえ、いつもやるわけじゃない。
だからこそ、
たまにやると清々しくなる。
いつも美しく整えていなければならない、
そんなことはない。
今日のように、ふと気づき、
ちょうどそんな時間が用意されていて、
自然に体が動く。
そうしてあとから、
「放っておいた時間にも意味があったんだな」
と、知ることがある。
私のこうした考えは、
役に立ちにくいかもしれない。
けれど私は、
こういう小さな動きが好きだ。
やってみて感じる、
この清々しさが好きだ。
だからといって、
いつもこれをやろう、とは思わない。
それを決めてしまった瞬間、
きっと、型になってしまうから。
私が求めているのは、
おそらくこの清々しさなのだろう。
自ら招く、清々しさ。
これまでカフェコスモスという場で、
「何かを成さねばならない」と、
頑張ってきた節がある。
ここを気に入ってくれた人たちとのつながりの中で、
その大切さも、確かに学んできた。
何を成すのか。
どう伝えるのか。
それは、とても大切なことだ。
けれど、
やればやるほど、
私は気が枯れてしまった。
体は正直だ。
なぜなら私は、
成すことよりも、
伝えることよりも、
在り様が、源になる人間だから。
現代社会では、
「在るだけ」で生き抜く知恵は、
たしかに少ない。
でも、
もう仕方がないのだと、
私はわかったのかもしれない。
清々しさが訪れるほうへ導かれている。
